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Friday, December 16, 2016

学び

上京してから9ヶ月目、東京は本当に勉強になる都市だ。

何よりも、"高い多様性"の一言に尽きる。




世界から人が集まって多国語表記をよく目にするようになったし、

奇抜な格好をした人が何食わぬ顔で街を闊歩していたり、

めちゃくちゃマニアックな専門店が潰れずに存在していたり、

ニッチな業界でも根強いファンによって成り立つ世界もある。




そんな多様性に富んだ都市、『東京』で暮らしていれば各人の生き方、価値観にも大きく影響することだろう。


自分と違う人間を許容するキャパシティは、世界中見てみても都市部は田舎より圧倒的に大きい。(言い換えれば、他人を干渉し過ぎない。)



一個人としては、『東京』と『カイロプラクティック』によって"他を尊重する"という大切なことを学ばせてもらっている。


だからこそ、東京という街はストレートカイロプラクティックを表現しやすい場所なのかもしれない。






東京に来てよかったと思いつつ、学んだことを活かしてカイロプラクティックに貢献したいという想いがさらに強くなる日々だ。



東京はオモシロイ!

Friday, October 7, 2016

例え話

自分の仕事を理解して頂くために、例え話をよく使う。


パソコンに少し詳しい人を例に挙げれば、

パソコンで仕事をするにはCPU、メモリ、ハードディスクが機能することが大切ですが、そこで私ができることはメモリで処理できずにいる作業を終わらせるために力を貸しているんです、と説明すればすんなり私の役割を理解してくれる。


http://enjoy.sso.biglobe.ne.jp/archives/zukai_pc/



上記のページにあるように、
CPU(叡智)、メモリ(机)、ハードディスク(引き出し)と例えられていて、人においてはCPUは常に100%働き、メモリとハードディスクのキャパは物質によって制限がある。

その中でも机の上にある仕事の中で、ずっと処理しきれずに残ってしまっているものがカイロプラクティックで言うところの脊椎サブラクセーションだ。


机を広く使えば次から次へと来る仕事をこなすことができるが、限られた机のスペースの真ん中に脊椎サブラクセーションという仕事で場所を占領されてしまって、他のやらなければいけない仕事をこなすのに時間がかかってしまう。

「だから私が行うことは、机の上にずっと残っている問題を処理できるように力を貸すことだけですよ」
 と説明すれば、処理能力を上げて欲しい、机を広くして欲しい、引き出しを増やしたいと思って来られる方には、ここではメモリ上の仕事をクリアにする所だからとわかってくれる。




如何に我々カイロプラクターの役割を理解して頂くかの努力は続く。




Tuesday, October 4, 2016

なぜパターンを見るのか

先日ブログで、パターンは省エネ作用があると言ったが、それではなぜ我々カイロプラクターはパターンを見るのかを書いていきたい。




脊椎サブラクセーションが有ろうが無かろうが、仕事量が多いと行動をパターン化させて省エネするのが人の性質だが、脊椎サブラクセーションが有る時は無い時と比べて同じ時間内で処理できる仕事量が明らかに減ってくる。



脊椎サブラクセーションという状態は、人が生きる上で最も重要な神経に干渉が起きている状況であり、それを取り除こうとその人のイネイトインテリジェンスは頑張っている。

つまり、その人にとっては目の前のやらなければいけない仕事体の中にある仕事に追われるために、行動や思考をパターン化させてエネルギー消費を抑えようとするわけだ。






その人が課せられた仕事量と処理できる仕事量によって異なると思うが、明らかに脊椎サブラクセーションという仕事を抱えている人はパターン化がより強くなる。


我々カイロプラクターは、そんな体内の仕事である脊椎サブラクセーションを取り除こうとするその人の頑張りを後押しするのが仕事で、それによってその人は課せられた仕事をより多くこなすことができるようになるわけだ。




Saturday, October 1, 2016

人の死

先日、母方の祖父が享年94で他界した。

父の実家がお寺ということもあり人の死は身近なものだと思っていたが、カイロプラクティックを学んで改めて人の死を目の当たりにした時には、また違った感情を覚えた。



今回祖父の家に行った時には、もうそこには祖父の肉体だけがあった。

90年以上も肉体を生命体として組織し動かしてきた祖父の内在する叡智(イネイトインテリジェンス)がなくなった肉体は、人の形はしていたが冷たく何も動かずにただただ静かにそこにあった。



葬式の意義というか仏教的死生観に興味があり、一体通夜や葬式、火葬、その後の諸々に何の意味があるのだろうと思っていた。


が、祖父の葬式を見ていてわかった。

ある意味、故人との決別の儀式だということだ。



どうしてもご遺体や遺品などのカタチがあると、中々故人への執着をぬぐいきれずに次の行動に移るのが難しい。

いつまでも故人を想う気持ちは大切だが、故人の死を受け入れられないことが遺された人にとって生を阻むことになってしまう。




これを読んでどう思われるかわからないが、僕は冷たくなった祖父を見て、そこにはもう祖父はいないんだと思った。なぜなら、祖父を祖父たらしめる叡智がそこにはもう無いとわかったからだ。


叡智が創り出した肉体を90余年も働かせ、長年カタチあるものとして働いてきたその肉体に対して最大の敬意を表し、感謝の意を表した。





じいちゃん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。






Friday, September 23, 2016

パターンの意義

世界的に活躍されているデザイナーとして「佐藤オオキ」さんを取り上げるテレビ番組を最近良く見かける。


そんな彼が出演している番組を見ていて、カイロプラクターとして非常に面白い再発見があったのでブログにしてみた。




いつも同じような服を着て、いつも同じカフェで、いつも同じものを、いつも同じ席で嗜むことで、微細な変化に気づくことができる



そう言った彼は、意図的にパターン化させた日常の中に身を置くことによってほんの僅かな変化に気づけるようにしているという。

一種のルーティーンワークのようなものだ。

その主な作用として、「微妙な違いを感知するため」、「メンタルを落ち着かせるため」、「いかなる状況でも安定したパフォーマンスを発揮するため」と色々あるが、カイロプラクティック的に見れば日常をパターン化することで余計な労力を使わないためだと言える。




また、お笑い芸人として今尚第一線で活躍している「明石家さんま」さんも、パターン化させたお笑いを得意とする。

同氏がパターン化した笑いについてこう言っていた。


パターンを作った方が、見ているお客様も安心して笑える



安心の中の笑いを提供することに突出した彼ならではのお笑い哲学であり、視聴者として安心して見られる所以だ。



なんでも初めての事、未知な事に関しては緊張が伴うもので、初めて行く場所や初めてやる事を終えた日は、家に帰るとぐったりした覚えがあるだろう。

それだけ慣れない事をするのは神経を使うという事を、体はしっかり覚えているわけだ。


だからこそ、パターン化させて労力を最小限に抑えるというシステムが人間にはプログラミングされている。







パターンにはちゃんと意義がある。

カイロプラクターとしてなぜそのパターンを見るのか、なぜパターン化している事を問題視しているのかは、また後日ブログに書きたいと思う。



Friday, September 16, 2016

"ストレート"の価値

クライアントと話すことがあり、今一度振り返ってみた。

私が卒業したカイロプラクティックの大学は、今提供しているカイロプラクティックとは全くもって似て非なるものを教えている。

MURDOCH UNIVERSITY, Division of Health Science, School of Chiropractic and Sports Science
(現 Chiropractic Science and Clinical Chiropractic)


私が大学で学んだことは一般的な医学教育で、カイロプラクティックの独自性は何もなくカイロプラクティックを学んだ実感が得られない日々を送っていた。




そこでストレートカイロプラクティックと出会い、やっと自分の求めていたものに出会えたという喜びが私の人生を大きく変えた。

その瞬間から医学教育には価値を感じられず、ストレートカイロプラクティックへの価値が高まって行ったのを覚えている。





学生生活をサポートしてくれていた両親には、私の急な方向転換に驚きや不安や様々な感情があったと思うが、私の感覚を信じて背中を押し続けてくれたことはこれ以上にない幸運であり、私の感じたストレートカイロプラクティックへの価値に更なる価値を与えてくれている。







なぜそこまでストレートカイロプラクティックに価値を感じたか。

それは、言葉では表現するのが難しいが「尊敬と信頼」といったところだ。



オフィスに訪れるクライアントに対しての尊敬と信頼、それを表現しているストレートカイロプラクティックに魅力を感じたのだと今になって思う。




それまで学んでいた"カイロプラクティック"では、ドクターが全て正しく、その答えを患者に強要して相手を否定するような印象だった。

しかしながら、ストレートカイロプラクティックでは、クライアントが正しく、その答えをカイロプラクターが的確に読み取り、それを促すように力を貸すというものだ。




実際、私のタイプのカイロプラクティックを「患者にエゴを押し付けている」と言う人がいると聞いたことがあるがそれは間違っている。


そもそも私にとっては"患者"ではなく一人の人間として、自分にできることを弁えながら向き合わせてもらっているだけだ。







相手に対する絶対的な尊敬と信頼をそのままに表現するストレートカイロプラクティックに出会えて本当に幸運だと思うし、そんな他に類を見ない尊い価値のあるものに携われることに喜びを感じる。



私にとって価値あるものが他人にとって同じように価値があるとは限らないが、大事なことを教え続けてくれているストレートカイロプラクティックの価値をそのままに表現者として表現できるように高みを目指していきたい。








Tuesday, September 13, 2016

クセ

これを見るのは面白い。

ほとんどのクセが、自分の身を守るために行っているということをどれだけの人が知っているだろうか。





人間を含めた生命体は、産まれながら自らの身や種を守るという本能がプログラミングされている。

つまり、自分の都合第一主義。(人間は自分の都合を後回しにできる力があるが)






クセには身体的なクセもあるし、精神的なクセもある。

いずれもそうしなければ自分が生きていく上で不都合になるから、必要があってそのようなクセを身につけていると言っても過言ではない。


身体的なクセで言えば、自分の身を守るためには環境に適応していかなければいけないわけだが、適応するには全身の情報網である神経ネットワークに物理的な干渉があると一大事だ。

だからこそ、体を傾け、ねじらせることによって神経へかかる圧を取り除こうと一生懸命頑張っている=いつも足を組む、腕を組む、相手に対して斜めに座る、顎を上げてしゃべる、顔が傾く、等々のクセが現れるわけだ。




