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Monday, August 21, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 7

1895年にカイロプラクティックが創始され、創始者のD. D. Palmerは

「病気の原因をついに突き止めた」

と声高らかに主張した。

元々、病気や症状を治療することを目的としていたD. D. Palmerは

「病の95%は脊椎サブラクセーションから来るものだ」と主張していたわけだが、

実際はどうなのだろうか?



私は同意しない。

むしろ、脊椎サブラクセーションは単なる生理現象の一つであって、病の根源そのものではない。



例えば、
一日中草むしりをした人の腰痛は、脊椎サブラクセーションから来るのだろうか?
交通事故による体調不良は、脊椎サブラクセーションから来るのだろうか?
高血圧は脊椎サブラクセーションから来るのだろうか?
糖尿病は脊椎サブラクセーションがあるから起こるのだろうか?
難病は脊椎サブラクセーションが原因で起こるのだろうか?

その他、無数の病は脊椎サブラクセーションがあるから起こると言えるのだろうか?

その人の日々の選択、限られた肉体によって病というひとつの生理現象が起こるだけだ。



しかしながら、脊椎サブラクセーション状態から抜け出した人が、多くの奇跡と言われる回復を見せてきたことは事実。

それは単に、カイロプラクティックケアによって脳と全身の情報交換の変調が正常化され、生理機能が変化し、ケースによっては構造まで大きく変化しただけだ。



それが一般的に「治癒」と言われるだけで、

カイロプラクティックが問題とするのは脳と全身の情報交換変調のみであり、

望む結果も、脳と全身の情報交換変調の正常化(脊椎サブラクセーション状態からの脱却)

でしかない。




従って、残念ながらD. D. Palmerの主張するように、病の元凶を絶つのがカイロプラクターの仕事ではない。

生理機能の変調の原因となる脊椎サブラクセーション状態(情報交換変調)を取り除くことがカイロプラクターの真の仕事だ。



なぜ私が、創始者の言ったまま全てを解釈せず、行動しないのかには理由がある。

それは、
D. D. PalmerやB. J. Palmerの言ったことよりも、
D. D. PalmerやB. J. Palmerの言いたかったこと、やりたかったことにフォーカスしているからだ。


D. D. Palmerは医療と一線を画す独自のものを確立したかったが、
カイロプラクティックの独自性を確立する前に広めることに躍起になって生命を全うした。

B. J. Palmerは父親の発見したカイロプラクティックの独自性を確立しようと客観的な指標を取り入れ、
貪欲に研究と改革と啓蒙に命を使った。



現代を生きるカイロプラクターはカイロプラクティックケアを提供することはもちろん、

創始者、発展者の言ったこと、やったことそのものにフォーカスするのではなく、

彼らが言いたかったこと、やろうとしていたこと(意志)を汲み取ってそれを実践することの方が重要だと考えている。



脊椎サブラクセーションの私的考察を行う上で、未だに触れていない"あるもの"がある。

part 8 では、その重要な"あるもの"について展開していこうと思う。


Friday, August 11, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 6

脊椎サブラクセーション状態とは一体どう言った状態なのか?というのをpart 5 では見てきた。


人は必ずと言って良いほど脊椎サブラクセーションの"原因"を知りたがるので、それを私なりに考察する。



創始者D. D. Palmerは、脊椎サブラクセーションの原因は3つのTと定義した。
Thought: 思考(精神的)
Trauma: 外傷(物理的)
Toxin: 毒(化学的)
以上の3つのストレスが脊椎サブラクセーションの原因となる、と。



それらのストレスによって身体を害することを防ぐために、外界と内界を情報化し、
各状況において身体を変化させる必要が出てくる。


その過程において神経系を使うわけだが、part 5 でも述べたように情報化には健全な神経機能が重要となってくる。



<物理的なストレス(Trauma)>

この場合は実際の物理的な衝撃により組織を破壊され、

その治癒作用によって瘢痕組織が形成されたり、継続的な同様のストレスに対して構造的な負荷を減らすために変形したりする。

それによって椎骨の位置変位が起こることは容易に想像できる。



<精神的なストレス(Thought)>

この場合では、後天的に得た思考回路が結果的に椎骨の位置変位を起こす。

ストレスに対する反応として特定の神経サーキットを用いるわけだが、その反復よって神経機能の偏向性が生まれ、それが身体的な動きの偏向性を生む。

それによってある特定の動きを繰り返すことによって構造的な変化を起こし、脊髄に物理的ストレスを与えてしまうわけだ。



<化学的なストレス(Toxin)>

これは直接的に神経に作用する場合や、特定の毒物(生命活動に利用できないor生命活動を阻害するもの)に対する身体反応があり、

それによって神経機能および骨格構造、そして行動に偏向性をもたらし、結果的に脊髄に物理的ストレスを与えると考えられる。






どの原因に関しても、一時的な神経機能変調では脊椎サブラクセーション状態には陥らない。

必ず、"継続的な"反復によって機能と構造の変化を起こし、ある程度不可逆的な変化に至るまでは脊椎サブラクセーション状態に陥ったとは言えない。



従ってカイロプラクターは、一時的で単調な機能検査やスナップショット(x-ray)で脊椎サブラクセーション状態を判断していては、間違いを犯す危険性を孕んでいる。

単に機能が低下していたものがアジャストメント後に回復した、向上したという安っぽく(Cheap)、安易(Easy)なものではない。




必ず『時間』をかけて、その人が一時的な機能変調なのか、それともある程度不可逆的な変調(パターン)なのかを見極める必要があるわけだ。



さて、各ストレスが継続的な反復によって機能的、構造的な偏向性を生みだし、
それが脳と全身の情報化、情報交換の変調を引き起こす機序は説明した。

そこで、情報交換の変調が当初 D.D. Palmerが主張した病気の原因となり得るのか。


part 7 では、そのことについて論じていきたい。




Saturday, August 5, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 5

実際に椎骨の位置変位が神経機能に影響を与えることは論理的に理解出来たところで、

ではその神経活動(電気的活動)がどのように「メッセージ」として編集されやり取りされるのだろうか?


「メンタルインパルス」=「メッセージ」と言うと現実味に欠けるので、

「メッセージ」=「情報」と言い換える方が適切かと思う。



その情報はどのようにして脳に伝わり、脳から全身に送られるのか?

