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Saturday, March 29, 2014

アジャストメントとは

“アジャストメント”に関してカイロプラクターの間でも誤解が広がっている。




先日のブログで、『カイロプラクターはアジャストメントできない。アジャストメントできるのはクライアント自身だ』という事実が徐々に広まりつつあるのは触れた。






しかし、“アジャストメント”という現象は脊椎サブラクセーションでなければ起こりえないことを再度認識しなければならない。




Sherman College の哲学の授業でもアジャストメントの定義として、



Adjustment:

1. When an external, invasive force meets an internal, resistive force causing a concussion of forces which innate intelligence uses to correct a vertebral subluxation.
2. What innate intelligence does for the correction of a vertebral subluxation.


と定義されている。






つまり、“イネイトインテリジェンスが脊椎サブラクセーションを正すこと”ということであり、脊椎サブラクセーションでなければアジャストメントは起こりえない。







アジャストメントという現象は、

“治癒”でもなく、
“イネイトの解放”でもなく、
“能力の向上”でもなく、
“カイロプラクターがすること”でもなく、
“神経の流れを良くする”ものでもなく、


“イネイトインテリジェンスが脊椎サブラクセーション状態を正すこと”以外の何ものでもない。








だからこそ、カイロプラクティックの独自性は“脊椎サブラクセーション”にあるのだ。




カイロプラクティックは特異的であり、
そうでなければ何ものでもない

Friday, March 28, 2014

鷹の道 vol. 4

東京は江戸川区葛西のビルのワンフロアで開校した『マードック大学インターナショナルスタディーセンタージャパン』に入学した。



東京での一人暮らし&念願のカイロプラクティックを勉強できると言うことで、毎日が本当にワクワクして、充実していた入学当初。


でも実際はアメリカのカイロプラクティック大学に入るのと同じように、Pre-Chiroという数学、物理等々の一般教養の単位を取らなければ本格的なカイロプラクティックの勉強を始められなかったので、最初の8ヶ月は高校の授業の延長のような授業がみっちりと続いた。(本来は一年かかるカリキュラムを8ヶ月に集約して、早くカイロプラクティックの勉強を始めさせようという考えだったようで、高校時代に鍛えられたのが役に立った!)





大学で学ぶ一般教養のようなものだが、高卒で入学した僕には記憶に新しいことだらけで苦ではなかった。



しかも、講師陣も東京理科大や東京大学や早稲田、慶応、目白等々のすごい先生方ばかりで授業も分かりやすいし、とにかく覚えさせられた高校時代の勉強とは違って、理解する勉強だったので生まれて初めて勉強って楽しいと思えた時期だった(笑)






東京ではじめてできた友達や、バイトで知り合う人達、テレビをつければ宮崎よりもずっと身近に感じる芸能人達…(笑)


疲れて風呂に入らずに寝てしまっても誰も何も言わない。洗濯は自分でしなきゃいけない。ちょっと掃除をしないだけで汚れる部屋。ご飯を炊かなきゃ食べられないという現実。ご飯が面倒な時はチョコレートだけ食べてやり過ごした夜。同級生宅に泊まって朝までゲームしたり、ダラダラ過ごしたり。



全てが初めての経験で、宮崎では経験できなかったであろうことに、自分ひとりで立ち向かうことの充実感や、今まで親の管理下にあった志賀隆史がひとりの人間として世に出たという実感を覚えたのは鮮明に覚えている。





と、話は大袈裟?になったが、毎日が充実した最初の8ヶ月。





なんとか一般教養を終え、いよいよ待ちに待ったカイロプラクティックの勉強に突入!!