周りの人のクセを見てみると、結構面白いかもしれない。





Friday, September 9, 2016

深化 Progression

ものの見方、裏付け、技術についても、深化なしには発展はない。


学校というのは、最低限の基準を設けてそれをクリアしさえすれば卒業できる。

しかしながらカイロプラクティックに関しては、学校を出ればカイロプラクティックの全てを心得た者とは言い切れない。

あくまでも最低限のラインをクリアしたに過ぎないわけだ。




例えて言えば、音楽の授業だ。
リコーダーである曲の練習をして、楽譜に書いてある通りに音を出せるようになったら、ほとんどの人がそこで満足する。

でも音楽の道に進もうと思っているのであれば、作曲者の性格、時代背景、想いを楽譜から読み取り、リコーダーのメンテナンス、指のタッチ、息の吐き方、体の使い方など、無限に深める項目があって終わりはない。




その道を進もうと決意したのであればその道を突き進めば良いのだが、やむをえない場合を除き、多くが違う道へと進んで行く。





それが良い、悪いというわけではなく、大変であれ学んだことをより深化していくことの面白さをカイロプラクティックは私に教えてくれている。





日々実践する中で様々な壁に直面する。


その壁を突破するには、より哲学、科学、芸術を深化していく以外にはない。





幸い、日本にはカイロプラクティックの哲学、科学、芸術をまっすぐに深化させているカイロプラクターが数人現役で存在しているため、壁に直面したときにその先輩方の一言、所作でハッとして壁をぶち破ることができる。





早合点や、わかったつもり、できているつもりは深化、進歩を生み出さない。







Friday, September 2, 2016

カイロプラクティックはおもしろい

やっぱりカイロプラクティックには魅力がある。



対象とするのは脊椎サブラクセーションという単一な状態であるにも関わらず、

その状態から解放された生命体は予想もしない多種多様な表現をしてくれる。




一人として同じ人間はいないし、あなたはあなた専用の体で命だ。

だから脊椎サブラクセーションという共通する状態であっても、それから解放された時の表現は誰一人として同じものはない。




電車に乗っても誰一人として同じ背丈、体重、スタイル、ファッションをしている人はいないだろう。

元々あなたはオンリーワンで、皆と違う。


Aさんに紹介されたBさんはAさんと同じ表現を求めてこられるが、正直それには応えられない。


AさんとBさんは、根本的に違う人間だからだ。

それを認識できればBさんはオンリーワンの表現を誇らしく思うようになる。





唯一無二である自分自身を誇らしく思えるようになればどうなるのか、想像に難くない。




単一でシンプルなカイロプラクティックのサービスで、多種多様で豊かな世界になるなんて、素晴らしい職業だ。



Thursday, September 1, 2016

インテリジェンス


存在の根源となっているのがインテリジェンスだ


というのがカイロプラクティックの基本的な考え方にある。


一般にインテリというのは頭が良い人のことを言うが、頭が良いとはどういうことだろう。

「この人は頭が良いな〜」と思うのはどんな時だろうか?


おそらく単なる知識の蓄積、羅列よりも、知識を多彩に組み立てる能力のある人と接した時に感じると思う。


私は割と知的好奇心が強い方で、おもしろいと思ったものはある程度腑に落ちるまで追求する。逆に興味のないことにはとことん興味がないが…(笑)






なんでだろう?と思うのは人間が人間である大きな特徴であり、多くの意味付けによって自分や他人、世界の存在が特定される。


宇宙という空間には分子、原子、陽子、中性子、電子、ニュートリノ…と素粒子で満たされていて、そのランダムにある万物の素材が集まることで形を成すというのが現在の人智の及ぶところだ。


その無数にある素材を活かして初めて万物が存在することができ、その素材を組み立てるプロセスそのものがインテリジェンスだと言える。





それはまるで「シュレーディンガーの猫」のようなものだ。




逆に、インテリジェンスを全く無視した場合、そこには自分も宇宙も素粒子も何も無くなる。

「有」はインテリジェンスの作用によって特定され、インテリジェンスがなければ素材も応用力も無いので、そこには存在も何も無いという無限の「無」となる。





つまり私の主張は、すべてを創り出しているのはインテリジェンスそのものであり、そのインテリジェンスを持った者が自由にすべてを創り出せるということだ。

もっと簡単に言えば、すべては自分次第ということ。







自由に作って組み立てて、生きたいように生きている。

メカニズムは後出し

"Mechanism"とは『機械論』という意味だが、単に「メカニズム」という日本語になりつつある。

翻訳するときは「作用機序」と訳されたりもするメカニズム。


実はその「メカニズム」は間違っていることがある。





起こった現象を、どうしてそのような結果が出たのかという仮説を立てて様々な条件で検証し、その現象が如何にして起こったかを特定するのが機械論の基本的な考え方だ。




世の中は分からないことだらけで、なぜそうなっているのか分からないがその"法則"を利用して我々の人間的な文明が発展してきた。


様々なメカニズムが解明されてきている反面、未だ解明されないメカニズムも多く、それらしい仮説のもとに理論を確立し実社会で実践されている。


身近に、巷の面白い仮説を検証するテレビ番組もあるくらいだ。




しかし、作用機序の仮説が間違っていることは歴史上よくある。

例えば昔、前成説という生命の誕生に必要な精子には小さな人間が入っていると思われていたが、顕微鏡技術の発展によりその仮説は否定された。




カイロプラクティックにおいても、過去の約120年間に仮説的な理論に基づいて実践が行われ、検証され続けてきたものが現存している。



人は後天的に得た叡智を駆使する生き物なだけに、納得できるものでなければ生き残っていけない。




脊椎サブラクセーションの状態も技術的な進歩によって存在を肯定も否定もされうるわけだが、如何に後出しじゃんけんで勝ち続けるかがカイロプラクティックの生き残りにかかっている。




Monday, August 22, 2016

"Hold"

カイロプラクターとして嬉しい瞬間がある。


自分がきっかけを与えたクライアントが、脊椎サブラクセーションの無い状態を保持している瞬間だ。


それを我々は"ホールドしている"という。

つまり「カイロプラクティック的に好ましい状態が保てている」ということだ。




先日、ジュネーヴに音楽留学している彼女のスパインチェックを帰国中に行った。

留学中に多くの困難に直面しながらも、自己管理を徹底している姿を携帯電話を通して見ていたので、脊椎サブラクセーションに陥ったという恐れは私の中には無かった。



案の定、チェックの結果"ホールド"していた。

これで彼女のサブラクセーションフリー(神経干渉なしの状態)が丸々一年経過したということになる。



彼女の経験上これほど"ホールド"できたことが無いので最初は懐疑的になっていたが、幾度とチェックをしても明らかにカイロプラクターの手助け(スラスト)を必要としない状態であることを確認でき、彼女もやっと安心していた。



なぜ嬉しいかというと、施術がうまくいったからではない

私が大切にしているものを彼女も大切にしているからだ。



フリーになってからはクライアント本人に全てが委ねられる。

その中で彼女は私が大切にしているものと向き合ってくれた結果が、"丸一年のホールド"という形で現れたのは嬉しい瞬間だった。


生きていく上でキャパオーバーのストレスを受けることは不可避であり、脊椎サブラクセーションになることも避けられない。


"ホールド"こそが是であるわけではないが、共同作業的要素の強いカイロプラクティックの実践においては大きな喜びのひとつだ。




Tuesday, August 2, 2016

命の表現

先日、世界的に活躍されている小澤征爾氏の指揮を初めて目の当たりにした。


御年81歳の偉大な指揮者は言わずもがな肉体の制限が若い頃よりも大きく、バンザイするほど高く両手も挙がらず長時間立っていることもままならないようだった。



彼に関して全くと言って良いほど知識もないし生き様も知らない。
髪の毛ボサボサの"世界のオザワ"って有名なおじいちゃん指揮者がいるらしいというほど無知だった。



しかし、指揮する姿を観て人生で初めて音楽で涙を流した。



曲の影響もあってか彼の制限だらけの老いた肉体が音楽を奏で、
まるでやがて肉体の限界を迎えるであろう自分自身を表すような曲(命)を全身全霊、同化して表現しているようだった。


音楽に生き、生かされ、音楽家によって受け継がれてきた想い、マインドを後世の若い音楽家に感じとって欲しいといった想いを小さな背中から感じる指揮であり、小澤征爾という肉体が制限だらけの中で躍動していた姿に思わず感涙した。




まさに、小澤征爾という「命の表現」を見せつけられ、言葉が出なかった。




指揮者はマインドを奏者に伝え、奏でられた表現を集約して伝えたいマインドを聴衆に届ける。

そのマインドがストレートに表現できた時に、音楽がその指揮者自身となるのだろう。




世界のオザワと呼ばれる理由に納得できた1日だった。





インテリジェンスの働きであるマインドを肉体の各部位に届け、ストレートにそれを表現することが、干渉無き命の表現=その人自身となる。




生命の三位一体とはまさにこのことだ。




Tuesday, July 26, 2016

プロ意識

「一体、自分は何のプロフェッショナルであるのか」

その意識を持って日々プラクティスに励んでいるカイロプラクターはいるだろうか。



私は、脊椎サブラクセーションのプロフェッショナルだ。

徒手療法のプロでもなく、アジャストメント(技術)のプロでもなく、筋骨格系のプロでもない。


自らのコアとなる「何のプロフェッショナルか」を明確にすることは、より己の道を洗練するのに有効に働く。




背椎サブラクセーションはカイロプラクティックの中心的概念であるにも関わらず、業界内で絶対的なコンセンサスが未だに得られていないのも事実だ。

寧ろ、背椎サブラクセーションなんてもんは時代遅れの過去の幻として葬り去るカイロプラクターさえいる。




医学者は病気、症状を呈する肉体のプロフェッショナルであるからこそ人体というものを掘り下げて追求する。

一方、どれだけのカイロプラクター達が中心である背椎サブラクセーションを追求しているのだろうか?