これは未だ完全に解明されたわけではないが、「神経コーディング」という研究分野がこれを解明しようとしている。


コーディング、つまり符号化、暗号化という意味で、

活動電位の一定時間内の発火頻度や伝達経路によって出入力の性質を暗号化し、

情報をやり取りするという研究分野だ。



興味のある方は、参考になりそうなウェブ上にある資料を参照願いたい。



D. D. Palmerが提唱した「神経は"振動(vibration)"を伝える」 というコンセプトは、

実際は電気的な信号で伝えているのだが、神経の発火頻度=周波数として解釈すれば間違いではないことがわかる。



この神経の周波数=神経の発火頻度に着目したのがトルクリリーステクニック創始者のJay Holder D.C., M.D.だが、彼のコンセプトもまた不完全ではある。

彼は神経のあるべき周波数は5の倍数であると定義しているが(神経の種類によって違う)、

その根拠に乏しい。




さて、どのように外界からの入力を情報に加工、処理、そしてそれに対して情報として出力するか?

という機序は、神経コーディング、ディコーディング(暗号解読)の研究が進むことによってさらに明らかになっていくことだろう。



ただ確実に言えるのは、
神経への物理的ストレス(圧迫、伸張)によって神経機能の不健全化(TND)を促し、それによって情報化に"変調"が起こり中枢と末梢の情報交換(適応変調:Dis-ease)が導かれる。 
 ということだ。


さらに簡潔に言えば、
脊椎サブラクセーション状態は、脳脊髄と全身の情報交換変調状態   
ということだ。


さてここでまた浮上するのが、脊椎サブラクセーション状態の原因だろう。

それはpart 6 で見ていくこととする。



Friday, August 4, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 4

一体、その「メッセージの干渉状態」とはどのような状態なのだろうか、神経は実際にどのような状態になっているのだろうか?

まず、多くのカイロプラクターが以下の絵をカイロプラクティックの説明に使う。


絵では"末梢神経の流れ"が位置変位を起こした椎骨によって干渉を受けていることを説明している。

物理的現象として、神経は電気的な活動(活動電位)を中枢である脳脊髄と末端でやり取りしているのは科学的に明らとなっている。


絵では圧迫を受けた神経が細くなり、末端とのやり取りがうまく行かないことを説明したいわけだが、これがアメリカ医師会でカイロプラクティックがコケにされる恰好の材料だ。

「神経が通る椎間孔や椎孔には十分なスペースが確保されており、神経が椎骨の微小な位置変位で物理的に圧迫されるわけがない」と。


事実、十分スペースは存在する。

しかしながら反論として、生きた人体には隙間はなく、神経の周囲には脂肪組織、血管、靭帯、脳脊髄液などで常に満たされている。

依って椎骨が直接的に脊髄神経を触ることはほぼないと言われてもおかしくないが、

椎骨の微小な位置変位は神経周囲の組織を圧迫し、間接的に神経自体にも物理的な圧迫を起こすことは容易に想像できる。

従って、椎骨の位置変位は神経へ圧を加える要因となり得るわけだ。





さて次に、神経に圧迫が生じたとき、実際に電気的活動は阻害されるのだろうか?

興味深い簡単な実験があるので、こちらを参照願いたい。(ミミズ嫌いの方はご注意を)



この実験では、直接的に神経を圧迫して活動電位の伝導速度を計測しているわけではないが、伸張ストレスによって神経圧迫状態を起こしていると言える。

完全な理論武装にはならないが、実験結果から物理的な神経へのストレスは、伝導速度自体に変化を与えない結果となった。


簡単に言えば、
神経に圧がかかっても神経活動に影響はない
となる。



さて、こうなると最初に提示した絵によるカイロプラクターの主張が益々信憑性の低いものになってきた。


だが安心して頂きたい。

神経も一つの細胞であり正常に神経細胞が機能するためには1. 酸素 2. 栄養 3. 刺激 の三つが必要となる。

当然、神経自体にも血液供給があり、椎骨の微小な位置変位によって脊髄神経を取り巻く組織によって血液供給が阻害され、健全な神経機能は失われることになる。

同時に、神経圧迫によって神経細胞内の軸索輸送に影響を及ぼすという研究もあり、


総じて、椎骨の位置変位が神経への血液供給と軸索輸送の異常を起こし、それによって健全な神経機能が失われ(TND: Transneural degeneration)、活動電位の発火、および伝導が健全な状態からかけ離れることになる。


 上記を簡単に言えば、
椎骨の位置変位が神経活動に影響を与える
 と言えよう。



実際に脊髄神経への影響は有ると言えるわけだが、それがどう「メッセージ」になるのかをpart 5 では展開していくこととする。




Thursday, August 3, 2017

ラン

あれから14年。

先日、実家の「ラン」が生命を全うした。



自分が高校に入学する時に生後3ヶ月の真っ黒な子犬が我が家に来た。

最初は警察犬の訓練所で躾をしたが、天真爛漫なランの性格上しっかり身につかなかった(笑)


両親も共働きで誰も家にいない時が多かったが、

誰かが家に帰ってきてからのランの喜びようは凄まじかった。




12、13歳頃から後ろ足が弱り始め、徐々に筋肉も落ちて、

2ヶ月前から寝たきり状態になったと連絡があった。


その間も、実家にいる姉や父がランの暑さ対策や寝返り、床ずれの治療を懸命にやってくれた。


7月末に志賀家の法事があり帰省するのは決まっていたが、

暑さも増してさすがにそこまではもたないかもしれないと考えていた。



7月21日、夜に宮崎に着き、家に帰るとランは一生懸命息をしていた。

筋肉も落ち、痩せ細り、床ずれだらけで、オムツをしてゼーゼー息をしていたが、

顔を触るとしっかり反応してくれた。


目も見えず耳も聞こえない状態で顔を触ると、過敏に反応するのは老犬に良くあることだが、

眉間から鼻をさすって、やめると頭を動かして「さすれ!」と言わんばかりに一生懸命僕の手を探していた。



「今日まで良く頑張りました」

と声をかけ、その日は床についた。




そして翌朝、ランは生命を全うした。




ラン、お疲れ様!そして、うちに来てくれてありがとう!!




