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Friday, December 8, 2017

フシギ

クライアントさんの施術後の変化を聞いていると、

「ホントに生命の力はフシギだな〜」

と思わされる。




 なんでそんな事が起こるんだろう?

 どうしてそんなところに変化が出てるんだろう?

 まさかそういうことが起こるなんて!




そして時間と共になぜか生きやすくなっていく人が多い。


そんなクライアントさんに対して、

「〇〇さんの力は本当にすごいですね」

としか言えない。



その人を変える力は私には無く、

その人にしかその人を変えるフシギな力はないからだ。




ホントに、フシギだ!

真実はどこに

 一体何が正しいのかわからない

 誰が正しいのだろう

 真実は一体どこにあるのだろうか




どんな分野でも「?」を追い求めている人が直面する壁だと思う。




最近特に実感するのが、

真実は自分の外側には無いということ




その人にとっての真実は、その人の経験とその意味づけしかなく、

他人がとやかく言ったり、決めつけることではない。


私がクライアントさんの検査をするときも、

クライアントさんの感覚を外側から決めつけることはしないように意識している。




実体のない脊椎サブラクセーション状態だからこそ多くの客観的な指標を必要とするが、

客観的な指標によってその人を決めつけることもおかしな話だ。

寧ろ、他人には決めつけられないことなのかもしれない。




オフィスに来られるクライアントさん達は、

ある意味、カイロプラクターから"決めつけられるため"に来ている。



それでもカイロプラクティックケアによって快適な状態を経験していくと、

『信頼すべき真実は自分の内側に在る』と気づくことができると思っている。



そのアイディアを自分のものにできた時、

BJの云う"THE BIG IDEA"を掴んだという事なのかもしれない。


Wednesday, November 15, 2017

セルフレギュレーティングシステム <自己統制>

パソコンに『ソフトとハード』があるように、

人の体にも『ソフトとハード』がある。



『ハード』はもちろん、肉体の事。

では『ソフト』は何だろう?



それは生命を維持しようとするシステム、

 "Self-Regulating system(自己統制システム)" だ。


食事をすれば必要なものを取り込み、不要なものを排泄する

寒くなれば震えて熱を作り、暑くなれば汗をかいて体温を下げる

命のバトンをつなぐために生殖する

古い細胞を新しい細胞に作り替え、必要な大きさまで成長させる



みんなが両親からもらった最大のギフト、

それが "Self-Regulating system(自己統制システム)" 。



カイロプラクティックでは、

 "Self-Regulating system(自己統制システム)" を機能させる神経の変調を見定め、

同意の上、神経に影響を与えている脊椎にアプローチする。


そうすれば "Self-Regulating system(自己統制システム)" が自動的に、

無理のない範囲で様々な問題を処理してくれる。


カイロプラクティックはそんな常識に基づいている。






Monday, November 6, 2017

いのちの力

日々、クライアントさんの力には驚かされる。


それらは私が起こした現象ではない。

だからこそ、余計に感動する。


それはまるで、

赤ちゃんが何を教えるわけでもなく “勝手に” 成長していく過程を見るように。




〇〇が改善した、〇〇が治った、〇〇が消えた!などの現象は一切書かない。

なぜなら、それは私がやったことではないから。

クライアントさん自身が起こした現象だからだ。


あたかも、

『入念に手をかけなければいけない』と相手を “無知で無力なもの” と思っている人が多いが、

実際に手をかけるのは最小限で十分。





人には、その人を変える力がある。

あなたにも、あなたを変える力がある。


もちろん一筋縄じゃいかないこともあるけれど、

そんな「いのちの力」を目の当たりにできるこの仕事は、

やっぱり奥が深く、最高だ!


Monday, October 23, 2017

もう一人の自分を知るには

前回のブログで出てきた "もう一人の自分"。

それは後天的に得た知識や過去の経験に基づいた上での自分ではなく、

普段の生活では気付かない自分。



そのコンセプトを伝えるのは難しいが、

植物を見れば理解しやすい。


植物はただ黙々と生きようとしている。

何も主張はしない。


与えたれた環境で、

ただひたすらに根を伸ばし幹を伸ばし葉を生い茂らせ花を咲かせ実をつけて生きようとしている。

しかも季節によって、

何をやるべきか、どうすれば生きていけるかを誰から教わるでもなく "勝手に" やっている。



あなたは、

今の状況で必要な心拍数、血糖値、血圧、コレステロール値、各ホルモン量、自律神経のバランス、脳内での情報処理、代謝、修復などなど、生きるためにどうすべきか頭でわかるだろうか?

全てを同時に考えて、生きるために必要な全部をコントロールしているだろうか?



そう、誰もが簡単にわかるように、

それは誰に言われるでもなく "勝手に" コントロールされている。


では誰が勝手にコントロールしているのだろうか?

それがあなたの中にいる "もう一人の自分" だ。

ただひたすら、

与えられた環境で生きるためにやることをやっているだけの "もう一人の自分" が、

寝ても覚めても常に頑張っているからあなたは生きていられる。



 "もう一人の自分" は黙々と、

今もあなたの中で頑張っている。


伝えたいコト

初回のクライアントさんにこちらの想いを伝えようとすると、

必ずと言って良いほど上手く伝わらない。

伝わったとしても、

おそらくこちらの意図したところの1%くらいだ。



それでも毎回仕事を全うし、

何度か来て頂くにつれてようやく徐々に想いが伝わっていくのを感じる。


すると、面白いことが起きる。

その人自身、ご自分と周りの人に対する向き合い方が自然に変わってくるのだ。



私がケアを通して伝えたいことは、

あなたの中に "もう一人のあなた" がいて、
あなたが寝ていても、起きていても、どんな時でもあなたを生かそうと頑張っている。
あなたの都合もあるけれど、どんな状況でも生きようと影で頑張る "もう一人のあなた" の都合もある。
その "もう一人のあなた" の頑張りを無視せず、ちゃんと向き合って欲しい。 
そして 、あなたと "もう一人のあなた" で唯一無二の豊かな人生を切り拓いていって欲しい。



これがそのまま伝わるまでには、忍耐が必要だ。

ただ伝われば、

本当に世界が変わると確信している。


Friday, October 13, 2017

ダム

ダムの役割は何でしょうか?

それは大雨が降った時に洪水を防ぎ、

下流域に水が必要な時に供給するためにある。




実は人の体にもそれと似たようなシステムがある。

次々と降りかかる雨という名のストレス(精神的、物理的、化学的)があまりにも多いと、

下流にある身体を壊してしまうため、

上流で雨水を一時的に堰き止めることがある。



時折、下流に水が必要な時は、

足を組んだり、片足立ちしたり、頭を傾けたりして、

下流に水を供給することもある。




でも上流で堰き止めている状態が長く続き過ぎると、

下流にある身体に水が十分行き渡らずに、

物質である肉体に不具合を来すことがある。






このように、上流で雨水を堰き止めて下流にそのまま水を流していない状態を

脊椎サブラクセーション状態とカイロプラクティックでは言っている。




ダムにはダムの役割がちゃんとある。

カイロプラクターである私の仕事は、本人が望むのであればダムを開通させる事だ。


Wednesday, October 11, 2017

善悪は無い

脊椎サブラクセーション状態を『悪』だと思っている人が多い。


とんでもない。


単に、過剰な負荷から身を守るために自ら "脊椎サブラクセーションモード" になっただけだ。





自分を存在させるためには体という物質が必要となる。

その物質を存在させるのに不都合な過負荷がかかると、

その過負荷を鈍化させる(情報量制限)モードに切り替える。



その状態が継続され、物質的な変化までに至ったのが "脊椎サブラクセーションモード" だ。

"脊椎サブラクセーションモード" になったとしても時折そのモードを切り替えることがある。


それが足を組んだり、片足に体重をかけて立ったり、頭を少し傾けるという行為(クセ)。

(普段足を組む人は、組んだ時と組まない時で呼吸や体の動きを確かめればすぐにわかる)





