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Wednesday, February 26, 2014

Triune of LIFE

“Triune of LIFE”

そのまま直訳すれば、「生命の三位一体」



日本語を見るとなんだか難しそうでとっつきにくい感じがするけど、大して難しいことじゃない。




生きるためには三つの要素が互いに活かし合わなければいけないという事だけだ。



その三つの要素とは、


「叡智」、「フォース」、「物質」だ。



具体的に言うと、


「僕らを生かす生まれ持った叡智」、「その叡智からの情報」、「体」だ。



つまり、

その人の100%を出し切る為には、賢い生まれ持った叡智から発せられる情報を滞りなく体に伝えることが必要だということ。




ただ問題なのは、

叡智は常に100%だが、「情報と物質が100%じゃない事がある」という事だ。


その「情報」が阻まれて機能が100%以下の状態になる事を、カイロプラクティックでは『脊椎サブラクセーション』と言う。



例えば、

100%の叡智→70%の情報→100%の物質


となると、70%の機能しか発揮できなくなってしまう。


また、物質の限界を超えてる(構造的に元に戻れないほどの損傷)時は、

100%の叡智→100%の情報→70%の物質


となり、70%の機能しか発揮できない。


さらに、脊椎サブラクセーションでもあり、物質の限界を超えてる時は、

100%の叡智→70%の情報→70%の物質


となり、60%の機能しか発揮できない。





カイロプラクティックでお手伝いできるのは、「情報」を阻まれる状態の時であって、物質の限界を超えていようがいまいが、やることはひとつ。





生きるのに必要な情報が発揮し切れていない状態の時に施術を行い、その人の持つ100%を出し切るように働きかけるのが、カイロプラクターのできることだ。


持ってるものをフルに出し切るためにも、「情報」が正しく伝わっているかを確認しましょう!!

Tuesday, February 25, 2014

逆境

『逆境』というのは、何かを成し遂げたいと思い一生懸命になっている人のところに訪れるもんだ。



そうでない人には『逆境』は近寄らない。




でも、『逆境』に出くわした本人には「なんでこんな状況になってしまったのか…」とか、「なんでこんなにも行く手を阻むことが立て続けに起きるのか…」と思うのが人の常だ。




中には『逆境』を一種の“被害”と思い込み、どうしてもその現実から目を背ける。




でも実際は誰も悪くはない。むしろその逆境は自分が何かを成し遂げようとしてるからこそ起こるから、仕方ない事なんだと思えば幾分か被害者意識は薄れる。



それは早く走れば走るほど、向かい風が強くなるのと一緒。





今、『逆境』に苦しんでる皆に言いたい。



着実に前に進んでるから大丈夫。

逆境は自分が前に進んでる証拠だから、目をそらさずに進み続ければいい。

どうしてもその逆境に押し潰されそうになったら、一度止まってからまた進めばいいんだ。


大丈夫。

『逆境』は大きな飛躍を約束されたチャンスだ!




ピンチはチャンス。




『逆境』を楽しもう!


Sunday, February 23, 2014

カイロプラクターのすること

カイロプラクティックは本来、みんなのもの。


病める人も健やかなる人も、どんな方にも平等にカイロプラクティックを活用する権利がある。



しかしカイロプラクティックを実践する者(カイロプラクター)の判断では、「こういう人に来て欲しい」と限定することもあるので、まさに“人による”。






先ほど言った様に、カイロプラクティック自体は来られる方の状態、目的等は本来問わない。





クライアントさんがそれぞれ違った目的で活用するのは良い事だし、是非どんな方にも活用して頂きたい。









でも、それぞれの目的が違うのにも関わらず、なぜカイロプラクティックはそれぞれ異なる目的をお手伝いすることができるのか。







それは、カイロプラクターの仕事は『その人の100%を出し切る手伝い』にあるからだ。



その人の100%とは、

物質の限界内(体の構造)で、最大限に筋力、関節や筋肉の柔軟性、恒常性、自然治癒力、環境適応力など(機能)を100%発揮できている状態を指す。





どうしても普段の生活で、『その人の100%が出し切れないスパイラル』に陥ってしまうことがある。
(それをカイロプラクティックでは“脊椎サブラクセーション”と呼ぶ。)