Tuesday, August 1, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 3

創始者の息子、B. J. Palmerが抽象的コンセプトであった脊椎サブラクセーションを、
より現実的に定義するために数々の機器を導入したのはpart 2 で述べた。

そこでB. J. が定義した4つの要素、
  1. 椎骨の位置変位 
  2. 神経孔の狭窄
  3. 神経上の圧迫 
  4. メンタルインパルスの干渉
の中でも、「神経圧迫」「メンタルインパルスの干渉」という実体不明なものへの懐疑心は、

多くのカイロプラクター、ケアを受ける人々、そしてアメリカ医師会の中で蔓延したことは否めない。

なぜなら機械論が主流の現代では、実体の掴めないものへの批判が必至であるからだ。



元々D. D. Palmerは形而上学的な考えがベースにあり、
従って脊椎サブラクセーションの論理は抽象的な概念からスタートしている。



B. J. Palmerはメンタルインパルスの形而上学的な概念をわかりやすく説明するために、
「メッセージ」という言葉を用いていた。(R. W. Stephenson, 1927, "Chiropractic textbook")

つまり、生命を維持するためにメッセージのやり取りを神経が行っており、
その神経に物理的なストレスがかかり干渉が起きている状態が脊椎サブラクセーションだと。




しかしながら、「メッセージ」も形而上学的な範疇を超えない。

この「メッセージ」をどのように定量化し、具体化するのかが脊椎サブラクセーションの科学的証明の成否に大きく関わる。



一体、その「メッセージの干渉状態」とはどのような状態なのだろうか、そして神経は実際にどのような状態になっているのだろうか?

part 4で見ていくこととする。

Tuesday, July 18, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 2

創始者、D. D. Palmerの論理の下、存在を露わにした脊椎サブラクセーション。


創始者本人はコアとなる脊椎サブラクセーションの追求ではなく、

カイロプラクティックを世に広めるためにアメリカ全土を駆け巡っていた。



そこで若干20歳のB. J. Palmerは、学校経営とアメリカ医師会からの弾圧に抵抗するために、

脊椎サブラクセーションの追求、医療の側面からの科学的証明、カイロプラクティックのセールスに生涯をかけた。





D. D. Palmerの主張する脊椎サブラクセーションを、より客観性を持たせてその存在を証明するために、

B. J.は最先端の技術を次々と導入した。

代表的なものは、
レントゲン、サーモグラフィ、筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")がある。



結果的にB. J.は、脊椎サブラクセーションを構成する要素を以下に定義した。

1. Misalignment of vertebra
2. Occlusion of foramina
3. Pressure upon nerve
4. Interference with mental impulse 
つまり、
1. 椎骨の位置変位
2. 神経孔の狭窄
3. 神経上の圧迫
4. メンタルインパルスの干渉


さてここで、1、2、3は理論上わかりやすいが、4とは何か容易に理解できるだろうか?


B. J.は、先端機器を用いて脊椎サブラクセーション状態を科学的に、客観的に示したかったわけだが、

レントゲン、サーモグラフィ、筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")で4は証明できたとは言い切れない結果となった。


私の知る限りB. J.は、筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")によって、

「アジャストメント後、神経活動が活発になった」

という結論を出し、論理を押し切った感を受ける文章しか私は目にしたことがない。



筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")のグラフはほぼ現存していないこと、

B. J. しかグラフを解読できなかったという逸話によって、

B. J.の行った研究の詳細が煙に巻かれた印象を受ける。






確かに脊椎サブラクセーションのアジャストメントによって奇跡的なことが多く起きたことは事実だが、

そもそもの脊椎サブラクセーション自体を説明できたわけではない。




part 3では、掴み難いメンタルインパルスのコンセプトを展開したい。


脊椎サブラクセーションの私的考察 part 1

カイロプラクティック業界が混沌を極める理由の一つに、

「脊椎サブラクセーション」の存在がある。


未だカイロプラクター達によるコンセンサスも得られておらず、

自らのテクニックの正当性を主張するために脊椎サブラクセーションの定義自体が変えられているのも事実。





ここではそんな脊椎サブラクセーションを個人的に考察してみる。


脊椎サブラクセーションという状態は、1895年にD. D. Palmerによって発見された。

内骨格(neuroskeleton:脊椎構造)の位置異常が、 
神経の張り具合(tone:調子)の異常を起こし、病気の原因となる

というのが創始者の論理だ。

D. D. Palmerの著書はこちら D. D. Palmer, 1914, "The Chiropractor"



 わかりやすく言えば、弦楽器のようなもの。

奏者が演奏前にチューニングをするが、弦の張り具合(tone)を調整して演奏に移る。

その張り具合が適切でなければ、出したい音が出なくなるといったように。




この抽象的なコンセプトは一つの発見であり、同時にカイロプラクターの立場を困難なものにしたことは否めない。


「脊椎サブラクセーションの追求」というテーマで、息子B. J. Palmerは生涯奔走したわけだが、

part 2では発展者 B. J. Palmerの追求した痕跡を簡単に見ていくことにする。


Thursday, June 22, 2017

追求

先日、「ストレートカイロプラクティックを知りたい」という柔道整復師が遠路遥々東京までお見えになった。


最初はTIC道キャプテン、嶋田慶三郎DCのオフィスへ行ったが、多忙な為話だけで終わり、チェックを受けたかったら近くにメンバーが居るからそっちでということでうちのオフィスに来られた。


連絡を受けた時はそもそも営業日ではなかったがオフィスにおり、しかも帰りの電車にのる直前だったが、絶妙なタイミングに「これも何かのご縁だ」と思いオフィスを開けた。



話もそこそこに、チェックをはじめると色々な驚きがあったようだった。


それもそのはず、

一般に認識されているものとは大きく違い、全く分野が異なるサービスを提供しているからだ



結果的に脊椎サブラクセーション状態であり、アプローチを行った。



まっすぐな眼を持った好青年で、一生懸命カイロプラクティックを理解しようとしている姿に、

かつての自分もこうだったのかなと思いながら全力で向き合わせて頂いた。



帰り際に、

「先生達は、生き様そのものがストレートですよね」

と彼が口にした。


カイロプラクティックはアイディア、根拠、実践がひとつになったもので、

単なる"手技療法"の一種ではない



私がカイロプラクティックから学んでいるのは人生そのもの。


そしてカイロプラクティックが自分の人生そのものになってきている。




彼が今後どのような道に進むにしても、

「カイロプラクティックとはこういうものだ」

という明確なものを掴んで頂けたら自分の仕事はできたかなと思う。



色々な思いをさせてくれた一夜に感謝!