"脊椎サブラクセーションモード" は情報量を継続的に自分で減らしているからこそ、

不具合を生じさせることもある。



カイロプラクティックの発祥は、

その"脊椎サブラクセーションモード" が一要因となった耳の不具合が、

手によるアプローチでたまたま解消してしまったために、

D. D. Palmerによって "新たな治療法" と銘打って世に生み出された。



理論も根拠も独自性も不十分だった当時は"脊椎サブラクセーションモード" に対する解釈も違ったが、

現段階における私の解釈では"脊椎サブラクセーションモード" に良いも悪いも存在しない。


ただあるのは後天的な価値観による判断だ。



Tuesday, October 10, 2017

誰が主役か

実践の中でクライアントさんの抱えている悩みが消えることがある。

そうすると、

クライアントさんの頭の中には一つの方程式が出来上がる。


『カイロプラクティックによって治った、解決した』と。



しかし、

一番問題なのはその方程式が "カイロプラクターの中" にできてしまうこと。

自分が治した、良くした
施術したから良くなった


それは飛んだ思い違いだ。


クライアントさんの抱えている悩みが解決する姿を目の当たりにすることは素直に嬉しいが、

それは私が起こしたことではない。


クライアント自身がご自分で問題を解決する力があるだけの話。



私がカイロプラクターとして行ったことは、

全身の情報のやり取りを最適化するよう手を貸しただけ。



それ以外はクライアントさんがやったこと。




クライアントさんには、

あなたが頭で考えている以上にすごい力がある。



Thursday, October 5, 2017

無知であること

カイロプラクターはアメリカなどで "ドクター" という立場が確立されている。


"ドクター" と聞けば、

何でも知っている、頭が良い、すごい、かっこ良い、尊敬する

という印象が一般的だと思う。


そして実際に、

そうなりたい、そうでいなければならないと思って誰かの情報を一生懸命学ぶ。








先日、等々力のSpecific in ChiropracTIC careでのグリーンブック勉強会で更に学びがあった。


『我々カイロプラクターは無知であること』

それが重要だ、と。


グリーンブックに度々出てくる "ignorant" =「無知」という単語。


短く、端的に言葉で表現するのはその言葉の重みがそのまま伝わるかが難しいが、



クライアントの体のことは、そのクライアントを存在させるものにしかわからない。

「"ドクター" だから」と生命のことを網羅しているわけではない。

なぜなら、その人を生かしているのは他人である "ドクター" ではなくその人自身だからだ。


そして "ドクター" だからと知ったかぶりしたり、

新しい情報を次々取り入れ、
来る人皆にそれを押し付けることに忙しくするのはカイロプラクターのやることではない。


カイロプラクターは知識や一般平均を他人に押し付けないからこそ、

無知である自覚が重要だ。






『カイロプラクター』にとっての先生はクライアント。教科書や一般平均人ではない。

目の前のクライアントの表現を的確にキャッチし、

どうなれば『カイロプラクター』としての本分を全うできたと判断するのかを明確にし、

そして目の前のクライアント専用の最適な処置を施す。



それが『カイロプラクター』である私のスタンスだ。



Tuesday, October 3, 2017

解釈のひとつ

私が主張するカイロプラクティックの解釈は数ある解釈のひとつに過ぎない。

「カイロプラクティック」

と一言で言っても、

人の数だけ解釈の仕方がある。



それは人それぞれイネイトインテリジェンス(自己を存在させる叡智)が違うからだ。

人は主観から逃れられることはできない。

他と境界線を持つ『自己』である限り、

主観という解釈は人の数だけ存在していて当然だからだ。


そして例外なく、

主観という解釈はその本人にとっては揺るぎない真実であり絶対的に正しい真理だ。





それでも私の解釈に興味を持ってくれるクライアントさんやカイロプラクターもいる。

そんな考え方があったのか、視点が180度変わったと感動してくれる人もいる。

それはおそらく、

私自身が解釈をより深くより広く探求しようとしているからだと思っている。



常に自身が成長することを諦めなければ、

私自身がカイロプラクティックによって人生が変わったように、

何かを本気で変えたいと思っている人の後押しはできると確信している。


カイロプラクティックにはそんな、

シンプルな中に無限に広い世界がある。



Sunday, October 1, 2017

小さなことは大きなこと

日々の実践でカイロプラクティックケアはどんな人にも力になれると確信している。

その中でも特に、

現状を本気で変えようとしている方には真価を発揮する。



実際に私のやっていることはほんの "小さなこと" 。

数ミリ単位の椎骨の偏向性と脳・脊髄神経系への影響を見定め、

必要があればたった "一発" のきっかけを提供する。



たったそれだけの "小さなこと" で、

想像を遥かに超える大きなことが起こる。


時間と共に、

提供したその "小さなこと" がどんどんと大きな差を生み出す。




例えて言えば、

100km先にある目的地に向かってまっすぐ歩く時、

"たった1° " 方向性がずれただけでも目的地には辿り着けない。

ましてや、"たった1° " ずれただけで、

どんどんと目的地から離れていってしまう。

同じ時間を使ったとしても、

結果は歴然としている。




そんな "小さな仕事" を私は提供させて頂いている。

私にできることは "極めて小さなこと" 。

その "小さなこと" に価値を見出してくださる方々の力になれるよう、

もっともっと "小さな" 鍛錬をしていかなければと更に身が引き締まる。




Thursday, September 21, 2017

必要があるからそうなっている

クライアントさんと話していて、いろんな悩みを相談されることがある。


「もう歳だから無理ですよね」「〇〇がすごくコンプレックスなんです」「〇〇は良くなりますか?」



私はその悩みに対して何かをできるプロではないが、

そういう時にカイロプラクティックのアイディアを伝えるようにしている。

<何が要因でそうなったか僕にはわかりませんが 、体がそうせざるを得ない状況が有るからそうなっているんですよ。体は無駄なことはしないんです>






例えば、畑仕事をしているおばあちゃんがいる。

そのおばあちゃんは毎日畑仕事をしているために、背中が曲がって色々と不自由を被っている。

そんなおばあちゃんに対して、背骨はまっすぐが良いですよ!なんて他人が言ったところで、

体は毎日長時間の畑仕事をしやすいように体を変化させている。

なぜなら、体は与えられた環境で仕事をこなす(生きる)ことが第一命題だからだ。


仮に手術でまっすぐにしたとしても、日課である畑仕事がやりづらくて仕方なくなってしまう。

果たして、おばあちゃんの人生にとってはまっすぐにすることが正義なのだろうか?





ムキムキマッチョの人も、

何十キロ、何百キロの重りを持ち上げる状況をその人が体に与えるからこそ、

体はその状況に対応できるように筋肉をつけただけだ。






何が良いか悪いかの価値判断は本人に選択権があるので細かい話は抜きにするが、

体はそうする必要があるからそうなっているだけ

というシンプルなカイロプラクティックのアイディアを伝えるようにしている。


Monday, September 18, 2017

感謝!

9月18日はカイロプラクティックの誕生日


カイロプラクティックという職業がこの世に生まれて122年目に突入した。



そのお陰でご飯を食べさせてもらい、多くの人と出会い、多くの経験をさせてもらい、

そして大事なことを教えてくれる。





カイロプラクティックのアイディアを目の前の人達に伝えていき、

それぞれの特性が活きたオンリーワンの花を咲かせられるよう、

感謝を込めて全力を尽くしていくと改めて誓った。




Wednesday, September 13, 2017

心持ち

心の持ち方ひとつで体の表現は大きく変わる。



カイロプラクティックの表現方法としてターグルリコイルという手法を実践する時、

心の持ち方を間違えると、

見た目は似ているかもしれないが全く異なる表現になってしまう。



その心の持ち方は、

カイロプラクティック独自のアイディア(哲学)の理解度次第であり、

それを深めれば深めるほどに表現が磨かれてくると身をもって実感する。



体使いは心使い、心使いは体使い


その繋がりを干渉する"無駄な贅肉"を落としていく作業は、一生を懸ける価値がある。


Saturday, September 9, 2017

開業する意義

クライアントさんになぜ開業しようと思ったかを聞かれることがあるので記録として残しておく。





初めて真のカイロプラクティックケアを受けた時の感動は今でも鮮明に覚えている。



『カイロプラクティックを通して自然の素晴らしさを示していきたい』と、

"ストレート"カイロプラクティックを受けた直後に自分が送ったメールをたまたま見つけた。




カイロプラクティックはその人の自然の力と共に仕事をする。


特に症状を治したいと思って行ったわけではなかったが、

カイロプラクターのSPECIFICなケアだけで、

自らの力が体の中で躍動している感覚と、時間を追うごとに自然に体が変化していく事実に、

なんて奥深くて素晴らしい職業なんだ!と当時22歳の小僧は衝撃を受けた。




私の意味する「自然」とは、雄大な山々、生い繁る緑や川のせせらぎということではない。

自らを存在させる力、自分を自分として存在させるものであって、

簡潔に言えば『生命(Innate life)』ということ。


カイロプラクティックはそんな、

唯一無二であるその人の生命の素晴らしさをストレートに再認識できる素晴らしい職業だ。







オフィスに来られる人たちは、生命だ自然の力だなんてことはどうでも良い。

ただ開業することで生命の素晴らしさを多くの人が気付いたり、再認識できる一助となればと思い、

今日もまたカイロプラクティックケアを提供させて頂いている。





Thursday, September 7, 2017

体との向き合い方


「どうしてこうなったんですかね?」

「どうすればこうならずに済みますか?」

「〇〇をやると、〇〇を食べると良いですか?」


これらはクライアントさんからよく聞く言葉。



それらは私が専門とするところではないのでお答えできないが、

できる提案としてはただひとつ。



『自分の体を小さな子供だと思ってください、そしてその小さな子供にどんな環境を与えるかは親のあなた次第です。子供は与えられた環境で生きようと一生懸命に頑張っています。どこで暮らし、何を食べ、どんな人と関わり、どんな人間になって欲しいのかを考え、子供の意見をちゃんと聞きながら行動することが、親であるあなたの責任ですよ。』


専門的な言葉を使って説明すると、

自分を存在させようとする生来の叡智と後天的な叡智の比喩表現で、

生来の叡智はただただ与えられた環境で自分を生かすことを使命としており、

その生来の叡智が直面する環境は後天的な叡智による日々の選択によって決まる。


というカイロプラクティック哲学を伝えるための喩えだ。


このアイディアの下でご自身と向き合っているクライアントさんは、

例外なく素晴らしい表現を見せてくれる。

本当に生命というのはおもしろい!



Wednesday, September 6, 2017

目指すゴール

色々な症状や体の不調を訴えて来られるクライアントさん達。


もちろん不快な症状は苦痛だし、楽になりたいと思うのは誰しも同じ。


クライアントさん達のゴールは状態を改善させること。




でも、私の目指すゴール(仕事)はそこではない。

私の目指すゴールは、脳と体のズレが正されること。



それが達成されれば、

クライアントさん達は躊躇なく自らの力でゴールに向かって進むことができる。



決して私がゴールに連れていくのではない。

クライアントさん自身は既に、

ゴールに向かうためにやるべきことを自ら考え、行動するだけの力を持っている。



あれこれ指導するのは"釈迦に説法"。


自らの力でゴールに辿り着いたクライアントさん達は、

誇らしく、そして力強く輝いて生きている。



症状云々が良くなったのは、

クライアントさん自身の力によるもの。



なぜなら私は、

脳と体のズレを正すよう力を貸しただけだから。


Monday, September 4, 2017

作用、副作用

カイロプラクティックケアの作用と副作用はご存知だろうか?


