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Thursday, January 19, 2017

カイロプラクティック

ジュネーヴで自分と音楽に真っ正面から向き合っている彼女のブログ。

「自らを知ることができる」
そんなカイロプラクティックの醍醐味を体現してくれている。




Titre: カイロプラクティック

カイロプラクティックを知って約6年目、わたしの体は完全に変わりつつある。
ノーアジャストになって一年と約3ヶ月、4ヶ月目が経とうとしている。
ノーアジャストから一年を過ぎたとき、わたしは毎日の生活で、自分という瞬間を感じる。
わたしってこんなに体丈夫なの、なんか反応良すぎて自分でもウケる、目を覚ますためにコーヒー飲んでても結局寝不足が勝つし、眠いし、寝不足で学校行ってやっぱり無理ってなるし、朝ごはん食べるといつも食べた分だけ体重くなるの感じてだるさが増す。
新しい靴がいくら欲しくたって、ほとんどの靴が足に、というより体に合わない。ジュネーブで靴を買うことなんてほとんどないけど、どうしても買わないといけないとき、わざわざコートの下、ジャケットの下に身につけるポシェットをとって、リュックを下ろして、身軽にして両手を前に差し出して、カイロプラクターが私にするように、私は手首を自分で回してズレをみる。
わかんないけど、靴によっては体は固まる。変な物が身体中を走る。
だから私ってやっぱり変なんだって思う瞬間がある。自分が馬鹿正直で笑える。

カイロプラクティックが何かなんて今も本当にわかりません。
でも、カイロプラクティックを通して、自分の可能性、自分を知ることができてる人はここにいます。自分にびっくりするんです。
こんなに疲れてても、こんなに苦しくて、くじけそうになっても、私は病気一つならない。強がってるのかって思うけど、別にそうでもないらしい。
疲れてるけど疲れてない。
先日、ある記事をシェアした人がいました。その方は無縁ですが、詳しいことがわからない私には、その方も同じようなことをやっているのに、自らがやっていることを否定する記事をシェアしていて、とても不思議な気持ちになりました。否定というところではなく、全く理解ができませんでした。
ひとは必ずしも誰かと比べることは、何回もあると思う。
私は今、ピアノ独奏ではなく、アンサンブル奏者としての勉強に専念しています。パートナーとはすでに三年目。自分の存在感を今まで以上に感じて生きてます。
人は、ひととひとが支え合ってできている。本当にその通り。
誰も見返りを求めない、ただ目の前に私の存在があるから、それだけが支えになることだってある。
私は音楽を通して常にそれを感じてる気がする。
私が今やってることは、一人でいくらうまく弾けても、形になりません。一人のために作曲されてないから。でもメンバーそれぞれが主張すると、音は喧嘩するどころか、一つの形になる。

比べた時点で、存在って消えるんだなって。

カイロプラクティックの醍醐味ってなんですか。
カイロプラクターってきっと大変な仕事だと思うけど、私みたいなクライアントいたら、気楽になる?
ほんとにね、最近とくに、自分にびっくりするの。
私って変だなって、自分で笑うよ。

少しでも私の感じてること伝わったらいいな、カイロプラクティックを知らないひとにも、いつか興味持ってもらえるときくるかな。
勧誘とかしたくない、ただ、ただ、もっと変な私がこれからも飛び出して、そこに自分で気づいて何回笑うときがあるかな?って考えると、なんだか楽しいの。




Wednesday, January 18, 2017

祖母

1月13日、鹿児島の祖母が生を全うしたと連絡があり、鹿児島へ向かった。



実は年明けに帰省した際に、祖母に顔を見せることができていた。

そこでは以前に会った時とは別人のように痩せ、喋ることもままならない祖母の姿があったが、「わかるね?」と言うと、いつもの可愛らしい笑顔でニコッと応えてくれた。




正直そこまで鹿児島の祖父母と濃密な時間を過ごしたとは胸を張って言えないが、今一度祖母のことを振り返ると、今の母親が居るのはやはりこの祖母があってこそだなと思った。



真面目でブラックジョークが通じないところや、手造り料理、裁縫、家庭菜園が好きなところ、伝統的な行事を大切にするところなどなど、挙げればキリがない。



本当に絵に描いたような田舎のおばあちゃんだった。


じいちゃんとばあちゃんがいるからこそ、母がいる。

父と母がいるからこそ、僕がいる。



そんな当たり前のことが、何か新鮮に感じられた。




二人とも、本当にお疲れ様でした。