しっかり学ぶことを身につけて、すごいカイロプラクターになってやる!!!という意気込みで、人生で初めて自ら積極的に勉強をするようになった。





『これからが本番だ!』



その意気込みがあったからこそ、一般的な医療としてのカイロプラクティックに違和感を持ち、本来のカイロプラクティックを追求することになったのだが…



当時の僕にはとにかく、目の前のことを全力で取り組むことしか見えてなかった。



vol. 5へつづく…

Wednesday, March 26, 2014

術を施す

『カイロプラクターは脊椎サブラクセーションをアジャストしない。アジャストするのはその人自身で、カイロプラクターはアプローチするだけだ』



と言う事実は、徐々にここ最近一部のカイロプラクターの間で認識が広まりつつある。






でも便宜上、ストレートカイロプラクターの間でも「アジャストして!」とか、「アジャストしようか?」という言葉が飛ぶこともある。



僕はイチイチそういう一言が頭に引っかかってしまうので、いくら"便宜上"でも気になってしょうがない。






そこでなにか良い表現は無いかと考えていたら、的確な日本語があった。


『施術』だ



ごく普通に使ってる人もいて当たり前だろと思うかもしれないが、シンプルにアジャストメントアプローチを言い表している。



つまり、『術を施す(すべをほどこす)』ということ



我々カイロプラクターができることは『術を施すこと』までで、その先のアジャストメントはクライアント自身が行う。そこにはもちろん、"術者がアジャストする"という概念はない。





辞書には医療用語として定義されてるようだが、『術を施す』上での目的が医療とカイロプラクティックでは全く違う。しかしながら誤解を招く恐れは否めないのが玉に瑕…





医療における『施術』は、"病気を治す"ための行為。


カイロプラクティックにおける『施術』は、"アジャストメントが達成される"ための行為。






もっと的確な言葉があればそれを使うが、今のところ『施術』がアジャストメントアプローチをうまく表現できてると思う。





カイロプラクターはアジャストしない。あくまでも『術を施す』までだ。




Tuesday, March 25, 2014

枝葉

テクニックは目的を果たすための手段。




世の中にはカイロプラクティックのみならず、いろんな分野でそれぞれのテクニックが存在する。


スポーツ、音楽、勉強、料理、喋り、その他諸々…




それらのテクニックは、木でいうところの"枝葉"でしかない。





おそらく、大多数の人達はその"枝葉"に魅せられ、憧れ、自分もその"枝葉"を身に付けたいと願う。



自分も例外ではない。



ガンステッドテクニックの大元になったGonstead D. C.や、メンターである嶋田慶三郎先生、Japanese BJこと藤渕啓介先生、近々で言えば哲人こと吉田哲也先生など、素晴らしい"枝葉"に魅せられ、憧れた。





そして大体人は形から入るもんで、まず自分もその"枝葉"を真似てみる。




でも、その動画を撮って自分で確認したりしても、どうも同じような感動というか魅力を感じない。『ただただ真似てやってるだけ』という感じが見てて否めない。






ひとつ改めて気付けたのは、私達が日頃目で見ているものは"枝葉"でしかないということ。




野球でも同じような経験をしたが、憧れの選手のバッティングフォームを真似たことは数知れず。でも、その選手と全く同じ結果は出ない。そこで自分の特性や基礎を固めていくと、ただ真似たバッティングフォームの時より格段に良い結果が残せた。それこそ、自分自身の"枝葉"だからだろう。





魅せられる"枝葉"には主となる太い幹があり、深く深く根が張っている。





"枝葉"は風に靡いてダイナミックに揺れ動くので、皆それに踊らされがちだけど、大事なのはどんな時も動かずじ〜っと構える深い根と太い幹






『自分の特性をよく知り、そして基礎を固めていく』


そうすれば深く根を張り、太い幹をこしらえ、自分だけの"枝葉"を身に付け、自分が魅せられたように他を魅了する事ができるんだろう。






大切なのは、常に「自分」。





表面的な物に踊らされず、自分の根と幹をしっかり育てねば!