作用、副作用というと医療を連想させるかもしれないが、

イメージしやすいので医療の言葉を使って説明したいと思う。




どの薬にも作用と副作用がある。

それと同じように、カイロプラクティックケアにも作用と副作用がある。


<カイロプラクティックケアの作用>
・脳と体の連携正常化(脊椎サブラクセーション状態からの脱却)

<カイロプラクティックケアの副作用>
・各症状、病気、不調の改善、正常化
・施術後怠くなる、痛む場所が移動する、古傷が出る
・生き方の変化
・自己再認識
・その他多数




わかりやすく言えば、

「作用」=「確実:ゴール」

「副作用」=「不確実:ゴール後の副産物」



さて、薬を服用する場合に、

起こるかわからない副作用を期待して薬を飲む人はいるだろうか?

副作用を求めて病院に行く人はいるだろうか?





そう、カイロプラクティックケアを選択する意義は、

脳と体の連携の一致にあり、

起こるかどうか不確実な副作用を求めるというところにはない。



ただ単に、

聴力が回復した
視力が戻った
高血圧が治った
糖尿病が治った
ガンが治った
難病が治った
薬が必要なくなった
肩こりが治った
O脚が治った
便秘が治った
軟便が治った
生理が戻った
妊娠できた
症状がなくなった
姿勢が良くなった
成績が良くなった
癲癇発作が消えた
心肥大が治った
歩けるようになった



カイロプラクティックが生まれて上記のようなことが結果的に起こった事実があるだけで、

それらはカイロプラクティックケアによって得られた効果というよりも、

クライアント自身の力で起こしたことであり、

決してカイロプラクティックによって治った、良くなったのではない。



カイロプラクティックケアの作用は、

『脳と体の連携一致』だけだからだ。


カイロプラクターになろうと思った人達のほとんどは、

カイロプラクティックケアによって何かがよくなったり、救われたりした経験から志したという人達だ。


私もそう。


でも勉強していきカイロプラクティックが教えてくれたのは、


『カイロプラクティックが奇跡を起こしたのではない、クライアント自身が起こしただけ』


ということ。


つまり、

カイロプラクターは脳と体の連携を一致させるように力を貸すだけだということ。




カイロプラクティックケアの作用、副作用を正しく理解してご活用頂けると幸いです!




Sunday, September 3, 2017

時間をかけて

脊椎サブラクセーション状態(脳と体の通信障害)か否かを判断するには、

時間をかけて検査をする必要がある。


なぜなら、

時間を必要とする『体の変化』を観察するからだ。



初めて来られる方は一様にして、

「こんなに入念に検査して下さるのは初めてです」

とおっしゃる。




症状を訴えて来られる方が9割だが、

私が見ているのはその人の『命』であり

その『命』の土台となる脳と体の通信状態に問題があるかに焦点を当てている。



クライアントさんの人生に関わるからこそ、

入念に、的確に、そして余計なことをしないように、

時間をかけることを惜しんではいられない。


Friday, September 1, 2017

カイロプラクターの仕事

カイロプラクターの仕事はシンプルな唯一無二の特異性がある。


脊椎サブラクセーション状態か否かを特定し、分析し、正すために力を貸す


それだけだ。



頭痛肩こり腰痛、姿勢、病気が云々、栄養、運動、休養が云々、ウェルネスが云々、ワクチンが云々、


そんなことはカイロプラクターの仕事ではない。



冷たい言い方かもしれないが、

もっと言えばそれらは各人の仕事で、

自分の人生を他人に任せるのではなく、自分に責任があることを知らせなければならない。



それがその人の人生を取り戻し、自発的に豊かに、そして誇り高く生き切るエッセンスだと考えている。





クライアントに「あれは体に毒、それはダメ、これが良い」と洗脳すればビジネスモデルとしては成功かもしれない。


でもカイロプラクティックは各人の独自性、特異性を活かす実践的な哲学。

クライアントにはクライアント自身を一番知ってもらわなければ、

クライアントを愚者に仕立て上げ、自分自身に責任を持たなくなってしまう。





「人のため」の観点が、私は違う。

ただ、この考えを強制はしない。



他者が居て初めて成り立つカイロプラクティックという職業だからこそ、

カイロプラクティックを通じて目の前のクライアントに一つの生き方として提案する(カイロプラクティック哲学を伝える)のは二次的な仕事だ。



Tuesday, August 29, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 9 纏め

このシリーズではカイロプラクティックの独自性である脊椎サブラクセーションの存在を、

発見から当初の論理、後進が辿った経緯や私的再考などを行ってきた。





元々、D. D. Palmerが1895年に発見した脊椎サブラクセーションという状態。

それは神経の振動数(周波数、発火頻度)を狂わせて病気の根源となると主張したのがはじまりだった。

しかしまだ抽象的な論理であったため具体性に欠け、尚且つ医療と目的を同じにしてしまったことから、

カイロプラクティックという職業は常に懐疑心を生み、弾圧の対象となってきた歴史がある。

そこで息子のB. J. Palmerは最新機器を導入し、脊椎サブラクセーションの科学的側面からの解明、

カイロプラクティックケアの有効性を示し、カイロプラクターの地位を守ってきた。

それでも脊椎サブラクセーションという状態を万人が納得するよう示せたわけでわなかった。


そうこうしている間にカイロプラクターと理論が多様性を極め、もはや収拾がつかない状況になってしまっている。

一部の現代を生きるアツいカイロプラクター達が、D. D.やB. J.の主張を未だそっくりそのまま使って説明しているために、

現実味の欠ける、いまいちリアリティの無い盲目的な信念を主張していると思われても当然だ。

そんな中、私なりに神経生理学、機能神経学、神経動態学、神経コーディング、情報処理学などを用いて、

脊椎サブラクセーション状態を現実的に再考察してきた。


私なりの論理は、
脊椎サブラクセーションとは脊椎の位置変位を伴う、神経を媒体とする情報交換の持続的な変調状態である。
それは物理的、化学的、精神的な過剰ストレスに見舞われた時に起こる一つの反応で、
持続的な機能的、構造的偏向性による神経組織への物理的圧刺激の結果、
情報処理、編集、伝達に変調を来し、ある程度の活動範囲に特化している状態をいう。


と難しい言葉を使ったが、簡潔に言えば

神経を使った情報のやり取りが本調子ではない

ということだ。



そして、本調子か変調状態かは他者には決められず、

その人をその人たらしめる自己存在の叡智(イネイトインテリジェンス)によって決められるものであり、

且つ後天的な叡智によって本調子か変調状態のどちらが好ましいのかを選択させるべきである。


従って目の前の人がどうあるべきかなどという万人に当てはまる模範解答は無く、

各々の自己存在の叡智(イネイトインテリジェンス)にとって快適な状態(本調子: Ease)を検査などで読み取り、

どちらを望むのかを後天的な叡智に選ばせるだけだ。


さらに結局のところ、生気論、機械論の両側面があって初めてカイロプラクティックが成り立つことを我々は認識しなければならない。



加えてD. D.やB. J.の時代では病の根源とされてきた脊椎サブラクセーションは、

生きる基礎を変える要因ではあるが万病の直接的原因ではないことが時代を経てわかってきた。



故に我々カイロプラクターは、症状や病気の治療という医療の目的から一線を画し、

脊椎サブラクセーション状態(情報変調状態)からの脱却を唯一の目的として、その独自性と価値を築き上げなければならない。










さて、今まで脊椎サブラクセーション状態を私的に考察してきたわけだが、

色々なことが明らかになってもカイロプラクターのやるべきことは何も変わらない。

何か未知のものを解明することは素晴らしいことではあるが、

ニュートンが重力や慣性の法則などを解明したと同じように、

解明したところで"それ"は既にずっと前からそこにあり、これからもあり続ける。



普遍的なものであれば、いくら理論を後付けしたところでその本質は変わらない。

勉強していくほどにカイロプラクティックは普遍的なものであると再認識できる。




しかし信じるだけで、考え突き詰めることをやめるのは堕落であり怠慢だ。

カイロプラクティックが宗教と揶揄されるのも、カイロプラクターが羨望や憧れに似た心情の下、先人の言うことを信じてそのままコピーしていることが大きい。



カイロプラクティックが生き残っていくためには、

カイロプラクターは私的な欲求のためにカイロプラクティックを利用し続けて良いのだろうか?



29歳時点での脊椎サブラクセーションの私的考察は以上となる。

これから更に深まるであろう私のカイロプラクティック道はまだまだ続く。


Wednesday, August 23, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 8

今まで、一体脊椎サブラクセーションとはどういった状態なのか?を科学的に論じてきた。


しかし、"あるもの"の存在無しに脊椎サブラクセーションは語れない。

その"あるもの"こそが、「イネイトインテリジェンス」。



機械論的な内容が多かったがイネイトインテリジェンスという概念を差し置いて脊椎サブラクセーションは追求できない。

と言うより寧ろ、イネイトインテリジェンスの存在と共になければカイロプラクティックとは呼べない。



part 6 で、脊椎サブラクセーションの原因は過剰な物理的、化学的、精神的ストレスであることは述べたが、最大の根本原因は生きていること


では、その「生きる」とは何なのだろうか?