各人の「何のプロフェッショナルであるか」というのは個人の自由だが、
私個人としては共に背椎サブラクセーションのプロであるという意識を持った同志が出てくることを願っている。





Monday, July 25, 2016

印象

先日、彼女の先生であるJean Jacques Balet先生の公開レッスンを見学させて頂く機会に恵まれた。


クラシック音楽の世界は"なんか敷居が高い"というイメージがあり、一般的にも馴染みのない人にとっては"わからない"代表とでも言えるのではないだろうか。




ひとつ、公開レッスンを見学して素人目にわかったのは


非常に当たり前だが、
「表現によって印象が大きく変わる」ということだ。




非常に微妙な表現の変化から、全く違う印象を受けた。



これは日常生活においても言える。


喋るときの言葉選び、間合い、声の大小、抑揚、表情。
同じ内容でも表現者によって「あの人の話は面白い」、「あの人はやたら話が長い」、「あの人は一体何を言いたかったのだろうか」などと受け手の印象は大きく変わってくる。



表現に正しいも間違いもない。


ただ、表現ひとつで相手に感動を与えられるのか、何も印象を与えられずに終わるのか、憤慨させるのかが受け手によっても大きく変わってくる。



こんなにも音楽というものが、極々身近でダイレクトなものの中に存在しているのかと驚いたと同時に、今まで距離を置いていた音楽というアートを通して自分の伸びしろを再発見できた。



今回の公開レッスンは、私のカイロプラクティックに活きてくるだろう。


如何にして"ライフ"を表現し、感動を与えられるか、そしてクライアントが自発的に自己の表現を伸び伸びとする事が出来るようになるのか、それを考えるのが愉しくなってきた!



表現次第で決まる。


Saturday, July 16, 2016

感度

長年カイロプラクティックケアを受けていて、脊椎サブラクセーションがない状態を長く経験している人は、自分の身体に対する感度が高い人が多い。



つまり、自分の身体の変化を敏感にキャッチするという事だ。




先日のクライアントも、小学生の頃からカイロプラクティックケアを受けており、自分の身体に違和感を抱くと連絡が来るようになっている。




「ちょっと傾いてる感じがする」
「腰がハマってない感じ」
「肩の動きがおかしい」
「アゴがスムーズに動かず、噛み損ねる」




脊椎サブラクセーションがない状態が"普通"になっているこのクライアントにとっては、脊椎サブラクセーション状態になった時の"異常さ"に気付きやすい。




聞くところによると、
「ここ最近トレーニング強度を上げている」
「休めてない」
「自分には合わないと分かっていながらネックレスをするようになった」



という、そのクライアントにとってはネガティヴな要因が増えていたようだ。




日常生活に変化を加える事は、時に良い方に作用する事もあるが、悪い方に作用する事もある。
(※良い、悪いというのは、その人にフィットしてるか否かという事である)





スパインチェックを受けた事がない人は、自分の身体がどれだけ繊細に出来ているかを知る事が難しい。


自分の身体に対して感度が高い方が良いのか悪いのかは個人の考えを尊重するが、肉体を維持するには必要な事なのだろう。




Friday, July 15, 2016

キャパシティ

「キャパシティ」という単語を、
限界と捉えるのか、制限と捉えるのか、容量と捉えるのかは各個人で違うだろう。




我々人間同様、形あるものにはキャパがある。


それは『物質』という有限の範囲だ。




私がカイロプラクティックケアを提供させて頂ける方も、

脊椎や靭帯、腱、筋、血管、神経自体の物質に病的な問題がない時に限る。





仮にアプローチする脊椎が骨折していたり、腫瘍に侵されていたり、物質的に限界を超えた場合には術を施すことはできない。




物質に問題がある場合は然るべき処置を受け、カイロプラクティックケアが受けられる状況になってからでなければカイロプラクティックの真価は発揮できない。





肉体という限られたハコの中で生命を表現するのが我々の生命観であり、

ハコを糸口にアプローチを行うのが私にできることだ。






従って、助けを求めていらっしゃるクライアントの中に物質の限界を超えている方がいたらお受けできないことがあり、然るべき機関に行って頂くようにお勧めしている。






我々が対象とする範囲を超えたものは、我々には対処のしようがない。

カイロプラクティックという職業に「範囲」があるからこそ、クライアントには他の業種の力が必要になるのである。



カイロプラクティックが万能であると想っている人は、要注意だ。


Tuesday, July 12, 2016

セルフコントロール

スパインチェックをしていると、問題のない人がいる。



今までカイロプラクティック的に問題だと見做す状態(脊椎サブラクセーション)が何度も続いていたにも関わらず、急に問題ない状態になったりする事もある。


そういう方々の話を伺うと、大体共通して生活の何かを変えたという声をよく聞く。



先日いらした方は住環境を変えたと仰っていて、それが見事にその方にハマっていたようだ。

その方は非常に自分に素直に生きていらっしゃる方で、職や居住地を転々とするらしい。





一般的には、そういう転々とする人の事を高く評価しない傾向にある。

「一つのことをやり続ける事が美徳である」と。


がしかし、その方は約1年ぶりのスパインチェックだったが問題はなかった。




推測でしかないが、
自分に素直に生きている事により自ずと外力を選択し、肉体に負担をかけないような生き方になっていたのだと考えている。



「そうは言ってもそんな生活は無理だ」
という人もいるが、優先順位が違うだけでどちらが良い悪いという議論をしたい訳じゃない。




どういうタイプの人でも最も大切だと思うことは、コントロールすることだ。



誰にだって不可抗力はあるし、逃れられない事もある。


その中で自分の体を優先する時なのか、それ以外を優先する時なのかという事を、時と場合に応じて自分でコントロールする必要性を感じている。





自分の体は自分でしか守れない。





Sunday, July 10, 2016

肉体を維持するために

先日チェックしたクライアントに、明らかに自己防御反応に走っている方がいらした。



その方は考える事が得意なために、体の声に耳を傾けることが難しいようだった。




話しを伺っていると、


「クールに振舞っているつもりはないのに、クールだというイメージを持たれている。」

「最近、お酒を飲むと人が変わったように陽気になる。」

「数ヶ月に一回、どうしてもエンジンがかからずに眠気が酷い時がある。」

「敬語で話さなくて良い相手に意図せず敬語を使ってしまう。」



などと、その方が受ける外力(universal force)を本能的にシャットアウトしようとしている傾向があった。




命あるものは、自らの肉体を維持するためにすべての行動をとる。




私が視るのは神経伝達に干渉があるかないかだけであるが、神経伝達に干渉がある人は上記の様に自分を守るため周囲から受けるストレスをシャットアウトしようとする傾向があり、チェックしていくと明らかにカイロプラクティック的な問題が見受けられた(脊椎サブラクセーション)。



そしてご本人の意志により、力をお貸しした。



例えて言うならば、生命というのは"乗り物"である肉体を保つことに全力を注ぎ込むようにできている。



常に乗り物を修復しながら生きているのだが、自力で修復できない問題(脊椎サブラクセーション)は他人の力を借りることで乗り心地を快適にすることができる。


施術後クライアントも、乗ってるだけで疲れるような乗り心地から快適な乗り心地に移行できたようだった。





自分の言動や行動、道行く人の歩き方や電車で座っている人の座り方。

変わった人がいますよね。

そういった方たちも、肉体を維持するためにそのような行動をとっているんです。



Thursday, July 7, 2016

イネイトインテリジェンスへの敬意

我々生きとし生けるものは「生来の叡智」によって生命を維持、表現できる。





その生来の叡智によって我々は生かされ、
カイロプラクター達はクライアントの生来の叡智と共に仕事をする。




我々カイロプラクターの根本的な思想のひとつに、
「イネイトインテリジェンスは如何なる時も100%であり、間違うことはない」という考えがあり、絶対的な信頼と敬意をもってクライアントに接している。




つまり、第三者がその人の生命を評価、判断して「良い、悪い」、「(助けが)必要だ、不必要だ」とレッテルを張る事は、そのクライアントの根本的な生命を自分の理想の形に当てはめて考えるようなもので、私はそういう考えはない。





だからこそ、クライアントのイネイトインテリジェンスをよく見て、その最も信頼の置けるイネイトインテリジェンスに従い、共に仕事をするという意識を大切にしている。





脊椎サブラクセーションもひとつの生命表現であるし、有っても問題ない。


ただ、それが無い方が「楽」に生きられるという小さな違いを提案させて頂いているに過ぎない。






脊椎サブラクセーションと共に生きていくのか、取り除くようにカイロプラクターの力を借りるのかという選択権はクライアント自身にある。

脊椎サブラクセーションの存在を認知してもらい、どうするかを本人に委ねる事がその人のイネイトインテリジェンスへの最大の信頼と敬意の表し方だと思っている。









Thursday, June 30, 2016

歯科

先日、歯科医院に立ち寄ることがあった。


そこで感じたことだが、デンタルケアの在り方はカイロプラクティックケアの在り方と似ているところがある。




歯が痛くて夜も眠れなくなってから歯科医院にかかる人、
年齢による変化が気になってから歯科医院にかかる人、
ほんの僅かでも違和感を抱いてから歯科医院にかかる人、
特に問題はないが歯科医院にかかる人




多くのタイプがいる。




どのタイプの人が来ても、歯科医は口腔内をチェックし問題があれば然るべき処置を施す。




歯科医によって重きを置くところに違いが出てくるが、基本的には口腔内のトラブルを解決するためにプランを提案して完治までの道筋を立て、完治後も"予防"のために定期的なチェックを推奨している。






カイロプラクティックケアでも、上記のような様々なタイプの人達がオフィスに訪れる。




私のオフィスでも脊椎上に問題(椎骨の変位、椎孔の狭窄、神経圧迫、伝達干渉)があるかどうかをチェックし、問題があれば施術を行う。





しかしながら歯科と違うところは、所謂「治療」を目的としていないために、プランや予防策も提案しないところにある。




先日もクライアントさんに問われたが、
「先生、何か日頃気をつけたほうが良い事とかありますか?」


という問いに対して歯科医であれば、
「歯磨き粉、歯ブラシ、歯磨きの仕方、糸ようじの使い方を教えた通りにして、定期的に検査にいらしてください。」


と答えるだろう。




でも私の場合は、
「一人として同じ人間がいないように、人によってヨガが良かったり、山登りが良かったり、柔らかい寝具が良かったり、硬い寝具が良かったり、人それぞれ必要な物、心身のストレスにならない物や生活習慣は当然異なります。ご自分の生活が正しかったか、自分に合った物を使っているかなどを確認するには、うちにチェックに来られればわかりますよ。」


とお答えした。




あくまでも主役は私ではなくクライアントさんなので、一番はクライアントさんの自主性に委ねているし、これが絶対正しいと言われる万人に当てはまる形式は存在しないと思っている。


だからこそ多様性があって面白いし、そんな多種多様な生き方のサポートができる喜びを感じられている。







Saturday, June 25, 2016

脊椎サブラクセーションの定義

先日、遥々韓国から訪れたカイロプラクター達に質問した事がある。



「脊椎サブラクセーションとは?」




彼らはガンステッドセミナーを受けに来日したようだが、ガンステッドでのサブラクセーションの定義や、トルクリリース、AK、NSA、ディバーシファイドなどその他の各テクニック毎に、カイロプラクティックのコアである脊椎サブラクセーションの定義が異なっている。