"枝葉"は飛びつく物ではなく、根と幹を育てる栄養にするもの。






自分自身の表現こそ、美しい。



Monday, March 24, 2014

カイロプラクターは何もコントロールできない

医療とカイロプラクティックは全くの別物。


巷では、
『カイロプラクティックは頭痛・肩こり・腰痛の治療、骨盤・姿勢矯正するもの』

と、“医療まがい”として間違って認識されているのが現状だ。








でも本当は全くの別物。








医療の大きな特徴としては、

医療従事者が患者さんの状態を “コントロールする” ところにあると思う。


高血圧には降圧剤。
糖尿病にはインスリン。
風邪には抗生物質と解熱鎮痛剤。
下痢には下痢止め。


この病気にはこの薬で、この症状にはこの薬、またはこの療法で…といった具合で患者の状態を “コントロール” しようとする。





つまり、医療は患者に行うことがどう作用するかが明確にわかる。














一方カイロプラクティックの大きな特徴としては、

クライアントさん自身で “コントロールしてもらう” と言ったところだ。




カイロプラクターが行う事はひとつ。

出せるはずの力が100%出し切れていない状態である脊椎サブラクセーションを見つけ、分析し、アプローチすること。



結果的に身体生理機能が正常に機能し出すので、人によっては耳が聞こえるようになったり、眼が見えるようになったり、病気が治ったり、症状が消えたり、医学的にみると奇跡と呼ばれる事が起こったりと、カイロプラクターが行う事がどう作用するのか明確にはわからない。








医療との違いは、

コントロールできるかできないか











医療は、
血圧を薬で上げ下げできる。
血糖値を薬で上げ下げできる。
菌を薬で殺せる。
熱を下げられる。


カイロプラクティックは、
なに一つコントロールできない。









カイロプラクターがやる事の結果が予測できない、またはコントロールできないからこそ、医療従事者からすればカイロプラクティックは無責任でエビデンスに乏しく怪しいものとして見られるんだろう。








カイロプラクターの僕からすれば、
その人の体の事を一番知っているのは、その人自身しかいないと考える。
詳しく言えば、その人を一つの受精卵から分裂、分化、出産、成長、老衰まで全ての生命活動を “コントロール” しているのは、医者でも治療家でもなくその人の『生来の叡智』だけ。


その『生来の叡智』が正しく全身をコントロールできている時には、絶対に異常な方向には進まない。


もし異常があれば、『生来の叡智』がその状況を把握し、どうすれば正常化するか判断し、実行する。


その結果、症状の緩和、病気の治癒など、“ひとつの現象”として起こるため医療と混同されてきてしまったのが現状だ。




耳が聞こえるようになった。
眼が見えるようになった。
高血圧が治った。
低血圧が治った。
糖尿病が治った。
生理不順が治った。
肩こり、頭痛、腰痛、姿勢の歪みが治った。






それらはカイロプラクティックによって治ったのではなく、その人が正常化した(在るべき姿に戻った)だけ。先ほど『カイロプラクターが行う事がどう作用するのか明確にはわからない』と書いたがひとつだけ明確にわかることがある。それは“正常化”するということ。




カイロプラクターは何もコントロールできない。







Friday, March 21, 2014

なぜ?

鷹の道シリーズの最中ですが、ちょっと余談です(笑)





「なぜ?」


と思う事はすごく大事なこと。





僕がストレートカイロプラクティックに興味を持ったのも、日々の「なぜ?」の連続からだった。








なぜ、カイロプラクティックなのか
なぜ、哲学、科学、芸術なのか
なぜ、医療ではないのか
なぜ、いろんな療法、療術があるのに治るのか
なぜ、生きられるのか
なぜ、環境に適応できるのか
なぜ、環境に適応できないのか
なぜ、アジャストメントなのか
なぜ、サブラクセーションなのか
なぜ、マニピュレーションじゃないのか
なぜ、治療しないのか
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、、、、








そんな「なぜ?」の連続に答えてくれているのが、一般的に流行っているカイロプラクティックではなく、“本来の”カイロプラクティックだった。







なので、僕としてはなぜ「なぜ?」を繰り返さずに、学校で学んだことを鵜呑みにして満足するかがわからない。







もちろん、今の状況でも「なぜ?」は消えない。





だからこそ一生を懸けて「なぜ?」を突き詰めていく。







カイロプラクティックは際限なく「なぜ?」が付き纏うし、それに対する答えも見つけられる。





しかもそれを自分以外の人(クライアントさん等)と共有できるところがなんともニクい…(笑)