カイロプラクティックの考え方には独特の生命観がある。

生命とは叡智と物質とそれをつなぐフォース(力)の3つが一体となり"動き"を示すこと


どれが欠けても、生命、つまり"動き"を表現できなくなる。

3つが揃ってこそ生命体は動きを示し、生命活動が行われるわけだ。



そして part 7 で述べたように、脊椎サブラクセーション自体は病気の原因ではない。

単なる生理現象の一つであり、体を冷やしたら風邪を引く、お酒を飲み過ぎたら気持ち悪くなる、異物が喉に入れば咳をする、暑過ぎれば熱中症になって倒れる…

そんな反応と同じように、過剰なストレスに対する一つの生理現象として脊椎サブラクセーションという持続的な全身の情報変調が起こり、"動き(生命表現)"に違いが出てくるだけだ。






物質的な見地から解明しようとする機械論では生命を完全に網羅することは未だ出来ておらず、且つ生気論を"オカルト"と批判している。

かといって、非物質的な見地から世界を見る生気論には盲目的に信じる対象に胡座をかいて、現実を直視しないようにしていると思えてならない。



カイロプラクティックは世界最大の不思議である『生命』を対象としているため、

機械論、生気論、両方の異なった視点を持たなければ理解できないのだ。




更に言えば、非物質的な概念と物質的な実体は相互依存関係にあり、

どちらもお互いの存在無しにそれぞれの特性は存在しえない。


そんな両極を内包するのがカイロプラクティックという生き方だ。




脊椎サブラクセーションは、自己存在の叡智(イネイトインテリジェンス)が無ければ起こりえない。

死体にミスアライメント(椎骨の位置変位)はあっても脊椎サブラクセーションが無いのはそのためだ。

そして神経が全身を支配しているという科学的通念も不完全で、結局自己存在の叡智(イネイトインテリジェンス)が神経を使って全身を支配しているとしか説明がつかない。




脊椎サブラクセーションの誕生、歴史、科学的側面のアップデート、再考察をシリーズで展開してきたが、

イネイトインテリジェンスという自己を存在させる根本概念が無ければ、脊椎サブラクセーションはこの世に存在しない。



「卵が先か鶏が先か」

そんな不毛な議論よりも、今眼の前で存在し、起きていることがすべてだ。




最後に part 9 で纏めとしたい。


いや、敢えて「目に見えないものだけでなく、目に見えるものも同じく大切だ」と主張したい

Monday, August 21, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 7

1895年にカイロプラクティックが創始され、創始者のD. D. Palmerは

「病気の原因をついに突き止めた」

と声高らかに主張した。

元々、病気や症状を治療することを目的としていたD. D. Palmerは

「病の95%は脊椎サブラクセーションから来るものだ」と主張していたわけだが、

実際はどうなのだろうか?



私は同意しない。

むしろ、脊椎サブラクセーションは単なる生理現象の一つであって、病の根源そのものではない。



例えば、
一日中草むしりをした人の腰痛は、脊椎サブラクセーションから来るのだろうか?
交通事故による体調不良は、脊椎サブラクセーションから来るのだろうか?
高血圧は脊椎サブラクセーションから来るのだろうか?
糖尿病は脊椎サブラクセーションがあるから起こるのだろうか?
難病は脊椎サブラクセーションが原因で起こるのだろうか?

その他、無数の病は脊椎サブラクセーションがあるから起こると言えるのだろうか?

その人の日々の選択、限られた肉体によって病というひとつの生理現象が起こるだけだ。



しかしながら、脊椎サブラクセーション状態から抜け出した人が、多くの奇跡と言われる回復を見せてきたことは事実。

それは単に、カイロプラクティックケアによって脳と全身の情報交換の変調が正常化され、生理機能が変化し、ケースによっては構造まで大きく変化しただけだ。



それが一般的に「治癒」と言われるだけで、

カイロプラクティックが問題とするのは脳と全身の情報交換変調のみであり、

望む結果も、脳と全身の情報交換変調の正常化(脊椎サブラクセーション状態からの脱却)

でしかない。




従って、残念ながらD. D. Palmerの主張するように、病の元凶を絶つのがカイロプラクターの仕事ではない。

生理機能の変調の原因となる脊椎サブラクセーション状態(情報交換変調)を取り除くことがカイロプラクターの真の仕事だ。



なぜ私が、創始者の言ったまま全てを解釈せず、行動しないのかには理由がある。

それは、
D. D. PalmerやB. J. Palmerの言ったことよりも、
D. D. PalmerやB. J. Palmerの言いたかったこと、やりたかったことにフォーカスしているからだ。


D. D. Palmerは医療と一線を画す独自のものを確立したかったが、
カイロプラクティックの独自性を確立する前に広めることに躍起になって生命を全うした。

B. J. Palmerは父親の発見したカイロプラクティックの独自性を確立しようと客観的な指標を取り入れ、
貪欲に研究と改革と啓蒙に命を使った。



現代を生きるカイロプラクターはカイロプラクティックケアを提供することはもちろん、

創始者、発展者の言ったこと、やったことそのものにフォーカスするのではなく、

彼らが言いたかったこと、やろうとしていたこと(意志)を汲み取ってそれを実践することの方が重要だと考えている。



脊椎サブラクセーションの私的考察を行う上で、未だに触れていない"あるもの"がある。

part 8 では、その重要な"あるもの"について展開していこうと思う。


Friday, August 11, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 6

脊椎サブラクセーション状態とは一体どう言った状態なのか?というのをpart 5 では見てきた。


人は必ずと言って良いほど脊椎サブラクセーションの"原因"を知りたがるので、それを私なりに考察する。



創始者D. D. Palmerは、脊椎サブラクセーションの原因は3つのTと定義した。
Thought: 思考(精神的)
Trauma: 外傷(物理的)
Toxin: 毒(化学的)
以上の3つのストレスが脊椎サブラクセーションの原因となる、と。



それらのストレスによって身体を害することを防ぐために、外界と内界を情報化し、
各状況において身体を変化させる必要が出てくる。


その過程において神経系を使うわけだが、part 5 でも述べたように情報化には健全な神経機能が重要となってくる。



<物理的なストレス(Trauma)>

この場合は実際の物理的な衝撃により組織を破壊され、

その治癒作用によって瘢痕組織が形成されたり、継続的な同様のストレスに対して構造的な負荷を減らすために変形したりする。

それによって椎骨の位置変位が起こることは容易に想像できる。



<精神的なストレス(Thought)>

この場合では、後天的に得た思考回路が結果的に椎骨の位置変位を起こす。

ストレスに対する反応として特定の神経サーキットを用いるわけだが、その反復よって神経機能の偏向性が生まれ、それが身体的な動きの偏向性を生む。

それによってある特定の動きを繰り返すことによって構造的な変化を起こし、脊髄に物理的ストレスを与えてしまうわけだ。



<化学的なストレス(Toxin)>

これは直接的に神経に作用する場合や、特定の毒物(生命活動に利用できないor生命活動を阻害するもの)に対する身体反応があり、

それによって神経機能および骨格構造、そして行動に偏向性をもたらし、結果的に脊髄に物理的ストレスを与えると考えられる。






どの原因に関しても、一時的な神経機能変調では脊椎サブラクセーション状態には陥らない。

必ず、"継続的な"反復によって機能と構造の変化を起こし、ある程度不可逆的な変化に至るまでは脊椎サブラクセーション状態に陥ったとは言えない。



従ってカイロプラクターは、一時的で単調な機能検査やスナップショット(x-ray)で脊椎サブラクセーション状態を判断していては、間違いを犯す危険性を孕んでいる。

単に機能が低下していたものがアジャストメント後に回復した、向上したという安っぽく(Cheap)、安易(Easy)なものではない。




必ず『時間』をかけて、その人が一時的な機能変調なのか、それともある程度不可逆的な変調(パターン)なのかを見極める必要があるわけだ。



さて、各ストレスが継続的な反復によって機能的、構造的な偏向性を生みだし、
それが脳と全身の情報化、情報交換の変調を引き起こす機序は説明した。

そこで、情報交換の変調が当初 D.D. Palmerが主張した病気の原因となり得るのか。


part 7 では、そのことについて論じていきたい。




Saturday, August 5, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 5

実際に椎骨の位置変位が神経機能に影響を与えることは論理的に理解出来たところで、

ではその神経活動(電気的活動)がどのように「メッセージ」として編集されやり取りされるのだろうか?


「メンタルインパルス」=「メッセージ」と言うと現実味に欠けるので、

「メッセージ」=「情報」と言い換える方が適切かと思う。



その情報はどのようにして脳に伝わり、脳から全身に送られるのか?

これは未だ完全に解明されたわけではないが、「神経コーディング」という研究分野がこれを解明しようとしている。


コーディング、つまり符号化、暗号化という意味で、

活動電位の一定時間内の発火頻度や伝達経路によって出入力の性質を暗号化し、

情報をやり取りするという研究分野だ。



興味のある方は、参考になりそうなウェブ上にある資料を参照願いたい。



D. D. Palmerが提唱した「神経は"振動(vibration)"を伝える」 というコンセプトは、

実際は電気的な信号で伝えているのだが、神経の発火頻度=周波数として解釈すれば間違いではないことがわかる。



この神経の周波数=神経の発火頻度に着目したのがトルクリリーステクニック創始者のJay Holder D.C., M.D.だが、彼のコンセプトもまた不完全ではある。

彼は神経のあるべき周波数は各神経特有の周波数の倍数であると定義しているが(神経の種類によって違う)、

その根拠に乏しい。




さて、どのように外界からの入力を情報に加工、処理、そしてそれに対して情報として出力するか?

という機序は、神経コーディング、ディコーディング(暗号解読)の研究が進むことによってさらに明らかになっていくことだろう。



ただ確実に言えるのは、
神経への物理的ストレス(圧迫、伸張)によって神経機能の不健全化(TND)を促し、それによって情報化に"変調"が起こり中枢と末梢の情報交換(適応変調:Dis-ease)が導かれる。 
 ということだ。


さらに簡潔に言えば、
脊椎サブラクセーション状態は、脳脊髄と全身の情報交換変調状態   
ということだ。


さてここでまた浮上するのが、脊椎サブラクセーション状態の原因だろう。

それはpart 6 で見ていくこととする。



Friday, August 4, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 4

一体、その「メッセージの干渉状態」とはどのような状態なのだろうか、神経は実際にどのような状態になっているのだろうか?