Tuesday, June 20, 2017

基準

カイロプラクティック(ストレート)とそうでないものとの違いで、

「目的」に次いで決定的なものがある。


それが、「基準」


カイロプラクティック(ストレート)では何を基準に施術を行うかというと、

『クライアントの中にある基準』


カイロプラクティック(ストレート)以外は、

『一般平均を基準』としている。








『クライアントの中にある基準』とは、

その人をその人たらしめる内在する叡智、いわば生命の叡智を基準とするということだ。


叡智というと受け入れ難いかもしれないが、
あなたの身長、顔のつくり、腕の長さ、脚の長さ、内臓の位置、目の大きさ、骨格、各臓器、各器官系の機能などの、生命維持のために全身を完璧に制御する知恵を生まれ持っている。

私、志賀隆史の内在する叡智は私の全身を創り上げた張本人であり、今日までの29年間

休まず生命維持のために全身をくまなく制御している。

つまり、全身をどう制御すれば生命を維持できるかを知っているのは私の内在する叡智だけということ。

この内在する叡智が人によって違うからこそ個体差が生まれ、二人として同じ人間はいない。


だからこそカイロプラクティック(ストレート)では、

絶対的に正しいその人の内在する叡智を基準に、どういう状態が最適か、

いかに施術するのか、またはしないのかを判断する。

総じて、
基準はカイロプラクターの中にあるのではなく、クライアントの中にしかない





一方カイロプラクティック(ストレート)以外は、"教科書"を基準としている。

目の前の人を見ているわけではなく目の前の人と"一般平均人"という架空の人物を比べて、

目の前の人がいかに架空の"一般平均人"から逸脱しているか、そしてそれがいかに悪いことかを教え、

目の前の人を架空の"一般平均人"にさせようと矯正、強制する。


総じて、
基準はドクター、カイロプラクター、架空の"一般平均人"にある





決してカイロプラクティック(ストレート)以外が悪だと主張したいわけではない。

医療の重要性、必要性、そしてそれで救われる命が無数にあることは経験上、十分に心得ている。


優劣を議論しているわけではなく、カイロプラクティックのアイディアを知って頂き、

利用者の皆様が選択をする際にどういう違いがあるかを理解して選択した方が、

より人生を豊かにできるという提言として受け取って頂けると幸いだ。


人はみんな違う

Monday, June 19, 2017

アップデート

自分の成長、実践による進歩、理解の深化とともにホームページの内容をアップデート致しました。



https://www.tic-straight.com


URLも少し変わっているので、仮にご登録頂いている方は再登録をお願い致します。


より表現を洗練していき、より良いカイロプラクティックケアをご提供できるよう、

今後とも邁進して参ります!






Tuesday, June 6, 2017

カイロプラクティック哲学が"宗教"と揶揄されるワケ

「カイロプラクティック哲学」はほとんどの学校で教えられていない。

理由は様々あるとは思うが、個人的な考えをここでは展開する。




<1. 演繹法的前提>
「ユニバーサルインテリジェンスという宇宙全体を支配する叡智が有る」

果たしてこれをすんなり受け入れることができる人はどれだけいるだろうか?

個人的には"怪しさ満点"といった印象。

宗教で言えば"神の存在"を無理強いされているようだ。

宗教に熱心な方には全く支障のない概念だと思うが、観測、定量化、法則化できない限り

信じられない人にとってはとても受け入れ難い概念となる。



<2. 目に見えない>
ユニバーサルインテリジェンスにしろ、我々を生かすイネイトインテリジェンスにしろ、

目に見えない。

「百聞は一見にしかず」、「Seeing is believing」

それは宇宙人を見た人はその存在を信じ、見たことのない人は信じ難いことに代表される。



<3. 不確定要素は排除>
国が職業として認めるには、理にかなった根拠、膨大なデータ、確実性(再現性)が最も重要となる。

アメリカで"ドクター"という地位を得たカイロプラクターという職業を確立するには、

目に見えないもの、盲目的に信じなさいという姿勢は排斥される。

日本においてレーシック手術やインプラント治療が未だに保険適応にならないのも、

国民に不確定で安全安心なケアを提供できないからだ。



<4. 実践者が少ない>
私はカイロプラクティック哲学を実践している!