僕はおそらく、一生カイロプラクティックから離れる事はないだろう。

それだけ、深く入れば入るほどやめられない魅力がある。




カイロプラクターと名乗る人ほど、カイロプラクティックの深いところに入って欲しい。

名乗るからには“責任”があるんだから。





Thursday, March 20, 2014

鷹の道 vol. 3

カイロプラクティックを学びたいという気持ちを抑え、高校生活に突入。




その当時は、勉強も部活も厳しい先生や先輩方に恵まれたので、本当に苦しくて楽しい高校生活だった。




毎朝4時に起きて宿題をして、朝課外から夕課外、そして夕方の5、6時から7、8時まで部活。本当は居残り練習禁止だったけど、家が近いのもあって部室の電気などを消してこっそり居残り練習。夜遅くに帰ってご飯を食べて爆睡…




本当に何度も心が折れそうな日々だったけど、甲子園に行きたい、カイロプラクティックを勉強したいという"光"があったからこそ乗り越えられたとつくづく思う。





学業は先生から"課せられる"ことがほとんどだったが、野球に関しては自主的に動いて自ら色んなことにチャレンジもしたし、工夫もした。




部活で言えば強豪校と同じ事をしても環境がまるっきり違うので意味がない。甲子園に行くためには自分達のおかれた環境で如何に知恵を絞るかが重要になってくるので、色んな知識も増やしたし、とにかく上手くなりたくて、甲子園に行きたくて仕方なかった。







"課せられる"ことも、自らが"自らに課す"事も、この苦しくも楽しい高校生活があったからこそ、以後に活きたと今になったら思う。(当時はそれどこじゃなくとにかく必死だったが…笑)








残念ながら甲子園には行けなかったが、高校生活も終わりが近づき念願のカイロプラクティックが学べる日が迫ってきた時の開放感ったら半端なかった(笑)






進路相談でも迷いなく「マードック大学」だったし、他の学生に比べれば自分ほど目指すものが明確な人はいなかった。







マードック大学への進学が現実的になってきた頃に父親には何度も、

「国公立の大学に行かんとか?行ってもいいとぞ〜…」



と、ボソボソっとつぶやくように言われたが、当の本人は聞く耳持たず(笑)




学費が高い上に東京に行くと言って聞かない息子に、半ば諦めモードだったのは僕から見てもよくわかった(笑)







いよいよ高校を卒業し、いざ東京へ!!!





第一期生としてマードック大学(日本校)の門を叩いた!(と言ってもビルのワンフロアだったので叩く物はなかったが…笑)












vol. 4へつづく…

Wednesday, March 19, 2014

鷹の道 vol. 2

14歳の時にカイロプラクティックをやろうと決意してから、カイロプラクティックの学校探しが始まった。




以前のブログで書いたように、宮崎で説明会を開いていた先生にある学校を勧められた。



それが後の母校、マードック大学(日本校)だ。






日本にはたくさんのカイロプラクティックの学校が存在するが、その宮崎出身の先生の話を聞くところによると、


『カイロプラクティックは世界保健機関に認められた医療で、 欧米諸国ではカイロプラクティックの学位がないと開業出来ない。日本もいずれ法制化されれば、欧米諸国のように学位がないと開業できなくなるかも』


ということで、その当時の自分の中にはカイロプラクティックの大学入学という選択肢しか頭に無かった。






留学するには金銭的にきつい。
そこで候補にあがったのが新たに東京で開校するという“マードック大学”だった。



自分が14、15歳の時にはまだ、“マードック大学の開校が計画として浮上している”という段階の話しか伺ってなかったが、自分の意思はすでにそこに向かっていた。







「よし、カイロプラクティックの学校は決まった!次に高校を決めんといかんな!!」


という具合で若さの勢い?で、高校探しにシフト(笑)