まず、多くのカイロプラクターが以下の絵をカイロプラクティックの説明に使う。


絵では"末梢神経の流れ"が位置変位を起こした椎骨によって干渉を受けていることを説明している。

物理的現象として、神経は電気的な活動(活動電位)を中枢である脳脊髄と末端でやり取りしているのは科学的に明らとなっている。


絵では圧迫を受けた神経が細くなり、末端とのやり取りがうまく行かないことを説明したいわけだが、これがアメリカ医師会でカイロプラクティックがコケにされる恰好の材料だ。

「神経が通る椎間孔や椎孔には十分なスペースが確保されており、神経が椎骨の微小な位置変位で物理的に圧迫されるわけがない」と。


事実、十分スペースは存在する。

しかしながら反論として、生きた人体には隙間はなく、神経の周囲には脂肪組織、血管、靭帯、脳脊髄液などで常に満たされている。

依って椎骨が直接的に脊髄神経を触ることはほぼないと言われてもおかしくないが、

椎骨の微小な位置変位は神経周囲の組織を圧迫し、間接的に神経自体にも物理的な圧迫を起こすことは容易に想像できる。

従って、椎骨の位置変位は神経へ圧を加える要因となり得るわけだ。





さて次に、神経に圧迫が生じたとき、実際に電気的活動は阻害されるのだろうか?

興味深い簡単な実験があるので、こちらを参照願いたい。(ミミズ嫌いの方はご注意を)



この実験では、直接的に神経を圧迫して活動電位の伝導速度を計測しているわけではないが、伸張ストレスによって神経圧迫状態を起こしていると言える。

完全な理論武装にはならないが、実験結果から物理的な神経へのストレスは、伝導速度自体に変化を与えない結果となった。


簡単に言えば、
神経に圧がかかっても神経活動に影響はない
となる。



さて、こうなると最初に提示した絵によるカイロプラクターの主張が益々信憑性の低いものになってきた。


だが安心して頂きたい。

神経も一つの細胞であり正常に神経細胞が機能するためには1. 酸素 2. 栄養 3. 刺激 の三つが必要となる。

当然、神経自体にも血液供給があり、椎骨の微小な位置変位によって脊髄神経を取り巻く組織によって血液供給が阻害され、健全な神経機能は失われることになる。

同時に、神経圧迫によって神経細胞内の軸索輸送に影響を及ぼすという研究もあり、


総じて、椎骨の位置変位が神経への血液供給と軸索輸送の異常を起こし、それによって健全な神経機能が失われ(TND: Transneural degeneration)、活動電位の発火、および伝導が健全な状態からかけ離れることになる。


 上記を簡単に言えば、
椎骨の位置変位が神経活動に影響を与える
 と言えよう。



実際に脊髄神経への影響は有ると言えるわけだが、それがどう「メッセージ」になるのかをpart 5 では展開していくこととする。




Thursday, August 3, 2017

ラン

あれから14年。

先日、実家の「ラン」が生命を全うした。



自分が高校に入学する時に生後3ヶ月の真っ黒な子犬が我が家に来た。

最初は警察犬の訓練所で躾をしたが、天真爛漫なランの性格上しっかり身につかなかった(笑)


両親も共働きで誰も家にいない時が多かったが、

誰かが家に帰ってきてからのランの喜びようは凄まじかった。




12、13歳頃から後ろ足が弱り始め、徐々に筋肉も落ちて、

2ヶ月前から寝たきり状態になったと連絡があった。


その間も、実家にいる姉や父がランの暑さ対策や寝返り、床ずれの治療を懸命にやってくれた。


7月末に志賀家の法事があり帰省するのは決まっていたが、

暑さも増してさすがにそこまではもたないかもしれないと考えていた。



7月21日、夜に宮崎に着き、家に帰るとランは一生懸命息をしていた。

筋肉も落ち、痩せ細り、床ずれだらけで、オムツをしてゼーゼー息をしていたが、

顔を触るとしっかり反応してくれた。


目も見えず耳も聞こえない状態で顔を触ると、過敏に反応するのは老犬に良くあることだが、

眉間から鼻をさすって、やめると頭を動かして「さすれ!」と言わんばかりに一生懸命僕の手を探していた。



「今日まで良く頑張りました」

と声をかけ、その日は床についた。




そして翌朝、ランは生命を全うした。




ラン、お疲れ様!そして、うちに来てくれてありがとう!!




Tuesday, August 1, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 3

創始者の息子、B. J. Palmerが抽象的コンセプトであった脊椎サブラクセーションを、
より現実的に定義するために数々の機器を導入したのはpart 2 で述べた。

そこでB. J. が定義した4つの要素、
  1. 椎骨の位置変位 
  2. 神経孔の狭窄
  3. 神経上の圧迫 
  4. メンタルインパルスの干渉
の中でも、「神経圧迫」「メンタルインパルスの干渉」という実体不明なものへの懐疑心は、

多くのカイロプラクター、ケアを受ける人々、そしてアメリカ医師会の中で蔓延したことは否めない。

なぜなら機械論が主流の現代では、実体の掴めないものへの批判が必至であるからだ。



元々D. D. Palmerは形而上学的な考えがベースにあり、
従って脊椎サブラクセーションの論理は抽象的な概念からスタートしている。



B. J. Palmerはメンタルインパルスの形而上学的な概念をわかりやすく説明するために、
「メッセージ」という言葉を用いていた。(R. W. Stephenson, 1927, "Chiropractic textbook")

つまり、生命を維持するためにメッセージのやり取りを神経が行っており、
その神経に物理的なストレスがかかり干渉が起きている状態が脊椎サブラクセーションだと。




しかしながら、「メッセージ」も形而上学的な範疇を超えない。

この「メッセージ」をどのように定量化し、具体化するのかが脊椎サブラクセーションの科学的証明の成否に大きく関わる。



一体、その「メッセージの干渉状態」とはどのような状態なのだろうか、そして神経は実際にどのような状態になっているのだろうか?

part 4で見ていくこととする。

Tuesday, July 18, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 2

創始者、D. D. Palmerの論理の下、存在を露わにした脊椎サブラクセーション。


創始者本人はコアとなる脊椎サブラクセーションの追求ではなく、

カイロプラクティックを世に広めるためにアメリカ全土を駆け巡っていた。



そこで若干20歳のB. J. Palmerは、学校経営とアメリカ医師会からの弾圧に抵抗するために、

脊椎サブラクセーションの追求、医療の側面からの科学的証明、カイロプラクティックのセールスに生涯をかけた。





D. D. Palmerの主張する脊椎サブラクセーションを、より客観性を持たせてその存在を証明するために、

B. J.は最先端の技術を次々と導入した。

代表的なものは、
レントゲン、サーモグラフィ、筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")がある。



結果的にB. J.は、脊椎サブラクセーションを構成する要素を以下に定義した。

1. Misalignment of vertebra
2. Occlusion of foramina
3. Pressure upon nerve
4. Interference with mental impulse 
つまり、
1. 椎骨の位置変位
2. 神経孔の狭窄
3. 神経上の圧迫
4. メンタルインパルスの干渉


さてここで、1、2、3は理論上わかりやすいが、4とは何か容易に理解できるだろうか?


B. J.は、先端機器を用いて脊椎サブラクセーション状態を科学的に、客観的に示したかったわけだが、

レントゲン、サーモグラフィ、筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")で4は証明できたとは言い切れない結果となった。


私の知る限りB. J.は、筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")によって、

「アジャストメント後、神経活動が活発になった」

という結論を出し、論理を押し切った感を受ける文章しか私は目にしたことがない。



筋電図(のような物 "the electroencephaloneuromentimpograph")のグラフはほぼ現存していないこと、

B. J. しかグラフを解読できなかったという逸話によって、

B. J.の行った研究の詳細が煙に巻かれた印象を受ける。






確かに脊椎サブラクセーションのアジャストメントによって奇跡的なことが多く起きたことは事実だが、

そもそもの脊椎サブラクセーション自体を説明できたわけではない。




part 3では、掴み難いメンタルインパルスのコンセプトを展開したい。


脊椎サブラクセーションの私的考察 part 1

カイロプラクティック業界が混沌を極める理由の一つに、

「脊椎サブラクセーション」の存在がある。


未だカイロプラクター達によるコンセンサスも得られておらず、

自らのテクニックの正当性を主張するために脊椎サブラクセーションの定義自体が変えられているのも事実。





ここではそんな脊椎サブラクセーションを個人的に考察してみる。


脊椎サブラクセーションという状態は、1895年にD. D. Palmerによって発見された。

内骨格(neuroskeleton:脊椎構造)の位置異常が、 
神経の張り具合(tone:調子)の異常を起こし、病気の原因となる

というのが創始者の論理だ。

D. D. Palmerの著書はこちら D. D. Palmer, 1914, "The Chiropractor"



 わかりやすく言えば、弦楽器のようなもの。

奏者が演奏前にチューニングをするが、弦の張り具合(tone)を調整して演奏に移る。

その張り具合が適切でなければ、出したい音が出なくなるといったように。




この抽象的なコンセプトは一つの発見であり、同時にカイロプラクターの立場を困難なものにしたことは否めない。


「脊椎サブラクセーションの追求」というテーマで、息子B. J. Palmerは生涯奔走したわけだが、

part 2では発展者 B. J. Palmerの追求した痕跡を簡単に見ていくことにする。


Thursday, June 22, 2017

追求

先日、「ストレートカイロプラクティックを知りたい」という柔道整復師が遠路遥々東京までお見えになった。


最初はTIC道キャプテン、嶋田慶三郎DCのオフィスへ行ったが、多忙な為話だけで終わり、チェックを受けたかったら近くにメンバーが居るからそっちでということでうちのオフィスに来られた。


連絡を受けた時はそもそも営業日ではなかったがオフィスにおり、しかも帰りの電車にのる直前だったが、絶妙なタイミングに「これも何かのご縁だ」と思いオフィスを開けた。



話もそこそこに、チェックをはじめると色々な驚きがあったようだった。


それもそのはず、

一般に認識されているものとは大きく違い、全く分野が異なるサービスを提供しているからだ



結果的に脊椎サブラクセーション状態であり、アプローチを行った。



まっすぐな眼を持った好青年で、一生懸命カイロプラクティックを理解しようとしている姿に、

かつての自分もこうだったのかなと思いながら全力で向き合わせて頂いた。



帰り際に、

「先生達は、生き様そのものがストレートですよね」

と彼が口にした。


カイロプラクティックはアイディア、根拠、実践がひとつになったもので、

単なる"手技療法"の一種ではない



私がカイロプラクティックから学んでいるのは人生そのもの。


そしてカイロプラクティックが自分の人生そのものになってきている。




彼が今後どのような道に進むにしても、

「カイロプラクティックとはこういうものだ」

という明確なものを掴んで頂けたら自分の仕事はできたかなと思う。



色々な思いをさせてくれた一夜に感謝!