それは、

コケたり、滑ったり、ぶつけたり、ぶつけられたり、体に悪い化学物質を過剰に体内に取り込んだり、心が深く沈んだり、強いプレッシャーを感じたりと、現代生活を普通におくる限り避ける事ができない出来事によって引き起こされてしまう。





その、目的を果たすのに足を引っ張る『スパイラル』から抜け出すためには、どうしても自分だけの力じゃ対応しきれないので、そこで初めてカイロプラクターの出番!






カイロプラクターは、背中の温度を測ったり、筋力、柔軟性などの身体機能をチェックすることで、その『スパイラル』状態かどうかを見極め、もしその『スパイラル』状態であれば施術をするプロだ。


もちろん、『その人の100%を出し切れている』場合は、カイロプラクターのすることは何もない。









カイロプラクティックがなぜ、多種多様なクライアントさんの目的を果たすお手伝いができるか。



それは、『その人の100%を出し切る』ことで、各クライアントさんのゴールに向けての“追い風”になるからだ。




追い風起こします


Saturday, February 22, 2014

みんなのもの

カイロプラクティックは、病気で苦しんでいる人だけのものではない。
カイロプラクティックは、頭痛、肩こり、腰痛がある人だけのものではない。
カイロプラクティックは、姿勢が歪んでる人だけのものではない。
カイロプラクティックは、パフォーマンスを上げたい人だけのものではない。


もっと言えば、
カイロプラクティックは、カイロプラクターのためのものでもない。






カイロプラクティックは、
例えば「風邪にはこの薬!」とか、「○○と言えば××!」というように本来は単純に結びつけられるものではない。


ビジネス的には「○○には××!」という謳い文句があるのがいいんだろうけど。。





カイロプラクティックはある特定の誰かの為にあるのではなくて、みんなのものだ。






先日カフェに行って観察していた。


カフェにはそれぞれがいろんな目的を持って来る。




観ていると、パソコンを持参して仕事をする人、デートをするカップル、勉強に励む学生、黙々と読書する人、放課後に友達とおしゃべりする高校生、そこのカフェのデザートを食べに来る女の子達、コーヒーだけ買って店を出るサラリーマン、タバコを吸いに来る営業マン、なかには単にコーヒーを愉しむために来てる人もいたかもしれない。



いろんな人が、それぞれの目的を持って“カフェ”に集まる。

そのカフェにあるのは、コーヒーと軽食、座ってくつろげる空間だけだ。







それと同じでカイロプラクティックに来られる方々も、それぞれ目的が違っていて良い。



人によっては、病気を治す一助にするために来ても良い。
人によっては、頭痛、肩こり、腰痛を治すきっかけに来ても良い。
人によっては、姿勢の歪みを戻すきっかけに来ても良い。
人によっては、パフォーマンスを上げるために来ても良い。


それこそ、
人によっては、体がフルに機能してるか確認しに来ても良い。
人によっては、宇宙と繋がるために来ても良い。
人によっては、本質に触れるために来ても良い。
人によっては、自分の体と向き合うために来ても良い。
人によっては、おしゃべりをしに来ても良い。
人によっては、寝に来ても良い。