と自分で言うのでは意味はない。

他の人に「あの人は本当のカイロプラクターだよね」と言われて初めて、実践者と言えるのかもしれない。

文字に残したとしても、文字は本人の理解度によって多様な解釈をされて形を変えられてしまう。


やはり継承の理想は、人から人に繋ぐことなのだろう。




以上の4つのことから、

元来、的を得ているはずのカイロプラクティック哲学は受け継がれていない。

しまいには、カイロプラクター自身がカイロプラクティック哲学を抹消してしまっている事実も見られる。






だが同時に、哲学を語っているだけでは意味がない。

実践して初めて意味を成す「生きたカイロプラクティック哲学」が、

これからも受け継がれてい行くことを切に願い、これからも実践していく。


応援してくださるクライアントさん達に感謝しながら。


続く

Saturday, May 27, 2017

喜び

クライアントさんを見ていて嬉しい瞬間の一つに、

『自己基準』に基づいて行動するようになることがある。




それまではテレビや雑誌、周りの誰かが言った価値観に基づいて行動をしていたのが、

一度立ち止まって「私に合うのか、合わないのか」を考えながら試すようになったという方が多い。



実際にその人が必要としているものは効果を示すし、不要であればそれなりの結果を示す。




自分の基準に基づいて行動することは実はすごく重要なことで、

自分と他人は違うという、当たり前だけど忘れられている事実があるからだ。




<あなたの体はあなた専用にできている>


そんな個体差を創り出したのはあなた自身の生まれ持った自我であり、

あなた専用の体を適切に維持させるのに最も重要なあなた専用の自己基準は、

脳と全身の連携に問題がないことによって更に精密な判断ができる。


精密な自己基準ができれば、自分で判断、選択し、より豊かで内容の充実した日々を送ることができると思う。




オフィスに来てくださるクライアントさん達が、それを証明してくれている。

正確な自己基準に基づいて行動できるようになったクライアントさん達の笑顔を見られる喜びは、ストレートカイロプラクティックならではかもしれない。


そんな素晴らしい仕事に従事できることに感謝して


Tuesday, May 16, 2017

確かなこと

「確かなこと」に基づいてケアを提供することは当然の事。


それは全ての業種において最低限求められる姿勢だと思っている。


各業種において「確かなこと」は違う。


カイロプラクティックにおいて「確かなこと」とは、

・カイロプラクターには何も治せないこと
・生命維持のために神経ネットワークが必要不可欠だということ
・全身の統率を干渉する(スローダウンさせる)状態があるということ=脊椎サブラクセーション
・クライアント自身が主役(正解)であるということ
・適切な施術後は神経ネットワーク機能の正常化によって全身の統率が回復するということ



であり、以上の確かなことに基づいて私はサービスを提供させて頂いている。



決して、症状や病気が治ったり寛解することは我々の「確かなこと」ではない。



我々カイロプラクターは、不確かなことではなく「確かなこと」をもっと前面に表現する事が重要で、


それがカイロプラクティックの適切な認知に繋がると思う。



Friday, May 12, 2017

サクセス

先日、とあるカイロプラクターから聞いた話で

「サクセス=1日に100人以上を見ること」

という誰かの言った目標に向かって日々頑張っているカイロプラクターが多くいるらしい。


正直に言ってそんなに自分は見れないし、実践できている人は純粋にすごいと思う。




でも話を聞いていて残念だったのは、

成功の定義が他人基準になってしまっている

ということ。


それぞれに命の使い道は違うと思うし、自分の好きにできる環境にあるならば

自ら決めて実践していけば良いと思う。


でも目指すべきところが他人の価値観であった場合、終わりのない無限のループにはまる。



もちろん、自分のやっていることを評価されることは嬉しい。

評価される=存在価値を見出せるからだ。




でも、他人の価値観に生きているだけで自分の人生を生き切ったと言い切れるのだろうか?


結局のところ、自分の信念を貫き通すこと以外に成功はないと思う。




日頃、多くの価値観を目にしてそれがいつの間にか自分の価値観になる。

日々やっていること、生きることに虚しさを感じている人は、

一度自分の持っている価値観を見直すことも必要なのかなと思う。





それは本当に自分の価値観か。

本当にやりたいこと、貫き通したいことは他にないか。

限りある命を本当にそのために使いたいのか。




今も刻一刻と命の炎は燃え、ロウソクは短くなっていく。



Monday, May 8, 2017

GOLDENな一週間!

巷ではゴールデンウィークを楽しまれた方が多いと思う。


その中で私は、TIC道場の一環としてアメリカからD.C.(ドクターオブカイロプラクティック)を迎え入れ、レッスンの手伝いを行った。


決してお招きしたのでない。

昨年アメリカのカイロプラクティック大学を卒業されたD.C.が、

わざわざ純度の高いカイロプラクティックを学ぶために日本を訪れたわけだ!



彼はシャーマンカレッジという、かつてはピュアなカイロプラクティックを教えていた

唯一の学校を卒業したが、もはや教えられていない"TRUTH"(真実)を求めて日本にやってきた。


ストレスフルな学生生活をようやく終えた開放感と、

やっと自分が学びたいことを学べるという歓喜に満ち溢れた顔を見た瞬間、

きっと特別な一週間になるに違いないという確信めいたものを抱いた。



それは、自分もそうだったからかもしれない。

カイロプラクティックの大学であるにも関わらず医学の勉強に明け暮れる日々。

人体の仕組みを知ることは必要だが、立脚点がカイロプラクティックでなければ

もはやカイロプラクティックではない。

そんな悶々とする日々を、卒業後の"自由と権利"を得るために只管こなしていった。




ようやく"自由と権利"を得た彼と、TIC道メンバー、道場生との時間は皆がピュアに

カイロプラクティックを愉しんでいた。


大まかな内容は下記ブログをご参照いただきたい。

TIC道 ブログ



レッスン自体は3日間だったが、その前後は彼に日本文化とカイロプラクティックの関連性を

観光地や茶道、真剣の試し斬りなどで体感してもらった。



彼も間違いなく人生における重要なターニングポイントの一つになったと喜び、帰国の途についた。



また、会えるのを楽しみにして。


Thursday, April 27, 2017

カイロプラクティックの理解

あまりにもカイロプラクティックは多種多様な理解がされていると感じる。

クライアントさんから聞く話や皆が持っているイメージは、

「カイロプラクティック」と名乗る人たちが築き上げたものであることは間違いない。



現状のパブリックイメージこそが、カイロプラクター達自身が抱いているイメージとも言える。

つまり、カイロプラクター達の理解度が反映されているわけだ。




<用語の意味付けが違っていれば、行動の趣旨が変わってしまう>


言葉や用語の意味付け自体に差があることは日常でもよくある。

例えば、「ケーキ」という単語を見て何を連想しただろうか?

  • イチゴの乗ったショートケーキ
  • パンケーキ
  • パティシエ
  • 甘い
  • 好き、嫌い
  • コーヒー、ウイスキーに合う
  • 誕生日、めでたい
など、挙げた他にも無数に連想される。


子供がいる人には身近なことだと思うが、いない場合は子供の頃を思い出してみよう。

子供は皆、アレ何?コレ何?それってどういう意味?と多くの意味を親から受け継ぐ。


そこで仮に親の認識が間違っていたとしても、それはその子にとっては正解になる。




カイロプラクティックにおいても同じことが起きている。

カイロプラクティックを名乗る人や、教える人の意味付けに差があるために、

その人に追従する人達はその意味付けを元に世の中を見るようになる。



つまり意味付けが違っていれば行動の趣旨も変わってきてしまうために、多様性が存在する。




ある意味ストレートカイロプラクティックはその多様性の一つではあるが、

私にとっては最も本質を捉え、納得でき、豊かに生きることができるもの。



もしカイロプラクティックの理解で苦しんでいる、

カイロプラクティックはこういうものじゃないはずだ、

イネイトインテリジェンスって何?、

ユニバーサルインテリジェンスって何?、

メンタルインパルスって何?、


などの疑問があれば気兼ねなく連絡してください!