Tuesday, June 20, 2017

基準

カイロプラクティック(ストレート)とそうでないものとの違いで、

「目的」に次いで決定的なものがある。


それが、「基準」


カイロプラクティック(ストレート)では何を基準に施術を行うかというと、

『クライアントの中にある基準』


カイロプラクティック(ストレート)以外は、

『一般平均を基準』としている。








『クライアントの中にある基準』とは、

その人をその人たらしめる内在する叡智、いわば生命の叡智を基準とするということだ。


叡智というと受け入れ難いかもしれないが、
あなたの身長、顔のつくり、腕の長さ、脚の長さ、内臓の位置、目の大きさ、骨格、各臓器、各器官系の機能などの、生命維持のために全身を完璧に制御する知恵を生まれ持っている。

私、志賀隆史の内在する叡智は私の全身を創り上げた張本人であり、今日までの29年間

休まず生命維持のために全身をくまなく制御している。

つまり、全身をどう制御すれば生命を維持できるかを知っているのは私の内在する叡智だけということ。

この内在する叡智が人によって違うからこそ個体差が生まれ、二人として同じ人間はいない。


だからこそカイロプラクティック(ストレート)では、

絶対的に正しいその人の内在する叡智を基準に、どういう状態が最適か、

いかに施術するのか、またはしないのかを判断する。

総じて、
基準はカイロプラクターの中にあるのではなく、クライアントの中にしかない





一方カイロプラクティック(ストレート)以外は、"教科書"を基準としている。

目の前の人を見ているわけではなく目の前の人と"一般平均人"という架空の人物を比べて、

目の前の人がいかに架空の"一般平均人"から逸脱しているか、そしてそれがいかに悪いことかを教え、

目の前の人を架空の"一般平均人"にさせようと矯正、強制する。


総じて、
基準はドクター、カイロプラクター、架空の"一般平均人"にある





決してカイロプラクティック(ストレート)以外が悪だと主張したいわけではない。

医療の重要性、必要性、そしてそれで救われる命が無数にあることは経験上、十分に心得ている。


優劣を議論しているわけではなく、カイロプラクティックのアイディアを知って頂き、

利用者の皆様が選択をする際にどういう違いがあるかを理解して選択した方が、

より人生を豊かにできるという提言として受け取って頂けると幸いだ。


人はみんな違う

Monday, June 19, 2017

アップデート

自分の成長、実践による進歩、理解の深化とともにホームページの内容をアップデート致しました。



https://www.tic-straight.com


URLも少し変わっているので、仮にご登録頂いている方は再登録をお願い致します。


より表現を洗練していき、より良いカイロプラクティックケアをご提供できるよう、

今後とも邁進して参ります!






Tuesday, June 6, 2017

カイロプラクティック哲学が"宗教"と揶揄されるワケ

「カイロプラクティック哲学」はほとんどの学校で教えられていない。

理由は様々あるとは思うが、個人的な考えをここでは展開する。




<1. 演繹法的前提>
「ユニバーサルインテリジェンスという宇宙全体を支配する叡智が有る」

果たしてこれをすんなり受け入れることができる人はどれだけいるだろうか?

個人的には"怪しさ満点"といった印象。

宗教で言えば"神の存在"を無理強いされているようだ。

宗教に熱心な方には全く支障のない概念だと思うが、観測、定量化、法則化できない限り

信じられない人にとってはとても受け入れ難い概念となる。



<2. 目に見えない>
ユニバーサルインテリジェンスにしろ、我々を生かすイネイトインテリジェンスにしろ、

目に見えない。

「百聞は一見にしかず」、「Seeing is believing」

それは宇宙人を見た人はその存在を信じ、見たことのない人は信じ難いことに代表される。



<3. 不確定要素は排除>
国が職業として認めるには、理にかなった根拠、膨大なデータ、確実性(再現性)が最も重要となる。

アメリカで"ドクター"という地位を得たカイロプラクターという職業を確立するには、

目に見えないもの、盲目的に信じなさいという姿勢は排斥される。

日本においてレーシック手術やインプラント治療が未だに保険適応にならないのも、

国民に不確定で安全安心なケアを提供できないからだ。



<4. 実践者が少ない>
私はカイロプラクティック哲学を実践している!

と自分で言うのでは意味はない。

他の人に「あの人は本当のカイロプラクターだよね」と言われて初めて、実践者と言えるのかもしれない。

文字に残したとしても、文字は本人の理解度によって多様な解釈をされて形を変えられてしまう。


やはり継承の理想は、人から人に繋ぐことなのだろう。




以上の4つのことから、

元来、的を得ているはずのカイロプラクティック哲学は受け継がれていない。

しまいには、カイロプラクター自身がカイロプラクティック哲学を抹消してしまっている事実も見られる。






だが同時に、哲学を語っているだけでは意味がない。

実践して初めて意味を成す「生きたカイロプラクティック哲学」が、

これからも受け継がれてい行くことを切に願い、これからも実践していく。


応援してくださるクライアントさん達に感謝しながら。


続く

Saturday, May 27, 2017

喜び

クライアントさんを見ていて嬉しい瞬間の一つに、

『自己基準』に基づいて行動するようになることがある。




それまではテレビや雑誌、周りの誰かが言った価値観に基づいて行動をしていたのが、

一度立ち止まって「私に合うのか、合わないのか」を考えながら試すようになったという方が多い。



実際にその人が必要としているものは効果を示すし、不要であればそれなりの結果を示す。




自分の基準に基づいて行動することは実はすごく重要なことで、

自分と他人は違うという、当たり前だけど忘れられている事実があるからだ。




<あなたの体はあなた専用にできている>


そんな個体差を創り出したのはあなた自身の生まれ持った自我であり、

あなた専用の体を適切に維持させるのに最も重要なあなた専用の自己基準は、

脳と全身の連携に問題がないことによって更に精密な判断ができる。


精密な自己基準ができれば、自分で判断、選択し、より豊かで内容の充実した日々を送ることができると思う。




オフィスに来てくださるクライアントさん達が、それを証明してくれている。

正確な自己基準に基づいて行動できるようになったクライアントさん達の笑顔を見られる喜びは、ストレートカイロプラクティックならではかもしれない。


そんな素晴らしい仕事に従事できることに感謝して


Tuesday, May 16, 2017

確かなこと

「確かなこと」に基づいてケアを提供することは当然の事。


それは全ての業種において最低限求められる姿勢だと思っている。


各業種において「確かなこと」は違う。


カイロプラクティックにおいて「確かなこと」とは、

・カイロプラクターには何も治せないこと
・生命維持のために神経ネットワークが必要不可欠だということ
・全身の統率を干渉する(スローダウンさせる)状態があるということ=脊椎サブラクセーション
・クライアント自身が主役(正解)であるということ
・適切な施術後は神経ネットワーク機能の正常化によって全身の統率が回復するということ



であり、以上の確かなことに基づいて私はサービスを提供させて頂いている。



決して、症状や病気が治ったり寛解することは我々の「確かなこと」ではない。



我々カイロプラクターは、不確かなことではなく「確かなこと」をもっと前面に表現する事が重要で、


それがカイロプラクティックの適切な認知に繋がると思う。



Friday, May 12, 2017

サクセス

先日、とあるカイロプラクターから聞いた話で

「サクセス=1日に100人以上を見ること」

という誰かの言った目標に向かって日々頑張っているカイロプラクターが多くいるらしい。


正直に言ってそんなに自分は見れないし、実践できている人は純粋にすごいと思う。




でも話を聞いていて残念だったのは、

成功の定義が他人基準になってしまっている

ということ。


それぞれに命の使い道は違うと思うし、自分の好きにできる環境にあるならば

自ら決めて実践していけば良いと思う。


でも目指すべきところが他人の価値観であった場合、終わりのない無限のループにはまる。



もちろん、自分のやっていることを評価されることは嬉しい。

評価される=存在価値を見出せるからだ。




でも、他人の価値観に生きているだけで自分の人生を生き切ったと言い切れるのだろうか?


結局のところ、自分の信念を貫き通すこと以外に成功はないと思う。




日頃、多くの価値観を目にしてそれがいつの間にか自分の価値観になる。

日々やっていること、生きることに虚しさを感じている人は、

一度自分の持っている価値観を見直すことも必要なのかなと思う。





それは本当に自分の価値観か。

本当にやりたいこと、貫き通したいことは他にないか。

限りある命を本当にそのために使いたいのか。




今も刻一刻と命の炎は燃え、ロウソクは短くなっていく。



Monday, May 8, 2017

GOLDENな一週間!

巷ではゴールデンウィークを楽しまれた方が多いと思う。


その中で私は、TIC道場の一環としてアメリカからD.C.(ドクターオブカイロプラクティック)を迎え入れ、レッスンの手伝いを行った。


決してお招きしたのでない。

昨年アメリカのカイロプラクティック大学を卒業されたD.C.が、

わざわざ純度の高いカイロプラクティックを学ぶために日本を訪れたわけだ!