野球も諦めてなかったので甲子園も行きたかったが、

「地元の強豪校に行くと試合に出れんかも。出れんとつまらん。とにかく試合に出られるような学校で、進学校へ行こう!」




という訳で、自宅から自転車で5分弱の宮崎県立延岡西高等学校普通科(現、延岡星雲高等学校)に進学した。







県内有数の進学校と言うわけではなかったので入学するまで完全にナメていたが…



当時の僕にとっては、カイロプラクティックを勉強したくてしたくてたまらなかったので、日々大学受験の為の勉強をすることは苦痛でしかなかった…






そんな苦痛とも言える高校生活があったからこそ、マードック大学でも色々と乗り越えられたと今でこそ思うが。



vol. 3へつづく…

Tuesday, March 18, 2014

鷹の道 vol. 1

僕のカイロプラクティックとの出会いは、12、13歳の時。



その当時、僕にとってカイロプラクティックとは

「整体、ボキボキ、マッサージ、白衣を着た少しマッチョなおじさん」

という印象だった。




11歳頃から野球をはじめ怪我を繰り返していた当時、『怪我を治して欲しい』という目的で地元にあった"カイロプラクティック整体院"に向かった。




特に治るでもなく、全身を揉みほぐして所々ボキボキ鳴らして終わっていたそこの"カイロプラクティック"。




そこの先生の話を聞くところによると、プロ野球の球団から選手のケアをして欲しいとオファーがあったらしく、当時の自分にとっては興味をそそられない訳が無い(笑)



怪我を繰り返し人体に興味を持っていたのも手伝って、僕の頭の中にある『将来やりたい職業リスト』にカイロプラクティックが入った。






そんなある日、宮崎の大学に通う姉に車の中で、



「将来カイロプラクティックやるっちゃ〜」


と言ったのを覚えている。





その言葉がキッカケになったか否か、数ヶ月後に姉が


「私大学辞めてカイロプラクティックの学校に行きたい!」


と言い出した(笑)





必死に大学を卒業するように説得する両親。さっさとやりたいことをやりたい姉。なんとか折り合いがついたのか、大学卒業後にカイロプラクティックの専門学校に通うことになったようで、事の発端?になったかもしれない自分は一安心(笑)






その当時、月に一回ほど宮崎出身のカイロプラクティックの先生が兵庫から説明会を開きに来宮しており、姉はその説明会に参加してカイロプラクティックをやろうと決意したそうだ。




14歳のある日、宮崎で行われる説明会に僕も参加した。




カイロプラクティックは受けたことあるけど、何やらその先生は国際的な学位持ち?世界じゃカイロプラクターはドクター?ん??というナゾだらけだったので興味本意だった。





その説明会は、最初に脊柱模型やホワイトボードを使って説明して後ほど体験施術という流れ。






以前通っていたカイロプラクティックとは違い、神経と脊椎の関係について説明してくれて、初めて腑に落ちた。




そして体験施術へ。



正直何をどうされたか覚えていないが、ひとつだけ覚えている事がある。


それは、
首あたりの施術をされた時の体の変化。いろんなとこに行って来たけど、『これなら本当に健康になれる!!!』という直感に、14歳の僕は将来の道をその場で決めた。


「カイロプラクターになる!!!」







しかしその頃にはまだ、カイロプラクティックとは何たるかを深く知る事はなかった…




vol. 2 へつづく…

Sunday, March 16, 2014

方言

僕がカイロプラクティックを学ぶために上京した当初、訛りと方言が恥ずかしくて一回頭の中でシミュレーションをしてから喋っていた(笑)


なので、一言話すにも一苦労。。。


『田舎もんに思われてバカにされたくない!!』という一心だった(笑)



『東京なんて田舎もんの集まりでできてるのに、訛ったり方言が出たらなんで笑われるんだ!』とまで思っていた(笑)



まあ、後々になってそんな考えも田舎もんらしいなと気付いて、つくづく自分は田舎もんなんだなと思ったが…(笑)




そんな反骨精神?からか、おかげで自分から宮崎出身ですと言わない限り気づかれないまま、卒業して宮崎に帰ってきた(笑)




でも最近思うのは、どちらを喋る時がより自然体でいられるのかな?ということ。




よく東京にいる時に家族から電話が来ると、方言や訛りを聞いて喋ると一気に気が抜ける思いをした。




もしかしたら、というか間違いなく方言で喋ってきた時間が長いので地元の言葉で喋る方が自然体でいられるんだろう。





そもそも恥ずかしいと思う気持ちが、自分らしさや自然体を覆い隠してしまうのかもしれない。





話は違うが昔、"オバタリアン"という種族の人類がいた(笑)