うちのオフィスにあるのは、志賀隆史と空間だけ。

そこで来られる方々がそれぞれの目的を果たすための時間と空間にして頂ければ幸いです。







来られる方の目的は問いません




等身大

“等身大の自分”って、なんだろう。



結局考えた先にはなくて、考えないであるがままの自分を辿れば“等身大の自分”になれるのだろうか。





いろんな情報に触れる事ができる今の世の中では、等身大の自分でいられる人の方が少ないのかもしれない。



テレビをつければニュースをやってるし、パソコンや携帯電話を覗けばインターネットで世界に繋がれる。



今の日常で情報に触れない日はない。






それにはメリット、デメリットは当然ある。





メリットは書くまでもないが、『いつでもどこでも知りたい事を知りたい時に知る事ができる』ということが主だろう。


デメリットは、『自分がなくなる』こと。






みんな同じ情報を見たり聴いたりしているためか、言葉遣いや服装、振る舞いまで画一化して個性がなくなってしまう。



そんな僕も例外じゃなくて、いろんな情報をインターネットで手に入れたり、先輩カイロプラクターの先生方との交流が盛んにできることで、例え同じ言葉をクライアントさんに言っても自分で積み上げてきた先生方とは言葉の“厚み”や“重み”が全然違う。





特に自分はカイロプラクター、とりわけストレートカイロプラクターの中では若い。
というか未だに自分より若いストレートカイロプラクターは知らない。




しかも経験自体も浅く、先輩カイロプラクターが培ってきた知恵をそのまま引用しても、まったく相手に響かないことが多い。





それこそ、誰かが言った事、やった事のコピーでしかなくて、等身大の自分じゃないからだろう。






言霊ってやっぱりあると思うが、自分で考えた事、実践した事は確実に響く言葉として相手に残るんだろう。浅い経験でもそれは実感する。







僕には今、そんな“等身大の自分”を辿ることが必要だ。






Thursday, February 20, 2014

アート

“アート”というと誰もが「敷居が高い」だとか、「自分には関係ない」とか、「何が良いのかよくわからない」という印象を持つだろう。




歌にしろ、音楽にしろ、絵にしろ、造形にしろ、いろんな分野で“アート”は存在している。



そもそも“アート”ってなんだろう。





大半の人がピカソの絵を見て、「なんじゃこりゃ?」と思った事があるはず。



でも、誰かにこれはピカソの絵ですよと言われた途端に「おぉ〜、やはり素晴らしい!天才だ!!」

と、まるで安いコントだ。(笑)



実はその『心情』こそ、アートが存在する所以だろう。




なんで人間だけ、“どこかのおじさんが色んな色で塗ったくったヤツ”に何億円もの価値をつけるのか。


それは、『心』や『情』があるからだ。


その証拠に、道端を右往左往する野良猫や電線に停まるカラス、生まれたての人間の赤ちゃんや子供にしろ、その“どこかのおじさんが色んな色で塗ったくったヤツ”に全く以て興味を示さない。




つまり“アート”は『心情』抜きには存在し得ない。



社会情勢への持論、メッセージを伝えるがために色んな形で表現される“アート”。





その“アート”が、一部の人たちの盛り上がりで高額の値が付けられたり、皆に広く平等に触れられないものになってしまったり、まるで“アーティスト”があたかも高尚な人かのように見られるのは残念だが…




だが本来は、誰もが皆“アーティスト”であるはず。それは誰にも『心情』があるからだ。






みんながみんな、感じる事、思う事、伝えたい事があるはず。




なにも隠す必要もないし、周りの様子を伺って自分の意思を殺す必要も無い。





自分自身をこの世界に曝け出し、ぶつけることが、『生きる』ということだ。



皆が本当の意味で生きる以上、「自分は“アーティスト”なんだ」という意識があれば、もっと自分の発言や行動が容易になるはずだ。





人生、即、芸術!

Wednesday, February 19, 2014

つながり

人と人のつながりはおもしろい。



思いもよらぬ出逢いもあり、思いもよらず知り合い同士がつながったりするし、そのままの生活をしていれば絶対出逢うはずのない人と知り合え、新たな世界が拓けることがある。





最近で言えば、彼女が学校の後輩達のスパインチェックをする機会をつくってくれて、今までつながることのない分野の人とつながることができた。また、彼女のお母さんの友達も今度スパインチェックさせてもらえるので、更につながりが広がっていきそうだ。