なぜこんなにも、我々の中心である脊椎サブラクセーションの定義が違うのだろうか。




これは個人的な見解ではあるが大きな要因として、
①創始者であるD.D.Palmerが"治療家"だったこと
②実践者達の焦点がズレていること

以上の因子がカオスな現状を創り出している。




他人の人生をとやかく言うつもりでもないし、どう生きるかは個人の自由で干渉するつもりでない事を先に断っておく。




ただカイロプラクティックに迷っている方に向けての一つの指標となればと思い意見を述べようと思う。




さて、①の創始者であるD.D. Palmerが治療家だったこと
だが、これは我々TIC道の存在意義でもある『目的』の重要性に関わっている。


難聴であった使用人の背骨に出っ張りがあり、そこを押してみたら聴力が回復したという事から始まったカイロプラクティック。

つまりカイロプラクティックを創始した本人が、"治療の為の手段"として脊椎を対象として治療行為に至った経緯がある。

常日頃D.D.は、
「なぜ同じテーブルで同じ物を食べているのに、ある人は健康である人は病気になるのか」
という疑問に対し向き合っていた。



そこで彼が着目したのが脊椎だったのだ。



彼の『目的』は治すことであり、所謂医療としての一手技にしか過ぎなかったわけだ。



従って、彼の治療家という在り方自体が、後に脊椎サブラクセーションの定義を混沌とさせた要因の一つとなったと考えている。





続いて②の実践者達の焦点がズレていること
だが、これはD.D. Palmer以後の多くのカイロプラクター達の焦点の問題である。


これは①に付随するものではあるが、依然として手技療法として実践する者が多くいた。


「我々は万病の元を発見した」、
「これこそが病人を良くする方法だ」と。



その他にも実践者達の多様な目的によって焦点が、富や名声、新たな療法の創始、趣味とブレたり、テクニックの追求、イネイトインテリジェンス、アジャストメント、脊椎サブラクセーションの原因や脊椎サブラクセーションの結果、またその予防へと焦点がズレ、コアである脊椎サブラクセーションが確立される前に都合の良いように書き換えていったのだ。




以上のように、実践者の焦点がどこにあるかによって脊椎サブラクセーションの定義が書き換えられた経緯があると見ている。







どこにフォーカスするか。


カイロプラクティックは、脊椎サブラクセーションに焦点を合わせる。






Thursday, June 23, 2016

伝えること

我々カイロプラクターが対象とするのは、脊椎サブラクセーションのみだ。



その存在をクライアントさんに伝えるか否かは各カイロプラクターのスタイルによって異なるが、僕の場合は最近お伝えするようになった。




一番の理由は、

自分の仕事、自分にできることを明確にお伝えするためだ。






上京してからおそらく既に200人以上に自分の仕事を伝えてきたが、カイロプラクティックという職業に対する誤解の多さを改めて実感した。


カイロプラクターの中でもカイロプラクティック以外の仕事をする方は多くいらっしゃるが、その人たちのことを議論したいわけではない。






自分が目の前のクライアントさんに対して何ができるかを考えた時、自分には脊椎サブラクセーションの存在を知って頂き、それが有るか無いか見つけ、分析し、正すように加勢するということだけだった。



クライアントさんを深く尊重し信頼するのであれば、あれはダメだこれはダメだ、こうした方が良い、あれを食べた方が良いといった"アドバイス"は必然的にしなくなるし、
それよりもクライアントさん自身の性質に合った生活かどうかをスパインチェックによって確認できますよと提案するようになった。



自分は自分の仕事に責任を持っている。
脊椎サブラクセーションの有無を確認し、有れば正するように力を貸す。

クライアントさんの生活管理はクライアントさんの仕事だと考えているので、それを理解して頂くためにも自分にできる事と、できない事をお伝えしている。





「私は脊椎サブラクセーションのプロとして仕事をしています。」



初めて聞く人の頭の中は???だろうが、それを伝え理解して頂くのが最初の仕事ではないだろうか?










Wednesday, June 22, 2016

提案

僕はカイロプラクティックのある人生を提案させて頂いてる。



世の中には様々なシーンで生きている人達がいて、十人十色。




スポーツが中心にある人、仕事が中心にある人、学問が中心にある人、趣味が中心にある人、家族が中心にある人、脊椎サブラクセーションが中心にある人


皆がそれぞれに違うドラマを生きている。




一人一人が各人生の主人公。




「いやいや、私なんて…」




そう思っている方もいるかもしれないが、あなたの人生は全てあなたが創っている。








今日は夜雨だから傘を持ってこうとか、
仕事場に車で行こうとか、
朝ごはんはパンにしようとか、
今日は違う道で出勤しようとか、
朝から物騒なニュースで嫌になっちゃうなとか、






朝起きてから、気づかないうちに小さな選択を一瞬一瞬繰り返している。





主人公というものは、結構大変なもの。




自分の一挙手一投足が、ドラマの内容を大きく変えてしまう影響力があるからだ。






そんなあなたのドラマに、カイロプラクティックのある人生を提案させて頂くのが僕にできること。





どう捉えて、どう活かすかはあなた次第ではあるが、僕はカイロプラクティックがあることで自分自身と向き合えて不必要なものを削ぎ落とし、自由になれた。


明らかに僕は、カイロプラクティックがあることで生きる歓びを得られた。





もしあなたが今、自分に息苦しさや閉塞感があったり変化を求めているのであれば、

キッカケとしてカイロプラクティックを活用されることを、自信を持ってお勧めできます。




星の数ほど選択肢はあります
どれを選ぶかはあなたの自由





Saturday, June 18, 2016

カイロプラクター達の訪問

先日、韓国より2人のカイロプラクターがオフィスに訪れた。



実は2人のうち1人は既にFacebook上で友だちになっていて、以前から我々TIC道の活動を見ていて非常に興味を持っていたらしい。




「上部頸椎を学びたい!」、「HIOをやりたい!」


そう言って僕に所謂"上部頸椎カイロプラクティック"を求めている様子だった。



1人は自国で撮ってきたレントゲンを見せてくれて、

L1が圧迫骨折して足が悪い、頸椎が後弯している、首から頭にかけて痛みがあるなどと、主訴を述べていた。





韓国においてもカイロプラクティックは医療であり、医師と共に働いている。



きっと彼らも、上部頸椎カイロプラクティックという"テクニック"がそういった問題を解決してくれるに違いないと助けを求めてきたのだろう。



早くチェックして下さい!

そういう眼差しをバリバリに感じたので、完全に無視してカイロプラクティックは治療じゃない、できない、症状は関係ない、脊椎サブラクセーションしか見れない、我々カイロプラクターの仕事は云々…と、医療と全く違う、おそらく彼らが出会う初めてのタイプのカイロプラクティックを説明した(笑)

(相手がカイロプラクターだったということで、特に時間を割いた)




その他にも、カイロプラクターである彼らにたくさん質問を投げかけた。

 なぜアジャストを行うのか
 どうやってアジャストする部位を決めるのか
 レントゲンに脊椎サブラクセーションは写るのか
 哲学はプラクティスにどのような意義があるか
 脊椎サブラクセーションの定義は
 メンタルインパルスとは
 どうやってクライアントに脊椎サブラクセーションが有るのか無いのかを判断するのか
 いつやるのか、いつやらないのかの判断はどうするのか
 DD Palmerの職業は何だったのか




その他にも色々質問したが、医学的な返答は帰ってくるがカイロプラクティック的な返答はほぼゼロだった。



無理もない。自分もかつては同じような状態だったので、少し懐かしい感じがした。





一通り説明し、実際にチェックしながらパターンワークを体感してもらい、了解の下にスラストまで行った。





そして帰り際に、

テクニックにこだわらず、カイロプラクティックの目的にこだわって欲しい

ということを強調して、彼らはホテルへ向かった。







正直、自分の拙い英語でどれほど相手に伝わったかわからない。
どう感じ、どう想い、どう理解し、どう行動に移すのか、全く想像は付かない。



でも、僕を通してカイロプラクティックを知って欲しいという想いだけで、約3時間向き合わせてもらった。




本当の意味で仕事ができたかどうか、それは彼らの今後の動きによってわかるのだろう。


手作りの脊椎模型をプレゼントして頂いた!


Wednesday, June 15, 2016

Ease

我々の体は常に"楽"であろうとしている。




それが Ease だ。




そんな"楽"に横槍を入れるのが脊椎サブラクセーションであり、"楽"じゃない状態、所謂 Dis-Ease という状態になる。




"楽"とはどういうことだろうか。




イネイトはどんな環境下でもベストを尽くして肉体を保持しようと常に外力に適応している。





外力が多ければ多いほど、または強ければ強いほど、イネイトの仕事が増えてしまう。





イネイトとしては、仕事が少ない方が"楽"だ。




カイロプラクターの仕事は、

イネイトにとって最優先である、脊椎サブラクセーションを取り除こうとする仕事を共に解決するサポートだ。





人は生きていれば脊椎サブラクセーション以外にも、たくさんの仕事が次から次へと降りかかる。





そこは我々カイロプラクターの仕事の範疇を脱する。




脊椎サブラクセーションにフォーカスするのが、カイロプラクティックだ。





Monday, June 6, 2016

情熱


情熱




どうやら僕には、情熱しかないようだ。



良い面もあれば悪い面もあるだろうけど、



結局僕には『情熱』という武器しかない。





情熱しかないというより、情熱があるじゃないか。


誰かに嘲笑されても、コケにされても、無様な姿になっても、


それだけで戦うという無謀な自分だが、この際、その情熱だけで戦いきる。







Friday, June 3, 2016

脊椎サブラクセーションの予防

クライアントさんが帰り際によく質問されることが「予防策」だ。


1, 椎骨の変位 2, 椎孔の狭小化 3, 神経の物理的ストレス 4, 意志(mental impulse)の干渉

以上の4つが揃った状態を我々は脊椎サブラクセーションと言い、その状態を見つけ、分析し、必要があれば施術を行う。


施術後に今までの状態から脱したクライアントは、「なぜそういう状態になったのか」「どうすれば再発防止できるのか」そういったことを考えるようになる。

所謂、学習というプロセスだ。




しかしながら、この「脊椎サブラクセーションの予防」は可能か否か。




それは脊椎サブラクセーションの原因を知れば解決策が見つかるかもしれない。



では一体、脊椎サブラクセーションの原因とは何だろうか?