Wednesday, April 26, 2017

100%

人の生きようとする力は、常に100%働いている。

それは100%から下がることはなく、生きている限り100%。



多くの人が誤解している事だが、カイロプラクティックの実践において

「その力が100%発揮できているか」という事を見るわけではない。

なぜならそれは常に100%だからだ。




我々のターゲットである脊椎サブラクセーション状態は、決して50、70、90%の状態ではない。

生きようとする力は死ぬまで決して減らない。

だから生命力に強いも弱いも存在せず、ただ100%か0%という状態があるだけだ。

生きている=生命力100%



生命力と混同されているのが仕事率だ。

仕事率とは ある一つの目的を達成するために一定時間内で何割完了できたか を示し、

その場合に仕事率は100%未満になる事は当然ある。

生命力 ≠ 仕事率
仕事率 ≦ 100%



例えば「1分間で100粒の小豆を右の皿から左の皿に一粒ずつ移動させる」という仕事で考える。

1分後、左の皿に100粒移動できた場合は仕事率は100%
1分後、左の皿に80粒しか移動できなかった場合の仕事率は80%
(その人の持っている肉体的な限界内では100粒移動できるとする)



我々カイロプラクターが問題視するところはここで、

生命力を100%に戻すという事ではなく、肉体の限界内で仕事率を100%(最適)に戻すということだ。



Saturday, April 15, 2017

人生の成功を願う

「人のため」とは一体何が正解なんだろうか。


目の前のクライアントやTIC道場の道場生、多くの人と向き合っていると必ず顔を出すテーマだ。


それは人によってアプローチは違うと思う。

むしろ違ってて良いし、いくつもの正解が必要だとも感じている。



私の信じるところは、
本人に考えさせ、本人に行動させること


ヒントや答えを相手に与えて、思考や行動を変えようとする人もいる。

でも結局、力づくでも他人は変えられない。

気づかせようと思っても、"その時"が来ないとその人は気づかない。

その人が本当に変わりたいのであれば、真剣にその人は考え、必ず行動に移す。



目の前の人を信じているのであれば、

本人に委ねることが、その敬意と信頼を表す一番のアプローチだ。






結局のところ『どれだけ自分を持ち、貫き続けられるか』が人生における成功だと考えている。


目の前の人の成功や幸福を願うのであれば、

本人に考えさせ、本人に行動させなければ、

その人の人生における成功はない。



カイロプラクティックを通して、より多くの"人生の成功者"の後見人になれることを嬉しく思う。

Wednesday, March 29, 2017

何故カイロプラクティックなのか?

日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース2時間SP」で、
昨年2月上旬に"カイロプラクティックを受けて死亡した"とされるモデルのケースが紹介されていた。

このケースの論点は無数にあるが、現状という点のみをここでは書きたい。


見た印象としてカイロプラクティックの現状は 中途半端 のひと言。

医学にもなりきれず、カイロプラクティックにもなりきれていない。



WHOで定められている教育基準は、医学的な内容がほぼ10割を占める。

しかしながらカイロプラクティックとしてのアイデンティティを保つ為なのか、
微々たる独自性?を固持しようとした結果、存在価値を下げている。



それは自分がマードック大学で医学を学んでいた時に自分に問うた言葉


"私はカイロプラクターです"と言うことに誇りを持てるか?

 に尽きると思う。


今やっていること、カイロプラクティックと名乗ることに胸を張れるのだろうか。



医療もどき、カイロプラクティックもどきではなく、
ザ!医療、ザ!カイロプラクティックというものであれば、無意味な否定のし合いは終わり、何よりも利用者の利益に繋がる。



いかにも中途半端な現状が、放送を通してより明確化した。

このままで良いのか、カイロプラクティック。


Tuesday, March 7, 2017

北海道の太陽! part III

東京に戻る時間が迫ってきたときに、

太一先生が今の僕に伝えたいことを一生懸命車の中で伝えてくれた。


「苦しい時こそ、信じる」


色々な相談をさせて頂いたが、その言葉がすごく奥深く心に入って来た。

暗闇にいる時こそ、自分を信じ、家族を信じ、クライアントを信じ、

そしてカイロプラクティックを信じてとにかく前に進む。

そこで確信がないのに施術をしてしまったり、

わざわざ遠くから来て頂いたからそのまま帰すのは申し訳ないとか、

優しさのようで長期的に見れば余計な事をしてしまい

思わしくない結果に全ての否定に進んでしまってしまいには

カイロプラクティックをやらなくなるというパターンが多い。



そこを太一先生は乗り越えて、

ストレートにカイロプラクティックケアをあの広大な北海道で提供している事を嬉しく思った。


一人でいると自分の悪い所ばかりを意識して悪循環が続いてしまっていたけど、

太一先生と色々お話してもっともっと自分のやっていることに自信を持って良いんだ

と気持ちが軽くなった。


至極当然の結果しか起きないけど、

その当然は奇跡と言えるご縁の積み重ねである事を改めて感じた時間になった。


太一先生とのご縁に感謝!

益々、頑張っていきます!!


太一先生、ご家族、北海道のカムイ達、素晴らしい時間を有難うございました!

北海道の太陽! part II

当初は太陽カイロプラクティックに行ってそのまま東京に戻る予定でいたが、

太一先生がせっかくなのでと言って、

旭川のみならず、白老、登別、札幌、小樽、美瑛へ連れて行って下さった。

アイヌ民族博物館、登別の温泉、札幌市街、小樽運河、白ひげの滝などの多くの

スポットへ行って北海道の大自然と温かい北海道民に触れることができた。



そんな太一先生は10歳以上も離れているのに、

僕を「志賀先生」と呼び、敬語で接して下さる

決して皆から先生と呼ばれたい、敬語で接して欲しいという訳では無い。



どんな人からも学ぶところがあると信じ畏敬の念を持って同じ目線で接して下さる。

こんな人は初めてだった。


果たしてそれが自分にできるかと考えたら、

全く何の役にも立たないプライドが顔を出すと思う

自分の方が年上だから
自分の方が色んな経験をしてるから
相手はまだ子どもだから

そんな下らない条件付けで相手よりも優位に立とうとしてしまうかもしれない。


それぞれの立場や個性やキャラクターもあると思うけども、

僕は太一先生のように無条件に相手を同じ人間として、

対等にそして畏敬の念を持って接するような人間になりたいと思えるほどに、

人としての在り方を魅せてくれる、まさに太陽のような方だ!