そういう“きっかけ”がなければ絶対つながることがなかった人達とつながれたということは、何かしら意味があるんだろう。


単純に考えても、そのひとりの人と出逢うだけでも確率は1/7,000,000,000だ。





彼女の後輩達のスパインチェックをして、彼女達の中でも僕を通して何かが変わった子もいるみたいで、僕だけでなくつながった相手の世界も拓けることに、人と人のつながりのおもしろさを感じる。



彼女の後輩の中では、「音楽だけでなく体にも向き合うことができました!」とか、「何かあれから心も体も違うんです!」とか、彼女が「○○ちゃん全然音が違う」という報告を聞くだけで自分のことのように本当に嬉しい。






以前ブログにも書いたが“きっかけ”は身の回りに溢れているけど、人と人の出逢いはその“きっかけ”のひとつ。


しかも、自分も相手も新たな自分を見つける、これとない良いチャンスだ。




ここ数ヶ月は出不精になってたけど、どんどん“きっかけ”を掴み、つながりを増やして行きたいと本当に思えた。




自分の可能性は無限大!


若干一名……(笑)

Tuesday, February 18, 2014

生き甲斐

「生き甲斐」=「生きる歓び」は人によって全く違う。





どんな人でも、まわりに自分の存在を認知してもらいたいものだ。






でも、どのように認知されたいかは人によって違う。






人によっては、プライベートはともかく仕事に全力を尽くして評価されることを生き甲斐にしている人もいる。

人によっては、仕事はそこそこやって趣味に全力を尽くして生きる歓びを感じる人もいる。

人によっては、生活費を切り詰めて預金通帳にゼロが増えて行くことに生きる歓びを感じる人もいる。

人によっては、子供の成長を自分の生き甲斐にがんばる人もいる。

人によっては、暴走族になって社会に反抗することで生きる歓びを感じる人もいる。

人によっては、自分を傷つけて痛みを感じる事で生きる歓びを感じる人もいる。

人によっては、人の不幸を嘲笑って生きる力にしている人もいる。








本当に人それぞれ。


人によっては、「なんであんなことするかわけがわからない」、「人間の欠陥品だ」、「ノコノコと生きていて恥ずかしくないのか」と否定する。


経験上、それは特に固定観念で塗り固められた人がそのように発することが多い。






でも、みんなそれぞれ認知されたい形、生き甲斐、生きる歓びが違う。







人それぞれでいいじゃないか。




みんながみんなの生き甲斐を認めるのは無理かもしれないけど、その人はそうしないと生きて行けないんだと思う。




それだけ生きるということ自体が奇跡であり、限定されない無限に美しいものなんだ。




ね?たかふみさん

Monday, February 17, 2014

母は強し

自然界に気付かされることは本当に多い。



今日、BSで放送された「ハナグマの母さん子育て奮闘記」を見ていた。



ハナグマは基本的にメスだけで群れを作り、オスは大きくなれば群れから離れて単独行動をするらしい。



一度に2〜5匹の子供を産むらしく、高い木の上に巣を作ってある程度大きくなるまで育てる。

そして、ある程度育ったら母が一匹一匹くわえて巣から地上に降ろして行く。




今回取り上げられていたハナグマの母さんは、5匹の子供を一匹一匹地上に降ろしていた。


3匹目を降ろし終えて、疲れが見えてきはじめる。


そんな中、勝手に遊び回る子供達……

木に登る子、その辺をうろちょろする子、寂しさからか巣から勝手に降りて来て立ち往生している子…


木の枝で少し休みながらも必死に子供達を一ヶ所に集める母ハナグマ。




それでもなんとか子供達を降ろし終わり、群れに戻るための訓練が始まる。





ミミズを自分で見つけて食べるように母ハナグマの真似を一生懸命する子ハナグマ達。


疲れると昼寝のために、また木の上まで一匹一匹くわえて上がる母ハナグマ。






なんとハナグマの世界では、オスが小さい子供を襲って食べることがあるらしく、

見知らぬオスと遭遇したら母ハナグマは必死にオスに対抗する。




この母ハナグマは過去にオスに襲われてしっぽを失っていた。それほど激しく争うようだ。






しばらくすると、“仲のいいママ友”と合流して互いに自分の子供達のおもりを相手に任せて、おもりから一時的に解放された母ハナグマは思いっきり食事に専念することができる。