僕の記憶の片隅に、オバタリアンの番組が放送されてた記憶も無いことはない。



その番組で、あつかましい中年女性が数人で海外旅行に行って買い物をする場面が流れていた。


そこでオバタリアン達は、

「これなんぼ?なに?!たっかいわ〜!ちょっとまけぇや!!」

と、外国人の店員さんでも関係なく日本語で、というかコテコテの関西弁で相手の勢いを遥かに凌駕して"勝利"したのである(笑)








決してズケズケと相手に押し迫るのが良いと言っているのではなく、物怖じしない肝っ玉のデカさ、自然体で素直な姿に子供を見るような眩しさがあると思う…のは僕だけかな?(笑)






自分は標準語を喋る時になんかスイッチが入る。


今思えば、自分を覆い隠すためのスイッチだったのかも。





目指せオバタリアン!

ではなく、自然体(笑)




まあ、本当は目指す必要もなく、"あるがまま"、"そのまんま"でいれば良いだけなんだな。





屋号も、「そのまんまストレートカイロプラクティック」にしようかな(笑)





・・・・・



それはさすがに嫌だ(笑)





自分の首を絞めるスイッチなんて捨ててしまえ!!



Saturday, March 15, 2014

個性

個性って本当に大事で、自分の個性がわかっていれば最強の武器になる。



個性とは、

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。

と言われている。



"個人に備わった特有の性質"というのが自分でわかってる人には、人を惹きつける魅力があると思う。


"個人に備わった特有の性質"とは具体的に、

自分はどういう人間なのか、何ができて何ができないのか、こういう時にどう対処するかという事で、それを言い換えれば自分の身の丈や、性格、自分自身と言える。



ついつい、自分の夢や理想に少しでも早く近づきたいと思うのが人の常だが、その過程で自分の個性、又は身の丈をわかっていないと自ら破滅への道に進んでしまう。



「一体自分はどんな人間で、何がどこまでできて、できないのか」


自分でわかってるつもりでも実はわかってない事もある。それを自分で知る一番良い方法は、とにかく人と接する事。


自分自身を知るには、相手や自分以外と触れる事で、多くの自分に気づくことができる。


それはまるで、鏡やショーウィンドウ、写真などで自分自身を知るのと同じようなもの。(中には歪んだ鏡があるので注意が必要)


色んな角度で自分の姿を見ることで、自分の持って生まれた特有の性質をはじめて知ることが出来る。



鏡の目の前に立って色んな自分に気づく事は、案外勇気がいるもの。



でも勇気を出して目を見開けば、誰にもない自分だけのモノに気付け、オンリーワンの魅力を手に入れられるに違いない。


今一度、自分を見つめてみよう!

    Thursday, March 13, 2014

    やることはひとつ

    カイロプラクティックは本当にシンプル。


    そしてカイロプラクターのやることもシンプル。





    『持っている身体機能がフルに発揮できていない状態である脊椎サブラクセーションを取り除くお手伝い』だ。





    カイロプラクティックはそれ以上でも以下でもない。





    カイロプラクティックを行う上で僕個人が喜びを感じる瞬間は、

    サブラクセーションが無く(持っている身体機能がフルに発揮できている状態で)、クライアントさん自身が自分の意思で立ち、一歩踏み出す時だ。






    身体機能がフルに発揮できている状況下では、確実に人生の質は変わる。




    その結果として、以前に増して代謝が良くなったり、治癒反応が出たり、パフォーマンスが向上したり、思考のクセや考え方が変わったり、人によっては想像を遥かに越えるような反応が出ることもある。




    カイロプラクティックの発見者、D. D. Palmerが難聴の人の脊椎上にあったサブラクセーションを取り除くようにアプローチした結果、難聴が治ったというのがカイロプラクティック発見のきっかけだった。



    難聴が治ったもんだから、D. D. Palmerは「難聴はうちにお任せ!」という宣伝文句でたくさんの難聴者のサブラクセーションと思われるところにアプローチしていく。