part IIIに続く

北海道の太陽! part I

3/4〜3/6まで北海道の旭川に居る尊敬する方に逢いに行ってきた

急に行く事になったにも関わらずご家族を含め快く受け入れてくださり、

忙しい中目一杯に僕と向き合ってくれた。



その方が、太陽カイロプラクティックの水谷太一先生。

太一先生とは約3年前からの付き合いで、初めてお逢いした時から

僕にとっては何か特別な魅力を感じる人だった。


カイロプラクティックに熱く、20代の頃から何度も一流のカイロプラクティックを提供するべく

北海道から東京、沖縄、時にはアメリカまで幾度となく足を運び、

自らの眼、耳、手、足、全身で吸収しようとする姿は側から見て感じずには居られないほど。

僕にとっては「こんな人になりたい」と思わせてくれた本物の人格者だ。

あまりそう言うとご本人は照れてたが(笑)、

お世辞抜きで誠実で紳士で熱くそして温かい心を持っている方。

そんな今の太一先生があるのは過去の多くの試練を乗り越えて来たからこそだ

というのが話を聞いて行くとわかった。


しかもその多くの試練は、

決して一人ではなく奥様の存在があったからこそ乗り越えられてきたのだと思う

だからこそ16周年を迎えた太陽カイロプラクティックは、

未だに前進し成長して更に多くのクライアントさん達に

ストレートカイロプラクティックで貢献して幸せを創っているのだろう。


part II に続く

Friday, March 3, 2017

習慣

ヒトが習慣的にある行動を繰り返すには、

それによる"報酬"があるからだと言われている。

結果的にその"報酬"が自分の存在意義や安心感に成って繰り返してしまうんだと思う。



とあるきっかけから行動に移し、報酬を得る

つまり、

きっかけ→行動→報酬→きっかけ→行動→報酬…



そのサイクルを繰り返す事によって、

どんなことでも簡単に習慣化する。


現状を見直し、それを変えたいと思うのであれば

行動を変えてみる。



最近、自分でも変えてみた事がある。

Facebookを事実上辞めた。


Facebookが常習化してしまい、

ふと、有限の時間を取られていた事に気付いた。


行動を変えた事でやらなければならない事、やりたい事に集中できるようになった。



ヒトは"報酬"無しに生きていけないと思う。

習慣化するならばどのようなことを習慣化させた方がより幸せになれるか、

そしてどうすれば本当の意味で目指す"報酬"を得られるか、

Educated intelligennce(後天的知能)レベルでできる事はある。



でも、根本的に脳と全身の連携がうまくいっている方が変化は起こしやすいと確信している。



チカラは活かし方次第!

そのチカラを活かすサポートができるのも、

カイロプラクティックを実践していく上での醍醐味のひとつだ。

Thursday, March 2, 2017

如何に

毎月等々力の "SPECIFIC in ChiropracTIC care" にて、

三宅誠先生の下グリーンブック勉強会を開催している。

そこで学ぶ上で最も重要なひとつのメンタリティがある。


『如何にやらないか』


我々カイロプラクターが対象とするのは、

脳と全身の連携に支障を与える「脊椎サブラクセーション」という状態。


その脊椎サブラクセーションの背後には、

生命という一番尊く、正体不明のの存在がある。


そんなの存在と共に仕事をするカイロプラクターとして、

如何に余計なことをしないかが必要不可欠な要素だ。


それは、長年色々と試行錯誤して実践してきたからこそ気付けるメンタリティでもある。

まずはやってみる。

その後に、『如何にやらないか』という価値が生まれるのだろう。

ある意味矛盾しているようで、一本の延長線上にある《在り方》を肌で触れられる唯一の場所だ。



Monday, February 27, 2017

芸術

東京という環境を利用して、芸術と言われるものに触れる機会を意識的に創っている。

そこでひとつ、様々な芸術の共通点が見えてきた。


『対極一体』


芸術家は相手がいて初めて自分を表現出来る。

かといって、
相手を意識せず自分の言いたいことだけを押し付けたり
自分を押し殺して相手に巻かれる

それでは生きる実感が得られない。

誰しもみんなが対極的な側面を持っているけれど、

どちらかに偏っていては伝えたいことは伝わらない。


世界的に活躍されている芸術家や表現者は、

そんな対極的なものを包括して自己表現をしている。




私の仕事に関しても、相手がいてこそ成り立つ芸術活動のひとつ。

ストレートカイロプラクティックは対極的なもののど真ん中で

生命の素晴らしさを表現できるものだと思う。



自らの感受と表現を更に磨いて、より多くの人に伝えていきます!

Sunday, February 5, 2017

Patience 忍耐

相手を信じ、その人のイネイトを信じるというのは、時間を与えるという事。

本人にはそのプロセスが苦痛な時があるが、本人自身を信じてもらいじっと待つ。

彼女もまた、貴重な限られた時間の中でじっと体に時間を与える事の重要性を結果として示してくれている。


Titre: Patience 忍耐

月曜日にフランス語で教育学の試験を控えてテンションはもうおかしくなってます。
昨日も深夜まで勉強した、そして今日は起きれなかった。というか起きたんだけど、からだが正直すぎて嫌だ。
いま寝ないとからだがもたない、きっと後に響く、ちゃんとオルガナイズしないで夜まで勉強した私が悪い、練習したい、いろんな気持ちになった。
彼氏はカイロプラクター。そんなこと関係なく、カイロプラクティックを知って施術を受けたその帰りから、私は人を見るようになってしまった。だって、馬鹿みたいだから、自分はアジャスト直後で苦しい、ちゃんとからだを元に戻すためにやってるのに、なんでなにも感じてない人何普通に生活してるんだって、なんかとにかくどうでもいい苛立ちで家に帰ったのを覚えてる。
今日の帰り道、私はふと思った。