群れで行動する動物は、みんな同じように互いに支え合いながら生きるようだ。



必死に子育てする母ハナグマの姿を見て、街中でベビーカーを押しながらも歩く子の手を引っ張りながら家路につく母親の姿が眼に浮かんだ。




自分の周りにも子育てしている同級生が増えて来た。

中にはわんぱく盛りの3人の子供を一生懸命育てている母もいる。




たまに子供と接すると愉しいが、それが母には毎日でず〜っと…。




辛いときもあるだろうが、その分感動もあるんだろうな。




想像しただけで、頭があがりません。。。(汗)



長崎バイオパークさんのブログから画像をお借りしました♪
http://www.biopark.co.jp/staff/2007/07/post_111.html

Sunday, February 16, 2014

眼に見えないモノ

眼に見えないモノは、信じ難い。



僕たちが普段生きる上で“眼に見えないモノ”の存在を感じることは少ないだろう。





だからこそ、眼に見えないモノに対しては懐疑的になるのだと思う。



だけど、眼に見えないモノにこそ僕らは生かされているのは否定できない。





例えば重力。


地球はものすごい速度で自転しているのにも関わらず、地上のモノは地球外に放り出されない。


それは、自転による遠心力よりも重力の方が大きいからだ。


重力は眼に見えない。


でも確実にそこに存在しているのは日常生活で感じることができる。




誰ひとりとして、「重力は眼に見えないから信じない!」と言う人はいないだろう。









カイロプラクティックをやっていて不思議に思う事がある。



それは、自分を生かす力の存在に懐疑的になる人がいること。





自分を生かす力というのは抽象的で形がないし眼に見えない。





でも、重力自体は眼に見えないけど、モノが落ちるのは見える。

そこで重力の存在を認知できる。




自分を生かす力も眼には見えないけど、

傷が治ったり、髪や爪が伸びたり、痛みを感じたり、食べ物を消化したり、筋肉がついたり、タコができたり、おしっこをしたり、うんちをしたり、眠くなったり、目が覚めたり………


そこで僕らを生かす力を認知できる。


学校で教わるでも無く、自分を生かす力によって、僕たちは生きることができているじゃないか。





なぜモノが落ちるか。


それは重力という力が地球の中心に向かって働いているから。





なぜ生きる事ができるか。


それは僕らを生かしている力があるから。








実際、眼に見えないモノこそ大事だったりする。



眼に見えないモノに眼を向けよう。

単純に『眼』じゃなくて、『心眼』をつかってね。





Saturday, February 15, 2014

満点

テストでも満点を取るのはそう簡単にはいかない。



先日、彼女のお母さんから

「食品営業責任者講習のテストで満点をとり、無事に営業許可を頂きました!!」

と嬉しい知らせが届いた。



99点と100点はたった1点の違いだが、それは想像以上に大きい差だ。




そのたった1点の差で、結果は全く違う。

今ちょうどオリンピックが開催されているが、金メダルと銀メダルでも大きく違うのは一目瞭然。


選手自身の気持ちや、周りからの視線、賞賛、扱いが全く異なる。


それだけ、二番と一番、99点と100点は大きく違う。





これはカイロプラクティックでも言える。

僕が行っているカイロプラクティックは、Hole In One (HIO)ホールインワンだ。




これはゴルフで考えればそのまま、「ホールインワン」。

一打でゴルフボールをカップに入れる事を言い、プロゴルファーでも至難の業だ。

その日の気温、湿度、身体、精神状態、風、グリーンの状態、芝目、傾斜、ギャラリー………と、ホールインワンを達成するには、全ての条件が整ったときにしか成し得ない。





何故カイロプラクティックで「ホールインワン」かというと、

最小限のアプローチ(一回、小さい力)で、 
最高の効果(生命情報停滞状態の解放、身体神経機能正常化)を得る

ということを目指しているからだ。


つまり、

最小限の施術(アジャストメントアプローチ)で、 
最高の効果(長期間持続する最高の生命パフォーマンス状態 "Adjustment with that extra something with staying put value")を得る