3Tsと言われる、
Thought,Trauma,Toxin
精神的、物理的、化学的な要因によって起こり得ると創始者は提示した。




ここからは個人的見解だが、
脊椎サブラクセーションという状態は「生きていること」が原因であると考えている。


精神的、物理的、化学的ストレスは生きている限り逃れることは不可能だ。



3Tsを大きくひっくるめると、自分の外から受けるチカラといえる。
(精神的ストレスは自己以外の存在の認知から起こるので、"自分"の外から受けるチカラと言える)


しかし面白い事に、外から受けるチカラ無くしては、"自分"という存在は生かされない。

精神的、物理的、化学的ストレスを外から受ける事で人は生命の活動状態を維持する事ができるのだ。




仮に精神的、物理的、化学的ストレスの無いところに生命は存在できないと弁証法的に主張できる。




矛盾したように聞こえるが、事実、命を失った肉体において脊椎サブラクセーションは存在せず、生きる為に必要なはずの外的なチカラによって、引き起こされてしまうのが事実だ。




日が暮れたと同時に就寝し日の出とともに活動をはじめ、その土地にその時期にできたものを食べ、自然豊かで完璧な環境に身を置き、他人との関係に全くストレスのない状況があれば幾分かは脊椎サブラクセーションという状態に陥るリスクは減らせるのかもしれない。


しかしながら、今の世の中ではあまりにも非現実的なのは言うまでもない。





カイロプラクティックオフィスに通い続ける必要は全くなく、人によっては少し睡眠時間を増やした事で脊椎サブラクセーションがない状態が長く維持できたりもする。ある人にとってはスポーツをはじめたり、姿勢を意識したり、酒タバコを再開したりと多種多様な方法で脊椎サブラクセーションがない状態を維持できる人もいる。



つまるところ、一概にマスターキーとも言えるような「これをやれば大丈夫!」という簡単なものはなく、各人に合った方法があり、カイロプラクターがこうして下さい、ああして下さいと言及できる問題ではない。





どうする事が脊椎サブラクセーションの予防に繋がるのか。



そのテーマはカイロプラクター側ではなくクライアント側の問題で、現状を省みて自発的に動くよう背中を押してあげる事が、クライアントへの最大の尊敬と信頼ではないだろうか。






Friday, May 27, 2016

カイロプラクティクは相対的

カイロプラクティックの哲学は深く、現実的だ。

カイロプラクティックの考え方では「他と比較しない」という特徴がある。
  (過去に書いたブログはこちら




それは、絶対的な尺度で判断される一般的な通念とは大きく性質を違う。



例えば「点数」 (A, B, Cの三人はそれぞれ実力を100%を出し切ったという前提)

毎年難易度が変わらないテストで平成28年にAさんは80点、Bさんは60点、Cさんは100点を取った。
翌年同じテストでAさんは90点、Bさんは100点、Cさんは90点となった。

優劣の順位が付けられる一般社会で評価されるのは、 
平成28年は1番がCさん、次にAさん、そしてBさんだ。
平成29年は1番がBさん、次にAさん、Cさんだ。 

そして2年で各自比べると、
Aさんは過去の自分より10点優れ、Bさんは40点優れ、 Cさんは10点劣ったことになる。
 




しかしカイロプラクティック的な考えで言えば、
AさんもBさんもCさんも、皆100%を出し切ったので同列であり、優劣の問題ではない。そして過去の自分との比較による優劣もない。 


天体で言えば、太陽、地球、月の引力がそれぞれ異なるだけで、それぞれに固有の引力があるだけの話で優劣ではない。




さて前置きが長くなってしまったが、

オフィスに来たクライアントがサブラクセーション下にあるかどうかの判断をする時、その判断基準値はAさん、Bさん、Cさん、それぞれ違っていて当たり前だということだ。

うちのオフィスでは、チェック時に厚さの異なる板に乗ってもらい、何ミリの時に身体機能が正常化するかを判断基準の一つにしている。


簡潔に言えば、各人のサブラクセーション下における適切な板の厚さはA, B, Cさん、それぞれ違うということだ。

Aさんは10mmでパターンが消える、Bさんは3mm、Cさんは8mmという具合に。



つまり、カイロプラクターがどの人に対しても「5mm以上はサブラクセーションである」という決めつけの判断は間違っているということだ。そして、同一人物であっても、10歳の時と90歳の時とでは判断基準が変わるということ。
画一的な判断基準はまるで、「生涯通じてテストで80点以下の人間は人間じゃない」と言っているようなものだ。








総じて僕の主張したいことは、

何が正しくて、何が間違っているのか?
何を指標に判断を下せば良いのか?
その判断は各人固有の判断基準に則るのがカイロプラクティック的な判断基準であるということで、もっとシンプルに言えば基準は"その人"であって他人が画一的に決められることじゃないということだ。



つまりカイロプラクティクでの正解はその人であり、その人固有の内在する叡智(Innate Intelligence)が行う事が正しいと考える。




従って、内在する叡智の能力は下がらないし上がらない。
常にその場、その状況に応じて100%である。 

ただ単に、物質と時間の制限によって内在する叡智から創られた100%のフォースが干渉され、サブラクセーションという状態になってしまうだけだ。 


無限にフレッシュな物質と無限に持て余した時間があれば、内在する叡智はサブラクセーションすらも骨を溶かし、変形させ、サブラクセーションという状態からも脱する事ができるだろう。

だが残念ながら、それらは自然の摂理に無い。

Saturday, May 21, 2016

Get sick people wellの私的考察

Get sick people well

病人を良くする


BJの掲げたスローガンで有名だが、これを何も深く考えずに読めば「カイロプラクティックで病人を治すんだな」という印象だ。





ここで、時代背景やカイロプラクティックの独自性を主張していたBJの想いを考察してみる。


当時、カイロプラクティックの哲学はほぼ確立されていた。
しかしながら、その哲学を裏付ける科学や、哲学を表現する芸術(実践)が追いついていなかった。

そのために、アメリカ医師会に"インチキ療法"だとコケにされてカイロプラクティックには市民権が与えられていなかった。





創始者のD.D. Palmerが医師法違反で逮捕され、有罪判決が下された時に、
「私は無実だ!医療の方が病人を良くできていないことで有罪である!」
と叫んだそうだ。
つまりD.D. Palmerは、病人を良くするためにカイロプラクティックを行っていたからこそ逮捕されたのだ。



医師法違反で続々と逮捕者が出る現状で、BJは科学的にカイロプラクティックの正当性を主張するためにリサーチクリニックを開設し、医師や看護師を抱え込んでのリサーチを行い、膨大なデータを集めてカイロプラクティックケアが科学的に有効であると結論付けたわけだ。

言い換えれば、カイロプラクティックを医療の側面から正当化したということになる。




つまりGet sick people wellを掲げた背景には、
1.多くの病人を集めてデータを取りたかった
2.誰にでもわかり、インパクトのあるキャッチコピーが欲しかった
3.対アメリカ医師会が色濃く出ていた
4.医師会に認めさせるために医療的なデータを集めたかった
5.医師会からの弾圧に抵抗する材料が欲しかった


以上の理由が考えられる。




そしてBJは同時にカイロプラクティックの独自性の主張にも躍起になっていた。



そこで引き合いに出したのがやはり、医療だったのだ。

医療は病人ではなく病気を相手にしている
医療は人体に何かを付け足す、所謂医師中心的な考えである
医療は人工的である


それに比べてカイロプラクティックは

病気ではなく病人(sick people, dis-ease people)を相手にしている
何も付け足さず人体内にある自然の力を活用する、その人中心的な考えである
カイロプラクティックは自然である



そう主張し、微妙な言葉遣いの中にカイロプラクティックの独自性を込めながら、対比的にカイロプラクティックの正当性を主張したかったのだ。



<余談>
医療において「病気を治す」であれば、Cure disease と言う表現を当てがうのが適切であるが、カイロプラクティックでは病気は治さない。治すのはその人自身であるということ。そして 、sick peopleという単語を使うことで病気だけをターゲットとしている医療と違って、人間を相手にしていること。さらにその人々を治すのではなく、良くなる、良好な状態に持って行くというGet ~ wellを用いていることに、医療との違いを込めた一文になっていると推測できる。こういう微妙な言い回しが好きだとグリーンブックを読むとわかってくる。




以上を鑑みると、Get sick people wellのスローガンには多くの想いが込められているのではないかと推測できる。







しかしながらGet sick people wellをスローガンとしてカイロプラクティックを用いたBJは、その後多くの混乱を引き起こすことになる。

Get sick people wellは、謂わば医療の目的と同一だとみなされる。
そこで医療とカイロプラクティックの住み分けが必要となるが、目的を医療と共にした時点でカイロプラクティックは単なる手技の一つとなってしまったわけだ。


全ては病人を良くするため。
その目的を達成するには手段は問わない。
一手段となってしまったカイロプラクティックが、その本質を失ってしまったのは現状が指し示すところである。



「医療とは違う独自のものだ」と声高らかに唱えたのに、Get sick people wellというスローガンによってカイロプラクター達の目的が医療と同一となってしまったことで、結果的にカイロプラクティックの独自性が失われてしまったという、実に皮肉な結果になってしまった。



しかしながらBJが行ったことは、良かった悪かったと批評されるべきものではなく、立場を確保するためにベストを尽くした結果であり、現在でもカイロプラクティックという固有名詞が残っているのはBJの功績なくして語れないだろう。







でも僕はカイロプラクティックという固有名詞よりも、カイロプラクティックの中身、本質を残していきたい。いずれカイロプラクティックが日本で法制化されるか禁止されればカイロプラクティックという固有名詞を捨てて、本質のみを残していくしかないと考えている。




一つの目的の下で、
信念に基づいて行動する

これまでの医療との比較ではなく、これからのアイデンティティの確立に必要な要素はそれではないだろうか。

カイロプラクティックは誰に有益か

"Get sick people well"