彼はシャーマンカレッジという、かつてはピュアなカイロプラクティックを教えていた

唯一の学校を卒業したが、もはや教えられていない"TRUTH"(真実)を求めて日本にやってきた。


ストレスフルな学生生活をようやく終えた開放感と、

やっと自分が学びたいことを学べるという歓喜に満ち溢れた顔を見た瞬間、

きっと特別な一週間になるに違いないという確信めいたものを抱いた。



それは、自分もそうだったからかもしれない。

カイロプラクティックの大学であるにも関わらず医学の勉強に明け暮れる日々。

人体の仕組みを知ることは必要だが、立脚点がカイロプラクティックでなければ

もはやカイロプラクティックではない。

そんな悶々とする日々を、卒業後の"自由と権利"を得るために只管こなしていった。




ようやく"自由と権利"を得た彼と、TIC道メンバー、道場生との時間は皆がピュアに

カイロプラクティックを愉しんでいた。


大まかな内容は下記ブログをご参照いただきたい。

TIC道 ブログ



レッスン自体は3日間だったが、その前後は彼に日本文化とカイロプラクティックの関連性を

観光地や茶道、真剣の試し斬りなどで体感してもらった。



彼も間違いなく人生における重要なターニングポイントの一つになったと喜び、帰国の途についた。



また、会えるのを楽しみにして。


Thursday, April 27, 2017

カイロプラクティックの理解

あまりにもカイロプラクティックは多種多様な理解がされていると感じる。

クライアントさんから聞く話や皆が持っているイメージは、

「カイロプラクティック」と名乗る人たちが築き上げたものであることは間違いない。



現状のパブリックイメージこそが、カイロプラクター達自身が抱いているイメージとも言える。

つまり、カイロプラクター達の理解度が反映されているわけだ。




<用語の意味付けが違っていれば、行動の趣旨が変わってしまう>


言葉や用語の意味付け自体に差があることは日常でもよくある。

例えば、「ケーキ」という単語を見て何を連想しただろうか?

  • イチゴの乗ったショートケーキ
  • パンケーキ
  • パティシエ
  • 甘い
  • 好き、嫌い
  • コーヒー、ウイスキーに合う
  • 誕生日、めでたい
など、挙げた他にも無数に連想される。


子供がいる人には身近なことだと思うが、いない場合は子供の頃を思い出してみよう。

子供は皆、アレ何?コレ何?それってどういう意味?と多くの意味を親から受け継ぐ。


そこで仮に親の認識が間違っていたとしても、それはその子にとっては正解になる。




カイロプラクティックにおいても同じことが起きている。

カイロプラクティックを名乗る人や、教える人の意味付けに差があるために、

その人に追従する人達はその意味付けを元に世の中を見るようになる。



つまり意味付けが違っていれば行動の趣旨も変わってきてしまうために、多様性が存在する。




ある意味ストレートカイロプラクティックはその多様性の一つではあるが、

私にとっては最も本質を捉え、納得でき、豊かに生きることができるもの。



もしカイロプラクティックの理解で苦しんでいる、

カイロプラクティックはこういうものじゃないはずだ、

イネイトインテリジェンスって何?、

ユニバーサルインテリジェンスって何?、

メンタルインパルスって何?、


などの疑問があれば気兼ねなく連絡してください!



Wednesday, April 26, 2017

100%

人の生きようとする力は、常に100%働いている。

それは100%から下がることはなく、生きている限り100%。



多くの人が誤解している事だが、カイロプラクティックの実践において

「その力が100%発揮できているか」という事を見るわけではない。

なぜならそれは常に100%だからだ。




我々のターゲットである脊椎サブラクセーション状態は、決して50、70、90%の状態ではない。

生きようとする力は死ぬまで決して減らない。

だから生命力に強いも弱いも存在せず、ただ100%か0%という状態があるだけだ。

生きている=生命力100%



生命力と混同されているのが仕事率だ。

仕事率とは ある一つの目的を達成するために一定時間内で何割完了できたか を示し、

その場合に仕事率は100%未満になる事は当然ある。

生命力 ≠ 仕事率
仕事率 ≦ 100%



例えば「1分間で100粒の小豆を右の皿から左の皿に一粒ずつ移動させる」という仕事で考える。

1分後、左の皿に100粒移動できた場合は仕事率は100%
1分後、左の皿に80粒しか移動できなかった場合の仕事率は80%
(その人の持っている肉体的な限界内では100粒移動できるとする)



我々カイロプラクターが問題視するところはここで、

生命力を100%に戻すという事ではなく、肉体の限界内で仕事率を100%(最適)に戻すということだ。



Saturday, April 15, 2017

人生の成功を願う

「人のため」とは一体何が正解なんだろうか。


目の前のクライアントやTIC道場の道場生、多くの人と向き合っていると必ず顔を出すテーマだ。


それは人によってアプローチは違うと思う。

むしろ違ってて良いし、いくつもの正解が必要だとも感じている。



私の信じるところは、
本人に考えさせ、本人に行動させること


ヒントや答えを相手に与えて、思考や行動を変えようとする人もいる。

でも結局、力づくでも他人は変えられない。

気づかせようと思っても、"その時"が来ないとその人は気づかない。

その人が本当に変わりたいのであれば、真剣にその人は考え、必ず行動に移す。



目の前の人を信じているのであれば、

本人に委ねることが、その敬意と信頼を表す一番のアプローチだ。






結局のところ『どれだけ自分を持ち、貫き続けられるか』が人生における成功だと考えている。


目の前の人の成功や幸福を願うのであれば、

本人に考えさせ、本人に行動させなければ、

その人の人生における成功はない。



カイロプラクティックを通して、より多くの"人生の成功者"の後見人になれることを嬉しく思う。

Wednesday, March 29, 2017

何故カイロプラクティックなのか?

日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース2時間SP」で、
昨年2月上旬に"カイロプラクティックを受けて死亡した"とされるモデルのケースが紹介されていた。

このケースの論点は無数にあるが、現状という点のみをここでは書きたい。


見た印象としてカイロプラクティックの現状は 中途半端 のひと言。

医学にもなりきれず、カイロプラクティックにもなりきれていない。



WHOで定められている教育基準は、医学的な内容がほぼ10割を占める。

しかしながらカイロプラクティックとしてのアイデンティティを保つ為なのか、
微々たる独自性?を固持しようとした結果、存在価値を下げている。



それは自分がマードック大学で医学を学んでいた時に自分に問うた言葉


"私はカイロプラクターです"と言うことに誇りを持てるか?

 に尽きると思う。


今やっていること、カイロプラクティックと名乗ることに胸を張れるのだろうか。



医療もどき、カイロプラクティックもどきではなく、
ザ!医療、ザ!カイロプラクティックというものであれば、無意味な否定のし合いは終わり、何よりも利用者の利益に繋がる。



いかにも中途半端な現状が、放送を通してより明確化した。

このままで良いのか、カイロプラクティック。


Tuesday, March 7, 2017

北海道の太陽! part III

東京に戻る時間が迫ってきたときに、

太一先生が今の僕に伝えたいことを一生懸命車の中で伝えてくれた。


「苦しい時こそ、信じる」


色々な相談をさせて頂いたが、その言葉がすごく奥深く心に入って来た。

暗闇にいる時こそ、自分を信じ、家族を信じ、クライアントを信じ、

そしてカイロプラクティックを信じてとにかく前に進む。

そこで確信がないのに施術をしてしまったり、

わざわざ遠くから来て頂いたからそのまま帰すのは申し訳ないとか、

優しさのようで長期的に見れば余計な事をしてしまい

思わしくない結果に全ての否定に進んでしまってしまいには

カイロプラクティックをやらなくなるというパターンが多い。



そこを太一先生は乗り越えて、

ストレートにカイロプラクティックケアをあの広大な北海道で提供している事を嬉しく思った。


一人でいると自分の悪い所ばかりを意識して悪循環が続いてしまっていたけど、

太一先生と色々お話してもっともっと自分のやっていることに自信を持って良いんだ

と気持ちが軽くなった。


至極当然の結果しか起きないけど、

その当然は奇跡と言えるご縁の積み重ねである事を改めて感じた時間になった。


太一先生とのご縁に感謝!

益々、頑張っていきます!!


太一先生、ご家族、北海道のカムイ達、素晴らしい時間を有難うございました!

北海道の太陽! part II

当初は太陽カイロプラクティックに行ってそのまま東京に戻る予定でいたが、

太一先生がせっかくなのでと言って、

旭川のみならず、白老、登別、札幌、小樽、美瑛へ連れて行って下さった。

アイヌ民族博物館、登別の温泉、札幌市街、小樽運河、白ひげの滝などの多くの

スポットへ行って北海道の大自然と温かい北海道民に触れることができた。



そんな太一先生は10歳以上も離れているのに、

僕を「志賀先生」と呼び、敬語で接して下さる

決して皆から先生と呼ばれたい、敬語で接して欲しいという訳では無い。



どんな人からも学ぶところがあると信じ畏敬の念を持って同じ目線で接して下さる。

こんな人は初めてだった。


果たしてそれが自分にできるかと考えたら、

全く何の役にも立たないプライドが顔を出すと思う

自分の方が年上だから
自分の方が色んな経験をしてるから
相手はまだ子どもだから

そんな下らない条件付けで相手よりも優位に立とうとしてしまうかもしれない。


それぞれの立場や個性やキャラクターもあると思うけども、

僕は太一先生のように無条件に相手を同じ人間として、

対等にそして畏敬の念を持って接するような人間になりたいと思えるほどに、

人としての在り方を魅せてくれる、まさに太陽のような方だ!