ために、日々鍛錬に励んでいる。






これがゴルフのホールインワンと同様、そうは簡単にはいかない。


正直今までに、「決まった!!」と自信を持って言えるのはまだ数えられるほどしかない。



ホールインワンどころか、“空振り”もしたことがある…






それだけ難しいと言われるホールインワンを達成するためにも、

そしてそれを出来るだけ多く、またその確率を上げられるかによって僕の人生も大きく変わるだろう。




満点を取るのは本当に難しい!


だけど、満点を取れた時のよろこびは凄まじい!!!






満点を取るために、日々勉強、日々鍛錬あるのみ!




がんばります!!!



Friday, February 14, 2014

きっかけ

自分が何かを変えたい、なにかマンネリ化した現状を打破したいと思う時、

「何かきっかけがあればね〜」


と思う人は多い。





それと反対に、

「なんで自分にこんな事が起こるんだろうか…あれもこれも自分ばっかり…」



と悲劇のヒーローやヒロインになる人もいる。







前者は、実は自分の周りが“きっかけ”で溢れていることに気付いていないだけ、

後者は、身に降り掛かる事を“きっかけ”だと思えないだけかもしれない。





そういう自分も例外じゃない。



僕も自分の周りが“きっかけ”で満ち溢れていることに気付かないことが多い。



クライアントさんの何気ない一言、先輩カイロプラクター、家族や彼女、身の回りにいる人、顔見知りの人、友達の紹介、テレビ、新聞、本…など

いろんなものと触れる機会が必ずある。



その“きっかけ”に気付けるかどうかで一歩先に進めるかが決まるのだろう。





幸いにも、僕は多くの“きっかけ”を与えてくれる人、モノ、言葉に恵まれている。


今日もテレビを見ていてひとつ“きっかけ”をつかんだ。




それは南アフリカの有名レストランを紹介している番組だった。


提供しているのは、南アフリカの伝統的な普通の家庭料理。


しかしながら、その料理の出し方が普通ではなかった。


保温性の高い小さなオニオンスープで使うような容器に調理したものを入れ、さらに保温性の高い大きめの巾着袋のようなものを取り出してその容器を入れてひもを縛った。
それをじっくりじっくり時間をかけて予熱のみで調理して、お客さんに出す際にはその巾着袋のままテーブルに置かれる。  『こちらの料理は、8hours ○×○×です。』 
シェフが登場し、その料理を説明していた。
『この料理は、一見伝統的な南アフリカの家庭料理ですが、あるメッセージが込められています。この容器と巾着袋を使う事で、電気やガスの省エネになります。私達は普段料理をする際に電気やガスは使いますが、この料理自身が食べる方の何かのきっかけになるべきなのです。つまりこの料理は伝統とエコロジーを考えて頂く料理なのです。』

 仕込みから計算すると、だいたい8時間はかかることから、料理名が"8 hours ○×○×"とつけられたらしい。




この料理を、ただ単にお皿に盛りつけてそのままの料理名をつけて提供すると、食す側に伝わるものは少ないだろう。


同じものを提供するにも、その出し方、魅せ方、名前ひとつ工夫するだけで、相手に伝わる印象が全然違う。





な〜るほど。



身の回りに満ちあふれる“きっかけ”をつかむアンテナをしっかり張らなければ!

全部引っ掛けるのは無理だろうけど、毎日何かひとつでも掴めば、一週間で7個、ひと月で28個、一年で365個にもなる。



“きっかけ”探しは結構愉しい!