これはBJがカイロプラクティックをより多くの人に知ってもらうためのスローガンとして掲げた言葉だ。


直訳すれば

「病人を良くする」

となる。



キャッチーな言葉に、医療を受けても良くならずに医療難民となっている人々にとって希望の光となったに違いない。





BJパーマーリサーチクリニックでカイロプラクティックケア(HIO)のみを施して病人がどう変化するかを数千例もデータを取った。



視覚、聴覚、血液、尿、心電図、血圧、血糖、……その他にも多くのデータが記録され、

カイロプラクティックケアで多くの人が"改善"して医療よりも優れていると明言した。


「カイロプラクティックは医療よりも早く、より良い結果を出せる」と。







カイロプラクティックケアによって頭痛や肩こりや腰痛、その他の病気などが改善する可能性は否定しない。


未だその効果を謳い、それを目的としているカイロプラクターも多い。

しかしながら、多くの病人が正常化する中、何も変化しない人がいたのも事実だ。

つまり、"Get sick people well"の目的の下にカイロプラクティックを用いても役に立たないことがあるということだ。








僕自身は、不快な症状や病を良くすることを目的としていない。


僕の目的は、脊椎上の神経伝達の干渉を取り除くこと。それだけだ。


なぜなら、脊椎上で神経伝達が干渉されると適切に自己表現できないからだ。





Reggie Goldがこう表現していた。

「カイロプラクティックを頭痛、肩こり、腰痛の改善のために使うのであれば、カイロプラクティックの極一部の恩恵しか受けられていない。それはまるでフードプロセッサーをジュースを作る為だけに使っているようなものだ。」




目的が"Get sick people well"であれば、カイロプラクティックケアだけで足りるわけがない。
環境、運動、栄養、休養、口腔ケア、衣食住、社会的活動、主観的健康観などなど挙げればキリがない。





僕にはそこまでできない。
脊椎上の神経伝達干渉を見つけ、正すことで手一杯だから。




でも、生命表現の基礎を成している脳と体のコミュニケーションを回復させれば、
その上に積み重なる生活要素の質を無駄なく活かせるだろう。




だからこそカイロプラクティックを症状を持っている人だけのものにしたくはない。

どの生活レベルの人でも、間違いなく力になれると信じているから。



Saturday, May 14, 2016

カイロプラクティックは受けなくても良い

「カイロプラクティックを受けましょう」

これはカイロプラクターの叫びだ。



ほとんどのカイロプラクターが、ケアを受けることで良いことがあると信じ、
それを推し進める。


受けましょう、受けた方が良い、むしろ受け続けなきゃ悪くなる。

過去にそんなことを言われたというクライアントさんも多い。



しかしながら、実際は受けなくても生きていける。

むしろ、世の中にはカイロプラクティックを受けたことのない人がほとんどだ。



金さん銀さんだって、カイロプラクティックを受けたことがなくても100歳を優に超えるまで生命を全うしたわけだ。



カイロプラクティックは受けなくても良い。



ただカイロプラクターとしての立場から言わせて頂くなら、

カイロプラクティックのある人生で、自分は生きる活力を得られた。
だから僕はカイロプラクティックのある人生を提案し、同じ思いを共有できる人が出てくれば良い。

そういう想いで、カイロプラクティックのある人生を提案させて頂いている。




あなたの人生には、あなたの目標や夢、生き甲斐が中心にある。
その中心にあるものに、陰ながら力になれる。


でも、あなたの目標や夢、生き甲斐に役に立たないなと思われればそれで良い。
実際にカイロプラクティックを生き甲斐にしている僕にとって役に立たないことは僕の人生には取り込もうとは思わない。


受けるか受けないかはあなたが決めることで、こちらが強要することじゃない。




主役はあなた自身なのだから。


もし力が必要な場合は、僕は黒子としてサポートさせて頂きます。



Wednesday, May 11, 2016

母 その後

母が小脳梗塞で倒れてから早3ヶ月が経とうとしている。


最初に病院に駆けつけた時は意識もなく、自分が東京に出るという時に今後どうなる事かと本気で思った。



長男として、もっと離れてしまって良いものか。父と姉達に過度の負担をかけてしまう事にならないか。
こんな時に東京に夢を追う事が許されるのか。



意識が徐々にハッキリしてきて罹患2ヶ月に差し掛かろうとした時にようやく、宮崎にあるリハビリに力を入れている病院に転院出来、毎日休まずリハビリを頑張っている。



父や姉達に負担を掛けているが、遠く離れて心配している僕に写真を送ってくれたりしている。



「母の日」

そんな響きが大きく感じるのは初めてかもしれない。

今までなんか照れくさくて何もした事なんてなかったが、今回は母が生きて母の日を迎えられることに嬉しかった。


入院中なので生花は送れなかったので、小さなプリザーブドフラワーを送った。


母が今後、色々と『こうなれば良いな』と思う事はあるけど、生きててくれる、共に時間を過ごせるだけで有難い事だなと改めて思う。




父も未だ第一線で仕事を頑張っている。
姉達も忙しく疲れている中、病院に駆けつけてくれている。



みんなの疲れが気がかりだが、僕は僕で出来ることを頑張らなければ。



Tuesday, May 10, 2016

必要十分

営業をするに当たって、直面する事がある。






「必要」と「十分」

ここに大きな差がある。


前者は、「これ"が"良い、これ"しか"ない」→ これが欲しい(I need)

後者は、「これ"で"良い、こんなに"も"ある」→ これはいらない(I do not need)



カイロプラクティックケアを受けた事のない人に提案する場合、後者の方には幾ら想いを熱く語っても相手方には響かない。それどころか暑苦しくて面倒くさいヤツというレッテルももれなく付いてくる。



しかし、前者の方は可能性を見出してくれる。




欲は悪いものだという慣習が蔓延っているが、そのコントロールが問題であって欲そのものに非はない。


生まれながらに備わった欲の片鱗である「これ"が"良い、これ"しか"ない」という想いは進歩に必要な条件だ。



そんな現状に満足せず、「必要」だと思っている方は、カイロプラクティックケアによってお力になれるし、こちらの提案に興味を示してくれる。




あなたは、今の自分に満たされているだろうか。




もしもあなたの想いの100%が、顔を声を体を使って70%"しか"表現出来ていなかったなら。


もしも相手の想いを100%感じてあげられなかったなら。



そして、



もしもあなたの想いの100%が、顔を声を体を使って100%表現出来たなら。


もしも相手の想いの100%を感じてあげられたなら。




(Facebookより; いつ何時もより安く済ませようとする人がいる)




※カイロプラクティックで言う100%とは"適切に" or "正確に"という事を意味しており、量的なものでなく質的なものを暗に示しています。

※より安く済ませるのが悪いという訳でなく、何にどれ程の質を求めるのかという事の提起です。

Thursday, May 5, 2016

10年

自分がカイロプラクティックを学ぶために上京してから10年目に再び上京した。


この10年での自分の変化に自分が一番驚いている。




ストレートカイロプラクティックに出会うまでは、人体の構造や機能、病気や症状に対する対処の仕方を学んだ。

しかしストレートカイロプラクティックに出会って一番最初に抱いた印象は、

「これで良いんだ」

という、曇っていた空から太陽の光が鋭く、そして優しく降り注ぎ、一気に空を覆っていた雲が吹き飛んだような、そんな吹っ切れ感だった。



人体の勉強には膨大な知識が必要で、とかく毎日必死に学んだ。

医学書に埋もれて勉強していた最中に、極めてシンプルで医療とは全く異なる独自性を孕んだ、「これぞカイロプラクティックだ」という芯に触れ、それまでの人生から大きく変わった。



それからは、一般的に普及している"カイロプラクティック"を毛嫌いしていた。


「こんなのはカイロプラクティックじゃない」


そういう想いは時間とともに強くなり、そして時間とともに減衰していった。




アメリカに行ってる時に、DCの集まるセミナー中に現地の学生に言われた一言があった。

僕:「こいつらはカイロプラクティックが何たるか、全然わかっちゃいねえ。    しっかりしろよ、アメリカのDC達」
学生:「ははは、それか君がわかってないだけかもね」



その時に、何だと?!とは思わなかった。

確かに、カイロプラクティックとは何たるかというものは、多勢が決めること。

大多数を是とする民主主義の世界では、至極当然のことだと妙に納得した。




そこから徐々に他人にストレートカイロプラクティックを求めることがなくなってきたのを覚えている。



医療としてカイロプラクティックを行っている姉からもこんな言葉をもらった。

「患者さんにはカイロプラクティックなんて関係ないからね〜」




クライアントを含め、多くの周りの人にストレートカイロプラクティックを求めていた、押し付けていたんだなとわかった。




自分はストレートカイロプラクティックを通して計り知れぬ大きな感動を覚えた。
でも、他の人が同じように大きな感動を覚えるとは限らない。

まるで同じ音楽でもクラシックが好きかJ-POPが好きか洋楽が好きかがそれぞれ違うように。





自分が感動を覚えたように、自分が提供するものに感動を覚え人生がより豊かになるような人が出てくるのか。




これからの10年はどういう10年になるだろう。



10年後の自分に会えるのを愉しみにして

NON by Taro Okamoto

Tuesday, May 3, 2016

カイロプラクティックは実践哲学





「なんでこんなに凄いものが過去の遺産になってしまっているのか」




学生時代にグリーンブックを読んだ時にそんな憤りに似た感覚を抱いたのを覚えている。


カイロプラクティックの哲学、科学、芸術

どれを取っても素晴らしく、深く、美しい。





なのになぜ、そんな普遍的なアイディアとその実践が伝えられていないのか。
なぜ、過去の"異物"とまでの扱いを受けているのか。


それは一言、「実践」に尽きる。






カイロプラクティックは実践して初めて価値を持つ。


単に脊椎サブラクセーション下にあるのかを見極め、分析し、それをアジャストする。


それだけ。






ただ、その『それだけ』が容易ではないのは実践している者に解る共通項だろう。





シンプルこそ究極。が故に難い。



カイロプラクティックにはそんなシンプルで多彩な美が内包されている。

Wednesday, April 13, 2016

カイロプラクティックの論文?