    けど、人によっては何も変化が無く、人によっては多少良くなったり?と、難聴を治す方法を遂に見つけたんだと思っていたD. D. Palmerにとっては思いもよらない結果に、落胆は隠せなかったに違いない。




    しかしその現状からD. D. Palmerが発見したのが、身体機能がフルに発揮できていない状態である脊椎サブラクセーションにアプローチして身体機能が回復すれば、その人の体が本来の"あるべき姿"に戻ることができるというものだった。





    その人の本来の"あるべき姿"というのは、実に人それぞれ。





    なので、施術後の生体反応も人それぞれ。



    至る結果も人それぞれ。




    でも確実に言える事は、

    その人が持ってる100%を出し切れれば、無駄が減り、出来る事、やる事、考える事が変わり、最終的には生き方、人生が変わるという事。






    少なくとも自分はそうだった。そして自分の周りにもそういう人が多い。





    自分も体感したように、同じように僕を通してカイロプラクティックを通して、何か一歩を踏み出す手助けになれれば最高に嬉しい。




    それは、カイロプラクターになろうと決意した14歳の頃から何も変わらない。




    カイロプラクティック、活用してみてはいかがでしょうか?

    攻め

    生きて行く上で何に関しても「守り」に入る時がある。



    それは年を重ねていくに従って、増えていく。




    子供と大人の大きな違いは、

    『後先の事を考えるかどうか』

    だろう。





    色々経験して大人になると、先の先を考えて何かと無茶しないような選択肢を選ぶ。





    これは「学習」という生物の成長過程で普通に見られることだが、その学習によって自分で自分の成長を妨げてしまうという一面がある。




    自分の場合、急に自分を守りに入りだしたのは小学5年生ごろ。自分というものを意識し始め、周りからどう見られているのかや、これをやったらこの後どうなるかなど考えるようになってしまい、突飛な事をやるのが億劫になってしまったのはよく覚えている。



    今の基本的な性格はその頃から固まったような気がする。




    というのも、それ以前の記憶があまり無いからだ。


    逆にそれまでは、ほとんど考えずにその瞬間瞬間を生きていたんだろう。






    ここ最近、守りに入ってんなぁ〜と思う事が多々ある。






    でもガチガチに守りに入っている状況からたまに抜け出した時は、本当につらくて耐え難いもんだ。




    前回の東京で行われたセミナーでも守らずに行こうと決意して参加したが、当然ながら辛くてどこかに逃げ出したくなる思いでいっぱいになった。




    でも自らその道を選んだし、不思議なことに、自ら進んでやったことに対する後悔はない。





    「守り」に入ると自分の成長をとめてしまう。







    Wednesday, March 12, 2014

    一線

    昨日の夕方、なんだか急に体を動かす度に目の前がクルクル回って右に体が引っ張られるような感覚に襲われた。


    よく子供の頃に、クルクル回る椅子に座って回して遊んだ時のようなあの気持ち悪さ…



    姿勢を変える度にそのめまいと吐き気に襲われた。



    寝る時も、ちょっと寝返りをうつだけでクラクラと吐き気が起きるので、こりゃ神経がやられたかと不安になった。



    寝たら治るだろうと思ったが、起きても何ら変わらず、やもなく耳鼻咽喉科へ。


    どうやら「良性発作性頭位めまい症」という診断らしい。




    自然治癒するから全く問題ないものなので、ひとまず安心した…(汗)


    こうしてブログを書いてる今はほとんど症状は出ないので、明日には何事もなかったようになるだろう。





    今まで正直、めまいの辛さを知らなかったので甘く見ていたところがあったと身をもって実感した。


    めまいに限らず、『今すぐこの状態から解放してくれ…』と思う事は一年のうちにごく稀にあるが、そういう状態の渦中にいると精神にまで影響して更に悪い状況に陥りかねない。