カイロプラクティック=忍耐力

なのかなって。
それだけじゃないのはわかってるけど、私から言えばいまはその一言。
でもそれはカイロプラクティックだけじゃない、誰だって生きてたら耐えて前に進まないといけないときがある。練習もそう。なんでゆっくり練習するの?
なんのために生徒と向き合って、できの悪い生徒でも、それを信じて長い目で見て教えるの?直感?
カイロプラクターは忍耐力がなかったらきっと、なれないよね。
クライアントさんのイネイトを信じて、少しでも人の心が動くのをまちながら、日々大切な人と向き合ってるのか。

整体はすぐに反応が出る、でも、私は長続きしなかった、その場で良くなって、すぐに元に戻る。でもいままでの私は、その場で少しでも楽になってすぐに元の生活に戻ることしか考えなかった。鍼もそう。
音楽は自然だから、無理して弾くことじゃないの、体が無理な状態で表現することじゃない。先日私の先生の音楽仲間である、Madeleine Carruzzoさんのマスタークラスを受けました。モーツァルト。
すごく難しい。みんなからしたらモーツァルトってすごく聞きやすい音楽だとおもう、だから私たちにとっては難しい。素晴らしすぎるこの曲を自分が感じてるままに表現することは容易ではない。
でも今の私はそれができる。
音はその人の人生そのもの、音楽もそう。
私がこの約5年間?体と向き合うこともしなかったら、私はなにも変わらなかったとおもう。
私は確かに、毎日制限を感じて生きてます。体がそうやって反応してしまうから。それは人によっては嫌がる人もいると思う。私も最初は嫌だった。でも、ここ最近、自分が変わったと実感してる。
私がやりたいこと、まだこれからもっとできると思うから、信じて前に進みたい。
焦りすぎてしまうけど、自分の足でちゃんとあるいていきたいから、体や気持ちの変化に耐えることばかりかもしれないけど信じて頑張りたい。


Thursday, January 19, 2017

カイロプラクティック

ジュネーヴで自分と音楽に真っ正面から向き合っている彼女のブログ。

「自らを知ることができる」
そんなカイロプラクティックの醍醐味を体現してくれている。




Titre: カイロプラクティック

カイロプラクティックを知って約6年目、わたしの体は完全に変わりつつある。
ノーアジャストになって一年と約3ヶ月、4ヶ月目が経とうとしている。
ノーアジャストから一年を過ぎたとき、わたしは毎日の生活で、自分という瞬間を感じる。
わたしってこんなに体丈夫なの、なんか反応良すぎて自分でもウケる、目を覚ますためにコーヒー飲んでても結局寝不足が勝つし、眠いし、寝不足で学校行ってやっぱり無理ってなるし、朝ごはん食べるといつも食べた分だけ体重くなるの感じてだるさが増す。
新しい靴がいくら欲しくたって、ほとんどの靴が足に、というより体に合わない。ジュネーブで靴を買うことなんてほとんどないけど、どうしても買わないといけないとき、わざわざコートの下、ジャケットの下に身につけるポシェットをとって、リュックを下ろして、身軽にして両手を前に差し出して、カイロプラクターが私にするように、私は手首を自分で回してズレをみる。
わかんないけど、靴によっては体は固まる。変な物が身体中を走る。
だから私ってやっぱり変なんだって思う瞬間がある。自分が馬鹿正直で笑える。

カイロプラクティックが何かなんて今も本当にわかりません。
でも、カイロプラクティックを通して、自分の可能性、自分を知ることができてる人はここにいます。自分にびっくりするんです。
こんなに疲れてても、こんなに苦しくて、くじけそうになっても、私は病気一つならない。強がってるのかって思うけど、別にそうでもないらしい。
疲れてるけど疲れてない。
先日、ある記事をシェアした人がいました。その方は無縁ですが、詳しいことがわからない私には、その方も同じようなことをやっているのに、自らがやっていることを否定する記事をシェアしていて、とても不思議な気持ちになりました。否定というところではなく、全く理解ができませんでした。
ひとは必ずしも誰かと比べることは、何回もあると思う。
私は今、ピアノ独奏ではなく、アンサンブル奏者としての勉強に専念しています。パートナーとはすでに三年目。自分の存在感を今まで以上に感じて生きてます。
人は、ひととひとが支え合ってできている。本当にその通り。
誰も見返りを求めない、ただ目の前に私の存在があるから、それだけが支えになることだってある。
私は音楽を通して常にそれを感じてる気がする。
私が今やってることは、一人でいくらうまく弾けても、形になりません。一人のために作曲されてないから。でもメンバーそれぞれが主張すると、音は喧嘩するどころか、一つの形になる。

比べた時点で、存在って消えるんだなって。

カイロプラクティックの醍醐味ってなんですか。
カイロプラクターってきっと大変な仕事だと思うけど、私みたいなクライアントいたら、気楽になる?
ほんとにね、最近とくに、自分にびっくりするの。
私って変だなって、自分で笑うよ。

少しでも私の感じてること伝わったらいいな、カイロプラクティックを知らないひとにも、いつか興味持ってもらえるときくるかな。
勧誘とかしたくない、ただ、ただ、もっと変な私がこれからも飛び出して、そこに自分で気づいて何回笑うときがあるかな?って考えると、なんだか楽しいの。




Wednesday, January 18, 2017

祖母

1月13日、鹿児島の祖母が生を全うしたと連絡があり、鹿児島へ向かった。



実は年明けに帰省した際に、祖母に顔を見せることができていた。

そこでは以前に会った時とは別人のように痩せ、喋ることもままならない祖母の姿があったが、「わかるね?」と言うと、いつもの可愛らしい笑顔でニコッと応えてくれた。




正直そこまで鹿児島の祖父母と濃密な時間を過ごしたとは胸を張って言えないが、今一度祖母のことを振り返ると、今の母親が居るのはやはりこの祖母があってこそだなと思った。



真面目でブラックジョークが通じないところや、手造り料理、裁縫、家庭菜園が好きなところ、伝統的な行事を大切にするところなどなど、挙げればキリがない。



本当に絵に描いたような田舎のおばあちゃんだった。


じいちゃんとばあちゃんがいるからこそ、母がいる。

父と母がいるからこそ、僕がいる。



そんな当たり前のことが、何か新鮮に感じられた。




二人とも、本当にお疲れ様でした。