Thursday, February 13, 2014

すきなこと

自分がすきなこと。


僕はすきなことを仕事として選んで、すきなことをして生きて死んで行こうと思う。



それはやっぱり、カイロプラクティック。




志賀隆史=カイロプラクティックを通して、
誰かが喜ぶ姿、気付く瞬間、ひらける瞬間、きらめく瞬間、一歩踏み出す瞬間を見たい。




そのために今できることをやる。





正直、今の段階ではカイロプラクティックでの収入は少なく、生活が厳しい。



それでも、やっぱりカイロプラクティックをしたい。




よく、『本当に自分のやりたいことを仕事にできる人なんてほんの数パーセントだ』



と嘆いている人がいるけど、それは違う。



本当にやりたい事をやればいい。
喰えなくたってバイトすればいい、嘲笑されたって笑い返してやればいい。










変にオトナになるよりも、こどもみたいに純粋にすきなことをやり続ければ、どれだけ多くの人が救われるか。



満たされるな!



"Stay hungry, stay foolish."

Friday, February 7, 2014

伝え方

気がついたら前回のブログ更新からほぼ一ヶ月が経っていた…
そんな僕のブログを毎日チェックしてくださる方、お待たせしました!(笑)



というのも、いろいろと自分の抱える問題点と向き合って、どうすればより分かりやすくクライアントさんに伝えられるか、どうすれば我々を生かす“本質”というものを『志賀隆史』という人間を通して印象づけられるかなどと、あれこれ考えていた。



その為に今自分がどういう状態にいるのか、今の自分の問題点は何かを指摘してもらうべく、自分に大きな影響を与えた嶋田慶三郎先生に意見を求めに行ったりと、何かと内観する時間を設けた1月。





簡潔に言えば、今まで足元が“ゆるゆる”だった。

自分で十二分に納得できるほどのモノを自分の中に持ちきれてなかったので、飛び上がるにも“ゆるゆる”の足場では足を取られてうまく飛び上がれないといった状況。






なぜそのような状況に陥ったかを色々考えてみると、一番の問題に『志賀隆史』という人間ではなく、『カイロプラクティック』や『本質』を前面に表現しようとしていたことが挙げられる。



初めてストレートカイロプラクティックを体感した時に、

自分も『本質』を伝えて行きたい!!と決意したのは良かったのだが、肝心な事に『志賀隆史』という自分を消してまで『本質』を伝えなきゃ、『本質』はどうやっても絶対伝わるんだという変な観念に取り憑かれていたようだ。





問題なのはその伝え方。


ただ単に、『本質』というものを前面に伝えようとしても、クライアントとしては教科書を読んで説明されているのと何ら変わりない。


誰しも学校で経験した事があるだろう。ただ単に教科書を読んでいる授業を…





真実を伝えてはいるけど、何も残らない。




そこで納得がいった。
自分が塾講師として中高生と接していた時、生徒に「志賀先生が良い」と言われていた理由を。


塾では、各分野の学問の先にある愉しさを伝える為に、自分は他の講師陣とは違うように振る舞うんだ、同じような接し方はしないんだと意識して臨んでいた。


それが塾講師『志賀隆史』という個性を持った存在として生徒の心に残り、支持してくれたのだろう。





そう考えれば、なんだ簡単なことじゃないかと気が楽になった。単純…(笑)







僕の彼女に最初に持たれた『志賀隆史』の印象を紹介しよう。


「色がない」だ。(笑)



すばらしいご指摘。
それもそのはず、志賀隆史よりも本質やカイロプラクティックしか頭になかったから。



今やっと、彼女の言っていた意味が分かりはじめた。


「志賀隆史=カイロプラクティックなんだよ」




カイロプラクティックをカイロプラクティックとしてそのまま伝えるなら教科書で十分。僕である必要は無い。


志賀隆史というひとりの人間がすること、言う事、振る舞い等すべてが、クライアントさんにとってはカイロプラクティックとなり、初めて『志賀隆史=カイロプラクティック』が心に残るのだ。




な〜んか気が楽になった(笑)

感謝、感謝、感謝。