    そんな時には、やはり薬の存在を否定できない。

    僕の中でもあったかもしれないが、「薬は悪いものだ」とか、「製薬会社と医師会と政治家の金儲けだ」という短絡的な見方は良くはない。


    もちろん、自然ほどよくできたものはないので自然に任せるのが望ましい事が多いと思うが、精神的なものまで侵されてしまうと自然に任せる気持ちの余裕すら失ってしまう。





    カイロプラクターの中には「薬は毒です」とか「薬をやめて下さい」とまで言う人がいるかもしれないが、そこはカイロプラクターがどうこう言うところじゃない。



    カイロプラクターはカイロプラクターとして、本来の身体機能が発現できていない状態である『脊椎サブラクセーション』を取り除くようお手伝いするだけ。

    もし一線を越えて「薬をやめて下さい」とか「サプリメント飲みましょう」とか言ってしまえばカイロプラクティックを実践してるとは言い難い。



    実際のところ、どれだけの"ストレート"カイロプラクターがこの一線を越えずにいるかもわからない。



    でもその一線を越えてるかどうかもわからない方が問題なのだが…






    Friday, March 7, 2014

    心構え

    先日2月26日から3月5日までの一週間、東京、愛知出張&カイロプラクティックセミナー参加の為に東京と豊橋へ行ってきた。



    一週間という長い出張だったが、内容が濃い〜〜〜毎日で、とても有意義な7日間を過ごす事が出来た!






    初日の26日は彼女の後輩達のスパインチェック、
    27日はシャーマンスタイルのカイロプラクティックセミナー、
    28日は豊橋に出張、
    1日は東京に戻って彼女の後輩達の卒業演奏会、
    2日はカイロプラクティックの基本を練習、確認、
    3日は午前中に、嶋田慶三郎先生のもとでレッスン、その後彼女の修了演奏会、
    4日は彼女と鎌倉へ、
    5日は宮崎へ、



    と、7日間の間にしっかり風邪も引いて、やり残した事はほぼ無い(笑)








    特に、今回の出張での大きな気付きを与えてくれたのは、彼女の後輩達の卒業演奏会、そして彼女の修了演奏会だった。








    やはりアーティストも人間。
    各々がそれぞれの状況下で、色々な感情を持って舞台にあがる。

    例えどんな状況でも、その本番に全てを出し切ることが求められるなか、各々がその時、その瞬間のベストを出してくれたと思う。



    彼女の後輩だけでなく、演奏した全ての人の中にはどうしても本番に全てを出し切れた感がないと思った子もいたかもしれない。



    悔しい思いもした子もいるはずだ。



    それだけ本番という瞬間の大切さ、重みというものをいかなる状況でもやりきらなければならないことのプレッシャーと意気込み。




    想像以上にシビアな世界で彼女達も生きている。







    そんな中、彼女の修了演奏会ではアーティストとしての心構えを見せつけられた。




    彼女の演奏予定時刻は18時半。

    早めに会場に着いたので外で待っていると、何やら関係者がざわざわしている。

    聞き耳を立ててると、

    「一緒に演奏する先生が体調不良だから、伊藤さんのソロを先に演奏してもらおうか…」

    と聞こえた。




    ただでさえ緊張と不安と興奮で本番を迎える時にさらに予定外の変更があると、人はパニックになるもんだ。

    本番という瞬間に全てを持っていくという入念な計画も、一瞬に水の泡となって消えてしまう。





    そんな中彼女は、急に順番を入れ替えられたにも関わらず、伊藤修子というものを舞台で出し切った。



    その後の世界的に有名な先生との室内楽も、会場全体が舞台上のふたりに踊らされる様に、聴衆をどんどん魅了して行く。




    気付いたら大きく、そして長い拍手で会場が包まれていた。



    舞台上の先生も思わず彼女に笑顔で握手を求める。







    他の人よりも彼女の本番へ至る過程を見て来たとは思うが、そのプロセスを知ってるが故に彼女のアーティストとしての心構えに深く感服した。







    それに続く後輩達も、きっと本番に至るプロセスでいろんな壁が待ち構えているだろう。

    その本番への思い入れが強ければ強いほどに。



    カイロプラクティックも同じ。

    本番、一発勝負だ。




    いかなる状況でも、出し切ったものが自分自身。


    それが自分の納得のいくものでもそうでなくても、それが自分自身だ。





    あるがままの自分を受入れることって、なんだかんだで一番難しい。





    しかし、あるがままの自分を受入れることがアーティストとして必要な要素かもしれない。