part IIIに続く

北海道の太陽! part I

3/4〜3/6まで北海道の旭川に居る尊敬する方に逢いに行ってきた

急に行く事になったにも関わらずご家族を含め快く受け入れてくださり、

忙しい中目一杯に僕と向き合ってくれた。



その方が、太陽カイロプラクティックの水谷太一先生。

太一先生とは約3年前からの付き合いで、初めてお逢いした時から

僕にとっては何か特別な魅力を感じる人だった。


カイロプラクティックに熱く、20代の頃から何度も一流のカイロプラクティックを提供するべく

北海道から東京、沖縄、時にはアメリカまで幾度となく足を運び、

自らの眼、耳、手、足、全身で吸収しようとする姿は側から見て感じずには居られないほど。

僕にとっては「こんな人になりたい」と思わせてくれた本物の人格者だ。

あまりそう言うとご本人は照れてたが(笑)、

お世辞抜きで誠実で紳士で熱くそして温かい心を持っている方。

そんな今の太一先生があるのは過去の多くの試練を乗り越えて来たからこそだ

というのが話を聞いて行くとわかった。


しかもその多くの試練は、

決して一人ではなく奥様の存在があったからこそ乗り越えられてきたのだと思う

だからこそ16周年を迎えた太陽カイロプラクティックは、

未だに前進し成長して更に多くのクライアントさん達に

ストレートカイロプラクティックで貢献して幸せを創っているのだろう。


part II に続く

Friday, March 3, 2017

習慣

ヒトが習慣的にある行動を繰り返すには、

それによる"報酬"があるからだと言われている。

結果的にその"報酬"が自分の存在意義や安心感に成って繰り返してしまうんだと思う。



とあるきっかけから行動に移し、報酬を得る

つまり、

きっかけ→行動→報酬→きっかけ→行動→報酬…



そのサイクルを繰り返す事によって、

どんなことでも簡単に習慣化する。


現状を見直し、それを変えたいと思うのであれば

行動を変えてみる。



最近、自分でも変えてみた事がある。

Facebookを事実上辞めた。


Facebookが常習化してしまい、

ふと、有限の時間を取られていた事に気付いた。


行動を変えた事でやらなければならない事、やりたい事に集中できるようになった。



ヒトは"報酬"無しに生きていけないと思う。

習慣化するならばどのようなことを習慣化させた方がより幸せになれるか、

そしてどうすれば本当の意味で目指す"報酬"を得られるか、

Educated intelligennce(後天的知能)レベルでできる事はある。



でも、根本的に脳と全身の連携がうまくいっている方が変化は起こしやすいと確信している。



チカラは活かし方次第!

そのチカラを活かすサポートができるのも、

カイロプラクティックを実践していく上での醍醐味のひとつだ。

Thursday, March 2, 2017

如何に

毎月等々力の "SPECIFIC in ChiropracTIC care" にて、

三宅誠先生の下グリーンブック勉強会を開催している。

そこで学ぶ上で最も重要なひとつのメンタリティがある。


『如何にやらないか』


我々カイロプラクターが対象とするのは、

脳と全身の連携に支障を与える「脊椎サブラクセーション」という状態。


その脊椎サブラクセーションの背後には、

生命という一番尊く、正体不明のの存在がある。


そんなの存在と共に仕事をするカイロプラクターとして、

如何に余計なことをしないかが必要不可欠な要素だ。


それは、長年色々と試行錯誤して実践してきたからこそ気付けるメンタリティでもある。

まずはやってみる。

その後に、『如何にやらないか』という価値が生まれるのだろう。

ある意味矛盾しているようで、一本の延長線上にある《在り方》を肌で触れられる唯一の場所だ。



Monday, February 27, 2017

芸術

東京という環境を利用して、芸術と言われるものに触れる機会を意識的に創っている。

そこでひとつ、様々な芸術の共通点が見えてきた。


『対極一体』


芸術家は相手がいて初めて自分を表現出来る。

かといって、
相手を意識せず自分の言いたいことだけを押し付けたり
自分を押し殺して相手に巻かれる

それでは生きる実感が得られない。

誰しもみんなが対極的な側面を持っているけれど、

どちらかに偏っていては伝えたいことは伝わらない。


世界的に活躍されている芸術家や表現者は、

そんな対極的なものを包括して自己表現をしている。




私の仕事に関しても、相手がいてこそ成り立つ芸術活動のひとつ。

ストレートカイロプラクティックは対極的なもののど真ん中で

生命の素晴らしさを表現できるものだと思う。



自らの感受と表現を更に磨いて、より多くの人に伝えていきます!

Sunday, February 5, 2017

Patience 忍耐

相手を信じ、その人のイネイトを信じるというのは、時間を与えるという事。

本人にはそのプロセスが苦痛な時があるが、本人自身を信じてもらいじっと待つ。

彼女もまた、貴重な限られた時間の中でじっと体に時間を与える事の重要性を結果として示してくれている。


Titre: Patience 忍耐

月曜日にフランス語で教育学の試験を控えてテンションはもうおかしくなってます。
昨日も深夜まで勉強した、そして今日は起きれなかった。というか起きたんだけど、からだが正直すぎて嫌だ。
いま寝ないとからだがもたない、きっと後に響く、ちゃんとオルガナイズしないで夜まで勉強した私が悪い、練習したい、いろんな気持ちになった。
彼氏はカイロプラクター。そんなこと関係なく、カイロプラクティックを知って施術を受けたその帰りから、私は人を見るようになってしまった。だって、馬鹿みたいだから、自分はアジャスト直後で苦しい、ちゃんとからだを元に戻すためにやってるのに、なんでなにも感じてない人何普通に生活してるんだって、なんかとにかくどうでもいい苛立ちで家に帰ったのを覚えてる。
今日の帰り道、私はふと思った。

カイロプラクティック=忍耐力

なのかなって。
それだけじゃないのはわかってるけど、私から言えばいまはその一言。
でもそれはカイロプラクティックだけじゃない、誰だって生きてたら耐えて前に進まないといけないときがある。練習もそう。なんでゆっくり練習するの?
なんのために生徒と向き合って、できの悪い生徒でも、それを信じて長い目で見て教えるの?直感?
カイロプラクターは忍耐力がなかったらきっと、なれないよね。
クライアントさんのイネイトを信じて、少しでも人の心が動くのをまちながら、日々大切な人と向き合ってるのか。

整体はすぐに反応が出る、でも、私は長続きしなかった、その場で良くなって、すぐに元に戻る。でもいままでの私は、その場で少しでも楽になってすぐに元の生活に戻ることしか考えなかった。鍼もそう。
音楽は自然だから、無理して弾くことじゃないの、体が無理な状態で表現することじゃない。先日私の先生の音楽仲間である、Madeleine Carruzzoさんのマスタークラスを受けました。モーツァルト。
すごく難しい。みんなからしたらモーツァルトってすごく聞きやすい音楽だとおもう、だから私たちにとっては難しい。素晴らしすぎるこの曲を自分が感じてるままに表現することは容易ではない。
でも今の私はそれができる。
音はその人の人生そのもの、音楽もそう。
私がこの約5年間?体と向き合うこともしなかったら、私はなにも変わらなかったとおもう。
私は確かに、毎日制限を感じて生きてます。体がそうやって反応してしまうから。それは人によっては嫌がる人もいると思う。私も最初は嫌だった。でも、ここ最近、自分が変わったと実感してる。
私がやりたいこと、まだこれからもっとできると思うから、信じて前に進みたい。
焦りすぎてしまうけど、自分の足でちゃんとあるいていきたいから、体や気持ちの変化に耐えることばかりかもしれないけど信じて頑張りたい。


Thursday, January 19, 2017

カイロプラクティック

ジュネーヴで自分と音楽に真っ正面から向き合っている彼女のブログ。

「自らを知ることができる」
そんなカイロプラクティックの醍醐味を体現してくれている。




Titre: カイロプラクティック

カイロプラクティックを知って約6年目、わたしの体は完全に変わりつつある。
ノーアジャストになって一年と約3ヶ月、4ヶ月目が経とうとしている。
ノーアジャストから一年を過ぎたとき、わたしは毎日の生活で、自分という瞬間を感じる。
わたしってこんなに体丈夫なの、なんか反応良すぎて自分でもウケる、目を覚ますためにコーヒー飲んでても結局寝不足が勝つし、眠いし、寝不足で学校行ってやっぱり無理ってなるし、朝ごはん食べるといつも食べた分だけ体重くなるの感じてだるさが増す。
新しい靴がいくら欲しくたって、ほとんどの靴が足に、というより体に合わない。ジュネーブで靴を買うことなんてほとんどないけど、どうしても買わないといけないとき、わざわざコートの下、ジャケットの下に身につけるポシェットをとって、リュックを下ろして、身軽にして両手を前に差し出して、カイロプラクターが私にするように、私は手首を自分で回してズレをみる。
わかんないけど、靴によっては体は固まる。変な物が身体中を走る。
だから私ってやっぱり変なんだって思う瞬間がある。自分が馬鹿正直で笑える。

カイロプラクティックが何かなんて今も本当にわかりません。
でも、カイロプラクティックを通して、自分の可能性、自分を知ることができてる人はここにいます。自分にびっくりするんです。
こんなに疲れてても、こんなに苦しくて、くじけそうになっても、私は病気一つならない。強がってるのかって思うけど、別にそうでもないらしい。
疲れてるけど疲れてない。
先日、ある記事をシェアした人がいました。その方は無縁ですが、詳しいことがわからない私には、その方も同じようなことをやっているのに、自らがやっていることを否定する記事をシェアしていて、とても不思議な気持ちになりました。否定というところではなく、全く理解ができませんでした。
ひとは必ずしも誰かと比べることは、何回もあると思う。
私は今、ピアノ独奏ではなく、アンサンブル奏者としての勉強に専念しています。パートナーとはすでに三年目。自分の存在感を今まで以上に感じて生きてます。
人は、ひととひとが支え合ってできている。本当にその通り。
誰も見返りを求めない、ただ目の前に私の存在があるから、それだけが支えになることだってある。
私は音楽を通して常にそれを感じてる気がする。
私が今やってることは、一人でいくらうまく弾けても、形になりません。一人のために作曲されてないから。でもメンバーそれぞれが主張すると、音は喧嘩するどころか、一つの形になる。

比べた時点で、存在って消えるんだなって。

カイロプラクティックの醍醐味ってなんですか。
カイロプラクターってきっと大変な仕事だと思うけど、私みたいなクライアントいたら、気楽になる?
ほんとにね、最近とくに、自分にびっくりするの。
私って変だなって、自分で笑うよ。

少しでも私の感じてること伝わったらいいな、カイロプラクティックを知らないひとにも、いつか興味持ってもらえるときくるかな。
勧誘とかしたくない、ただ、ただ、もっと変な私がこれからも飛び出して、そこに自分で気づいて何回笑うときがあるかな?って考えると、なんだか楽しいの。