カイロプラクティックの論文は症例の改善やテクニックを正当化するためのものばかりで面白くない。というよりもむしろカイロプラクティックの論文とは言い難い。

今回翻訳した論文も、カイロプラクティックの論文というよりはアジャストメントの効果を謳う論文だ。

今後、脊椎サブラクセーションを研究して我々カイロプラクターの存在意義を証明しなければならない時が来ると思う。

というか、その研究はBJパーマーで終わっている。

今一度、カイロプラクターは自分の存在意義である脊椎サブラクセーションの研究をしていく方が良いと思う。




We are very excited to announce that another Spinal Research Foundation facilitated research has been published in a highly reputable journal [1]. The study, undertaken by Heidi Haavik, Kelly Holt, Bernadette Murphy and others is published in the Journal of Neural Plasticity. And the results are very exciting for chiropractic!
我々はスパイナルリサーチファンデーションが促進していた論文ががとても評価の高い雑誌に掲載されたことをアナウンスできて非常に喜んでいる。その研究はHeidi Haavik, Kelly Holt, Bernadette Murphyらによって行われ、Journal of Neural Plasticityに掲載された。そしてその結果はカイロプラクティックにとってとても有意義なものだ!
The Journal of Neural Plasticity boasts an impact factor of 3.5 (as a comparison, The Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics has an impact factor of 1.5.)
Journal of Neural Plasticityは3.5のインパクトファクターを誇る(比較として、Journal of Manipulative and Physiological Therapeuticsのインパクトファクターは1.5だ。)
This from Heidi Haavik [2]:
Heidi Haavikは、
“WE DO KNOW THAT SPINAL FUNCTION DOES AFFECT BRAIN FUNCTION. THERE’S NOW SOLID EVIDENCE THAT ADJUSTING THE SPINE CHANGES BRAIN FUNCTION. THIS IS THE FOURTH TIME THAT THE EFFECT OF ADJUSTING THE SPINE HAS ON THE BRAIN HAS BEEN STUDIED. THIS LAST TIME IT WAS STUDIED AND CONFIRMED BY AN INDEPENDENT MEDICAL RESEARCHER.”
"我々は脊椎機能が脳の機能に影響すると知っている。そこに今は、脊椎のアジャストメントが脳機能に変化を与えるというより強固な証拠 が存在している。これは脊椎のアジャストメントの影響が脳に影響を与えるものだという4度目の研究である。そして今回は何も柵のない医学研究者によって研究、確証されたものである。"



This study was conducted in an independent medical professor’s lab, where his bioengineer collected and analyzed the data. This is an important bonus for this study – that all data was collected and analysed by scientists who had no preconceived ideas about chiropractic. This greatly lowers the level of bias.  These were scientists from Aalborg University Hospital in Denmark.
この研究は何も先入観のない医学博士の研究室において、彼のバイオエンジニア達がデータを集め分析したものである。これはこの研究において重要なボーナスポイントである。すべてのデータがカイロプラクティックに何の先入観もない科学者によって収集、分析されたのであるからだ。これは偏見、バイアスを大きく引き下げるもので、デンマークにあるAalborg大学病院の科学者たちによって行われた。

A Vitally Important Implication

極めて重要な意味
More than just confirming once again that adjusting the spine has an effect on the brain, this study indicates that adjustments impact the function of the prefrontal cortex. Haavik is particularly excited about what this implies:
再度強調しておくが、脊椎をアジャストすることは脳に影響し、特にこの研究はアジャストメントが前頭前野の機能へ及ぼす効果を示している。

“The latest study suggests that the changes that we do see in the brain when we adjust the spine do occur in the prefrontal cortex. That part of the brain is like the conductor in the brain.”
"この最新の研究では、脊椎のアジャスト時に前頭前野に変化が見られると提唱する。そこは脳内の指揮者のような部位である。"


The research shows that when we adjust the spine, we significantly increase activity in the prefrontal cortex. “The study showed a change in brain function by almost 20% on frontal-lobesaverage”. The prefrontal cortex is the area in the brain where higher learning and cognition happens. Haavik explains:
この研究は我々が脊椎をアジャストした時に前頭前野の活動が著しく上昇すると示している。"平均で約20%変化すると明らかにした"。前頭前野は高次学習機能や認知を司るところである。Haavikは以下のように説明している。
“An effect on the function of the prefrontal cortex could explain many previous research results, such as improvements in sensorimotor function relevant to falls-prevention; better joint-position sense in both the upper limb and the lower limb; improved muscle strength in lower limb muscles; better pelvic floor control; and better ability to carry out mental rotation of objects.”
"前頭前野機能への影響は、過去の研究を説明してくれるもので、転倒防止に関わる知覚運動機能の向上や、上肢と下肢の両方の関節位置の改善、下肢筋の筋力の改善、骨盤底の制御向上、心的回転 (メンタルローテーション)能力の向上などである。"

Chiropractors have long observed a wide variety of changes in the people under their care following adjustments. Along the wide spectrum of claims from those under care are those who say they feel better or focus better and those who notice improvements in movement and coordination. This study takes us a little further down the path of understanding why this could be.
カイロプラクターたちは長年、アジャストメントによって多岐にわたる変化を目にしてきた。ケアを受けている人々が口にする、痛みが減った、より集中できるようになった、動きや協調の改善など実に広範囲にわたる。この研究はさらに少しだけ、なぜそのようなことが起こりえるのかという理解を深めてくれる。
These are important control mechanisms run by the prefrontal cortex. For example, joint position sense is the brain’s ability to know where the arms and legs are in space. And mental rotation is important, because as Haavik explains:
前頭前野による重要なコントロールメカニズムが存在する。例えば、関節の位置感覚は脳の腕や足がどこにあるのかを知る能力である。心的回転も重要で、Haavikは以下のように説明している、

“Being able to accurately perceive the world around you is a vital skill we need all day every day. To recognize some objects you may need to mentally rotate them. For example to recognize the letter p versus b if they were not upright you would need to rotate them in your mind to figure out which letter it was. We all do mentally rotate shapes and objects we see, but we may not often think about that we do it, or how important this is in our daily life.”
"外的環境を一日中、毎日的確に感知することができる状態であることは、極めて重要な能力だ。ある物体を認識するには、心的にそれを回転させる必要が出てくる。例えば、pとbの違いを認識する時、起き上がった姿勢ではない時、どっちがどっちかを明らかにするために頭の中で回転させる必要があるが、常に意識しながらそれをやっているわけでなく、どれだけ日常生活において重要な機能かは中々分かりえないだろう。"
Haavik and her team are excited about the evidence regarding the location of changes post-adjustment.
Haavikと彼女のチームはアジャストメント後の変化部位に関するエビデンスに興奮した。
“THIS IS SOLID SCIENTIFIC EVIDENCE THAT ADJUSTING THE SPINE CHANGES THE WAY THE PREFRONTAL CORTEX OF THE BRAIN IS PROCESSING INFORMATION FROM THE ARM. IT DEMONSTRATES WE CHANGE THE WAY THE BRAIN WORKS AND SHOWS THAT SPINAL FUNCTION IMPACTS BRAIN FUNCTION. ONE OF THE MOST INTERESTING THINGS ABOUT THE CHANGES WE OBSERVED WAS THAT THE PREFRONTAL CORTEX IS RESPONSIBLE FOR BEHAVIOR, GOAL DIRECTED TASKS, DECISION MAKING, MEMORY AND ATTENTION, INTELLIGENCE, PROCESSING OF PAIN AND EMOTIONAL RESPONSE TO IT, AUTONOMIC FUNCTION, MOTOR CONTROL, EYE MOVEMENTS AND SPATIAL AWARENESS.”
"これは脊椎のアジャストが脳の前頭前野に変化を与え、上肢からの情報を処理しているという強固な証拠である。それは暗に脳の働きを変え、脊椎機能が脳機能に影響を及ぼすということを示してる。最も興味深いことに、前頭前野は行動や目的達成作業、意思決定、記憶や注意力、知恵、疼痛の処理やそれに対する感情的な反応、自律機能、運動制御、眼球運動、そして空間認識力という多くの変化が観察されたことだ。"

If, as this research suggests, adjusting improves prefrontal cortex activity, a part of the brain that is responsible for just so much higher level function, then what does this mean in terms of chiropractic’s impact on things like behavior, decision making, memory and attention, intelligence, processing of pain and emotional response to it, autonomic function, motor control, eye movements and spatial awareness?
もしこの研究が提唱しているように、アジャストメントが脳の一部である前頭前野の活動を向上させているのならば、より高い次元で機能するよう作用することになるが、行動、意思決定、記憶や注意力、知能、痛みの処理とそれに対する情動反応、自律機能、運動制御、眼球運動や空間認識というカイロプラクティックのインパクトは何を意味しているのだろうか?
We already know that adjustments cause improvements in sensorimotor function relevant to falls-prevention; better joint-position sense in both the upper limb and the lower limb; improve muscle strength in lower limb muscles; better pelvic floor control; and better ability to carry out mental rotation of objects.
我々は既にアジャストメントが転倒防止に関わる知覚運動機能を上肢や下肢の両方の関節位置感覚の向上、下肢の筋力の向上、骨盤底の制御向上、ある物の心的回転の実行力の向上によって改善すると知っている。

Why This Study Matters

なぜこの研究が重要なのか
Again, this study not only shows that when we adjust subluxations we change brain function. It changes activity by 20% just by adjusting.
繰り返しになるが、この研究は我々がサブラクセーションをアジャストする時に脳機能が変化するということだけを示しているのではない。アジャストメントによって20%も活動が変化したということである。
And this effect may be on the conductor in the brain.
This shows us that every time we’re adjusting someone, we’re having a big, positive effect on the brain. And a brain that’s functioning differently and conducting its activities better is sure to have an effect on the body.
そして脳内の指揮者に影響を及ぼすということだ。
これは我々が誰かをアジャストする時は常に、とても大きく、ポジティブな影響を脳に及ぼしているということだ。そして脳はそれまでとは大きく違って機能し各活動を体に伝え体にも良い影響を及ぼすのは案ずるに容易い。


References

[1] Lelic, D, Niazi, IK, Holt, K, Jochumsen, M, Dremstrup, K, Yielder, P, Murphy, B, Drewes, A and Haavik, H (2016), “Manipulation of dysfunctional spinal joints affects sensorimotor integration in the pre-frontal cortex: A brain source localization study,” Neural Plasticity, Volume 2016 (2016). Online.
[2] Haavik, H (2016), correspondence with Spinal Research via Nimrod Weiner

Tuesday, April 12, 2016

紅の豚と僕




「紅の豚」は、僕が子供の頃からずっと好きな映画だ。


なぜそんなに紅の豚に惹かれるのか、それを自分なりにまとめてみた。


まずは「真紅」の飛行艇。
非常に目立ち、強い印象を与える色だ。

そんなポルコが乗る飛行艇は木で出来ており、木がしなる性質から粘りのある飛行が可能で、スピードに乗った空中戦時に真の実力を発揮することが出来る。


華麗に蒼い空を舞う真紅の飛行艇の優雅さに魅了されたのだろう。



次に、ポルコが豚であること。
物語として、どういう訳か魔法にかかったイタリア空軍の英雄マルコ・パゴット大尉は中年の豚となる。"赤い飛行艇に乗った豚"という所からポルコ・ロッソ(ポルコ=豚、ロッソ=赤)と呼ばれる。『反国家非協力罪、密出入国、退廃思想、ハレンチで怠惰な豚である罪、猥褻物陳列』という罪をイタリア政府から掛けられている。豚である事で国家の都合から解放されるが、同時にイタリア空軍の英雄が一転、"非国民"として扱われる。

