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Friday, October 7, 2016

例え話

自分の仕事を理解して頂くために、例え話をよく使う。


パソコンに少し詳しい人を例に挙げれば、

パソコンで仕事をするにはCPU、メモリ、ハードディスクが機能することが大切ですが、そこで私ができることはメモリで処理できずにいる作業を終わらせるために力を貸しているんです、と説明すればすんなり私の役割を理解してくれる。


http://enjoy.sso.biglobe.ne.jp/archives/zukai_pc/



上記のページにあるように、
CPU(叡智)、メモリ(机)、ハードディスク(引き出し)と例えられていて、人においてはCPUは常に100%働き、メモリとハードディスクのキャパは物質によって制限がある。

その中でも机の上にある仕事の中で、ずっと処理しきれずに残ってしまっているものがカイロプラクティックで言うところの脊椎サブラクセーションだ。


机を広く使えば次から次へと来る仕事をこなすことができるが、限られた机のスペースの真ん中に脊椎サブラクセーションという仕事で場所を占領されてしまって、他のやらなければいけない仕事をこなすのに時間がかかってしまう。

「だから私が行うことは、机の上にずっと残っている問題を処理できるように力を貸すことだけですよ」
 と説明すれば、処理能力を上げて欲しい、机を広くして欲しい、引き出しを増やしたいと思って来られる方には、ここではメモリ上の仕事をクリアにする所だからとわかってくれる。




如何に我々カイロプラクターの役割を理解して頂くかの努力は続く。




Tuesday, October 4, 2016

なぜパターンを見るのか

先日ブログで、パターンは省エネ作用があると言ったが、それではなぜ我々カイロプラクターはパターンを見るのかを書いていきたい。




脊椎サブラクセーションが有ろうが無かろうが、仕事量が多いと行動をパターン化させて省エネするのが人の性質だが、脊椎サブラクセーションが有る時は無い時と比べて同じ時間内で処理できる仕事量が明らかに減ってくる。



脊椎サブラクセーションという状態は、人が生きる上で最も重要な神経に干渉が起きている状況であり、それを取り除こうとその人のイネイトインテリジェンスは頑張っている。

つまり、その人にとっては目の前のやらなければいけない仕事体の中にある仕事に追われるために、行動や思考をパターン化させてエネルギー消費を抑えようとするわけだ。






その人が課せられた仕事量と処理できる仕事量によって異なると思うが、明らかに脊椎サブラクセーションという仕事を抱えている人はパターン化がより強くなる。


我々カイロプラクターは、そんな体内の仕事である脊椎サブラクセーションを取り除こうとするその人の頑張りを後押しするのが仕事で、それによってその人は課せられた仕事をより多くこなすことができるようになるわけだ。




Saturday, October 1, 2016

人の死

先日、母方の祖父が享年94で他界した。

父の実家がお寺ということもあり人の死は身近なものだと思っていたが、カイロプラクティックを学んで改めて人の死を目の当たりにした時には、また違った感情を覚えた。



今回祖父の家に行った時には、もうそこには祖父の肉体だけがあった。

90年以上も肉体を生命体として組織し動かしてきた祖父の内在する叡智(イネイトインテリジェンス)がなくなった肉体は、人の形はしていたが冷たく何も動かずにただただ静かにそこにあった。



葬式の意義というか仏教的死生観に興味があり、一体通夜や葬式、火葬、その後の諸々に何の意味があるのだろうと思っていた。


が、祖父の葬式を見ていてわかった。

ある意味、故人との決別の儀式だということだ。



どうしてもご遺体や遺品などのカタチがあると、中々故人への執着をぬぐいきれずに次の行動に移るのが難しい。

いつまでも故人を想う気持ちは大切だが、故人の死を受け入れられないことが遺された人にとって生を阻むことになってしまう。




これを読んでどう思われるかわからないが、僕は冷たくなった祖父を見て、そこにはもう祖父はいないんだと思った。なぜなら、祖父を祖父たらしめる叡智がそこにはもう無いとわかったからだ。


叡智が創り出した肉体を90余年も働かせ、長年カタチあるものとして働いてきたその肉体に対して最大の敬意を表し、感謝の意を表した。





じいちゃん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。