そんな中、イタリア空軍の戦友であるフェラーリンは変わり行く政府や国家に巻かれる生き方を選択し、少佐に出世したがポルコと違って自由の翼は失ってしまった。


そんなポルコの、周囲や大きな力に怯えない生き方に幼心にシビれたのかもしれない。
※個人的解釈だが、マルコ・パゴット大尉は自分の生き方を貫くため、また利権が絡む人間社会が嫌になり、更に大切な人を悲しみから守るために自ら豚になったと推測している。



「紅の豚」に魅了されて20年以上、ようやくその「紅の豚」に近付けたと思う事がある。
それが、カイロプラクティックの施術を行う新たなテーブルの導入だ。


<移転開業祝いの花と共に>

木製で紅の鮮やかなテーブル。

今まで使っていた金属製の施術テーブルと違い、正に木のしなりを感じられるテーブルで粘りのある施術が可能となった。

施術時には、相手の反発力を利用する手法を用いているのだが、木のしなりを更に利用する事でその反発力を引き出す事が出来るのだ。




このテーブルは元来顔をつける部分が平坦なモデルだったが、胸部のストレス軽減と顔面ではなく側頭部で頭を固定したかったのでこの仕様に変更して作製して頂いた。(このヘッドピースの原型は嶋田慶三郎DCのアイディアによるものだが、また少し違ったことを目的としてこの様な形状になったそうだ)



この新たな相棒と共にブレない生き方を表現していきたい。

そして、僕が紅の豚に魅了されたように、僕が相棒と行うストレートカイロプラクティックに魅了される人が出てくれればと本気で考えている。


自分にしか歩けない自分の人生、これからが益々愉しみだ!

Tuesday, April 5, 2016

一歩

東京での一歩を踏み出した。

カイロプラクティックに出会って自分の人生が変わり、自分を応援して下さるクライアントさんや仲間、家族のおかげで、乃木坂という場でスタートさせて頂ける歓びを深く感じている。


なぜ乃木坂なのか?
よく聞かれる事なので、ブログに書き留めておこうと思う。


一、日本の中心であり情報の発信力に長けていること(=カイロプラクティックを広めやすい)

一、人口が多いこと(=何も知らない人がカイロプラクティックに触れられる機会を増やせる)

一、アクセスが良いこと(全国から集まりやすい)

一、影響力の大きい人が多いこと(=会社や組織の構造を構築している人が多い=その人がカイロプラクティックを知れば会社、社会、世界が変わる)

一、土地柄、希望を持った人やワクワクした気持ちを持った人が多い(=チャレンジ精神や夢を持った能動的な人が多い)



一言で、「可能性」という事だ。




なんの可能性なのかというと、

『カイロプラクティックを残す』


という可能性だ。



ただ私の指針としては、カイロプラクティックという固有名詞を残したいわけじゃなく、カイロプラクティックの本質的なところを残したいと考えている。



実は残していきたいと思わなくても、残るものだと思う。それだけカイロプラクティックには普遍的な要素がコアにあるからだ。ただ、それをつなぐ人間がいればの話。



その"人"を、自分を含めて増やしていきたいという一念で、東京の乃木坂を選んだ。


本気で夢を叶えるための新たなスタート。


お力添えを頂き、一歩を踏み出した。


感動と歓びを気付かせてくれたカイロプラクティックのために。そしてサポートして下さる皆さんのために。


Wednesday, March 30, 2016

バナナ

自分はアニマルカイロプラクティックの勉強をした訳じゃないが、飼い主さんの了承の上、その方の犬しか見ないと決めて犬のケアをしていた。


手探りでどうすればいいのか全くわからず、しかも日本語を喋ってくれないので兎に角一生懸命に体の表現を観察し、アプローチをした。


2回目から飼い主さんは、「ケアを受けて全然違う、明らかに変わった、私が知ってるカイロプラクティックとは全く違うものだ」と仰っていて、強力なサポーターになってくれた。


バナナを見るようになってからというもの、人のカイロプラクティックにおいてもプラクティスの質が向上したのを自分でも実感していた。



4月から東京に移転するという旨を飼い主さんにお伝えするのは辛かったが、僕の想いを伝えると、「応援してます!」と仰ってくださった。





そんな最後の予約の前日、飼い主さんから今まで見ていたバナナが亡くなったと一報を受けた。



これまで過ごした時間が一気に思い起こされて、色々な想いでいっぱいになった。


自分がケアをした事で飼い主さんとその犬のライフに何か歓びを与えられたのだろうか、手を下して良かったのだろうか、その犬のイネイトの意志をちゃんと汲み取れていたのか、ライフをサポートができていたのか…


そんな中もう一頭の犬を連れて豊橋まで来て下さり、飼い主さんの話を聞くことができた。

「志賀さんのおかげで、カイロプラクティックのおかげでバナナはよりバナナらしく生きながらえました。この子からは私も本当に多くのことを学びました。上京の前日に亡くなるなんてバナナは志賀さんと共にあった犬生だったんだなと思ってます。是非、志賀さんにはストレートカイロプラクティックを広めて欲しいです。応援してます。」


と聞いた時は涙が出そうだった。


そして同時に、自分の進もうとしている道は間違いないと強く確信を持てた瞬間でもあった。




僕の信念を更に強くしてくれたバナナと飼い主さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。


バナナ、ありがとうございました。





Saturday, February 27, 2016

今月、母が小脳梗塞で鹿児島の病院に搬送されたと連絡があった。


急遽駆けつけたが、そこには人工呼吸器を付けベッド周りには大きな機械と無数のチューブに繋がれ目を瞑ったままの母の姿があった。


一報を受けた時から、多くの状況を想定して覚悟して救急病棟に行ったが、そこにいる母は以前会った時と大きく違っていたことに、胸が捻じ曲げられるように痛くなった。




多くの人に支えられて、10日間母の側に寄り添わせてもらった。

あんなに母の手を握ったのはいつ振りなんだろうか。


物質の限界を超えそうなほどの状態だったが、なんとか一命を取り留めた。


少しずつ意志のようなものを表現できるようになってきたが、依然として自力で目を開く事ができずに、意識もハッキリしない。



4月から東京に出る矢先の出来事に想いは複雑だが、今こそやるべきことをしなければ。


宮崎にいる父と姉達を置いてその地を離れるのは本当に心苦しいが、母を信じ、全てを託して豊橋に戻ってきた。




さあ、前に進もう。

Saturday, February 13, 2016

自分は14歳の頃に受けたカイロプラクティックに感動を覚えた。
「カイロプラクターになる!」という目標を定め、そこからカイロプラクティックの学校選び、高校選びと順を追って目標に到達するための道筋を決めていった。




ようやく高校生活も終わり、いざカイロプラクティックの大学に入って、念願のカイロプラクティックの勉強ができる!と歓びに満ちあふれた学生生活を送っていた。





しかしその中で、「何かが違う」と思い始めたそんな時にストレートカイロプラクティックの嶋田慶三郎DCと出逢い、また新たに「ストレートカイロプラクターになる!」という目標がみつかった。





それからストレートカイロプラクターになるためにアメリカのSherman Collegeに行き、10年越しの「カイロプラクターになる!」という目標を達成したのが25歳の時だった。






振り返ると、志賀隆史の10年越しのゴールはそこで到達してしまったのだろう。
宮崎でプラクティスをしていて愉しいけど、何かが心の底から沸き上がって来ない日々。
「自分は宮崎で生まれた意味が有る」そう故実けて宮崎に留まったが、何か光が無い毎日がだらだらと続いた。




そんな悶々とした日々に、光が射した出来事があった。

それが彼女との出逢いだった。当時の僕は、「この人は自分よりカイロプラクターだな」と感じるところがあって、ある意味悔しかった。つまり彼女はカイロプラクティックを自分の一部にできていた。純粋な目で自分を客観的に見た時に、なにか取って付けたようなカイロプラクティックだったので、そんな自分が悔しかった。(言葉では言い表し難いのだが…)




そのきっかけから彼女とのお付き合いもはじまり、悶々とした日々を脱するためにも、そして自分を変えるためにもご縁のあった豊橋に移った。






豊橋では、本当に多くの人が親切に迎え入れてくれた。
今まで全くご縁のなかった土地に足を踏み入れるのは非常に不安が伴うものだが、そんな不安も周囲の方々の愛情できれいに解消された。






それでも初めての土地での生活に追われる中、またひとつのきっかけがあった。

それがTIC道の発足だ。




TIC道とは、カイロプラクティックを護り、繋いで行くことを目的とした組織であり、その一環でストレートカイロプラクターの育成があり、学びの場をサポートさせてもらう機会に恵まれた。






4月からはじまったTIC道場、回を重ねる毎に自分の変化に気付いた。





「ストレートカイロプラクターに、成りきれてない」






つまり、ストレートカイロプラクターというものは行為でも技術でも肩書きでも何でも無く、

自分がカイロプラクティックで体感した感動のようなものを相手に抱いてもらって初めて、ストレートカイロプラクターと言えるということだ。





14歳の頃に定めた「カイロプラクターになる」という目標は、実は全く達成出来ていなかったということに気がついたのだ。





その気付きから、自分の新たな目標と夢が明確になってきた。



カイロプラクターになりたい 
感動を覚えさせてくれたカイロプラクティックを護り、繋いでいきたい





それを実現させるためのベストな選択をした結果、オフィスを東京に移す決断を下しました。








その決断から1ヶ月足らずで話は進み、奇跡的に周囲の支えと応援があって実現する運びとなりました。




これまでを振り返って、素直に自分の未熟さと甘さを痛感しました。
素直に、認めます。

でも、恥ずかしくはありません。



これまでがあって、今の僕、これからの僕ができていくと思いますし、何よりも自分を信じてくれている方々への恩返しは、僕が夢を叶えることだと信じています。




豊橋のオフィスに来て下さったクライアント様にはご不便とご迷惑をおかけすることになってしまいましたことを、心より申し訳なく思っております。




日本には、まだまだストレートカイロプラクティックを理解している人は少ないです。
おそらく人口の0.01%くらいでしょうか。


東京でも、地方でも、知られていないし、実践者も限られています。



ストレートカイロプラクティックを少しでも多くの人に知ってもらいたい、
ストレートカイロプラクティックを少しでも多くの人が実践できるようにしたい、


そんな想いから、私志賀隆史は、4月よりオフィスを東京都港区の乃木坂にてオープン致します。




未熟で至らない点も多く、不届き者ではございますが、今後とも志賀隆史をどうぞよろしくお願い致します。